第17話_古代の要塞

 

 陽が、静かに昇る----


 星の輝いていた空が薄墨のような色へと染まり、蒼く変わっていった。


 連なり並ぶ険しい岩山。一匹の獣すら棲んでいない乾いた頂きに、巨大な影が落ち、流れていく。真上を進む《ゲッターディヒトゥング》のものだ。空気が重く震え、脆くなっていた崖がカラカラと崩れていく。


 表面で朝日を反射させる、純白の浮舟。その進路の先には、砂漠化の進む平原が待っていた。《ゲッターディヒトゥング》はさらに奥の、小さな町であれば沈められそうな大きさの湖を目指した。たっぷりと湛えられた水面に浮舟の底部が映っている。


「目的地に到着しました。予定より二時間三八分の遅れです」


 乗組員がヴォーレンに告げた。艦橋にはアルティナの姿もある。


 この二日間、アルティナはあてがわれた部屋にずっと閉じこもっていた。イリーシャの案内兼監視つきであれば浮舟内を自由に歩き回れるとのことだったが、とてもそんな気にはなれなかった。食事も日に三度運ばれてきたものの食欲がわかず、手をつけていない。そんな彼女が艦橋にいるのは、「あなたの知りたがっていたことがわかりますよ」とヴォーレンが呼びにきたためだ。顔も見たくない相手だが、こう言われては行くしかなかった。


「目的地って……なにもないじゃない」


 ふてくされていたアルティナが皮肉ると、ヴォーレンは微笑んだ。


「すぐにわかりますよ。それでは、そろそろ始めてください」


 命令が下る。


 しかし、なにも起こらない。アルティナはつきあう気が完全に失せ、退室しようとした。


「あの呪文護符にはですね、ご丁寧にもここまでの地図と召喚に関するデータファイルが保存されていたのですよ」

「召喚に関する……データファイル?」


 謎の言葉にアルティナは足を止めた。かすかに細めた目で湖を見つめながら、ヴォーレンが続ける。


「ええ。実際には、いくつもの超音波を複雑に組み合わせ、暗号のようになったものを発生させるだけです。しかし、それにしか反応しないようですから良くしたものですね」


 なんのことを言っているのやら、アルティナにはさっぱり理解できなかった。


 湖面に変化があった。中央に波紋が生じ、細波が立つ。広がる波は徐々に激しく荒れ、水面が膨らんだ。なにかが湖の中からせり上がってくる。


 漆黒の威容----それは巨大な建造物であった。湖面の半分以上を占め、人口の道一本で陸地とつながっている。水溜まりの残る、中央の平坦な区域に赤い光点が並んでいった。着艦のための誘導灯だ。《ゲッターディヒトゥング》はそれに従い、ゆっくりと高度を下げていく。


 上から見ると、その建物の構えは翼を大きく広げた鳥を思わせた。《ゲッターディヒトゥング》の大きさはそのくちばし部分にも及ばないようだ。艦橋内では誰もが圧倒され、ガラス越しと映像盤の光景に見入っていた。


「これ……」


 アルティナの頭の片隅に引っかかるものがあった。何故か胸騒ぎがする。


 ふいに、指揮官席にいるヴォーレンの声が降ってきた。


「どうですか? あなたには懐かしい場所のはずですが、まだなにも思いだしませんか?」


**********


 古代の要塞。この漆黒の建物のことをヴォーレンはそう呼んだ。ほぼ全員が《ゲッターディヒトゥング》を降り、分担して建物の内部を探索していた。どこにどういった物があるのか、例の呪文護符によってだいたいわかっており、その確認のために回っているようだ。


 居住区の他に『魔術』の研究施設や、工場のような区画があった。そして、多くの兵器----八本の足をもった、クモのような砲台。小さな羽根を備えた流線型の機体。いくつもの車輪を履いた、移動可能な超大型爆弾の発射台、等々。そういった類いの物がすぐにでも使用できる状態で保管されていた。


「性能の高そうな兵器ばかりですが、我々の人数を軽く上回っていますね。もったいない気もしますが、余ったものは予備としておきましょう。操縦法や細かいところを調べておいてください」


 それらの兵器群に満足しきっているヴォーレンはさらに奥へと進んでいった。イリーシャにうながされ、アルティナも後に従う。


 先程この古代遺跡の中に入ってから、刺すような痛みがアルティナの頭を襲っていた。


「あたしはここにいたことがあるんだ」


 アルティナは確信した。忘れていたものが今にも思いだせそうで、できない。頭の奥深い場所に薄い布がかけられ、そこに意識の手を伸ばそうとすると頭痛が強くなっていく。


「この奥になにがあるっていうの……」


「なにか言いましたか?」


 ヴォーレンが肩越しにアルティナを見る。考えていたことを呟いてしまったようだ。

「なんでもないわよ!

 こんな要塞だか基地だかを手に入れてなにをするつもりなの? どうせろくでもないことを企んでいるんでしょ」

「とんでもない。私なりに世界の福祉へ貢献しようと考えているのですよ。

 あなたはご存じないでしょうが、古代文明が滅んでから数百年間、常に世界のどこかで争いが起こっているのです。無価値な国家の威信のためや、頭の悪い指導者に上手くそそのかされて。現に今も大きな国家同士で戦っています。このままいけばいずれ世界中を巻きこんでの大戦が始まるでしょう。古代の文明が滅んだ時のように。

 そうなれば多くの人が死に、これまで築いてきたものが壊されてしまいますからね。私はそんな無意味なことをやめさせようとしているのですよ」


 アルティナは憤ろしかった。言葉だけ聞くと立派だが、この男が口にするとまったく別の印象を受けてしまう。


「よくもそんなことがぬけぬけと。自分はダーフィアの人達にあんなことをしておきながら」

「ああ、そのことですか。

 きちんとした料理を作るには動物や植物の生命を奪うでしょう? あれと同じです。満足のいく結果のためには少々の犠牲はやむを得ませんよ」


 とうとう抑えきれなくなり、アルティナは平手をふり上げた。小気味よい音の後、丸眼鏡が床に叩きつけられ、割れた。


 ヴォーレンは落ちついた顔で頬をさすり、眼鏡を拾うためにしゃがんだ。


「これでは使いものになりませんね。イリーシャ、悪いですけど、私の部屋まで行ってきてもらえませんか? もう一つ昔の眼鏡があるはずですから」


 一礼したイリーシャは去り際にアルティナを鬼のような形相で睨みつけた。アルティナは一瞬たじろいだ。


「さて、どこまで話しましたっけ……。

 ああ、犠牲はつきものというところでしたね。それが気に触ったのですか?」


 まったく変わらぬ調子のヴォーレン。


「当然でしょ! いくら戦争をなくすためだからって、人の命を踏みにじるなんてことが許されるわけないわ!」

「ですが……あなたはそのために造られたのですよ」


 ヴォーレンは目を細めてアルティナの反応をうかがおうとする。その、ヴォーレンの言葉がアルティナに浸透するまでには時間がかかった。


「あたしが……造られた……?」

 意味がよくわからず、おうむ返しに口にすると、

「今のあなたでは信じるほうが無理でしょうから、先を急ぎましょう。後でわかりますよ」

 ヴォーレンは答えを濁し、アルティナに背を向けた。


 冷たい雰囲気の通路に靴音が反響する。とにかく広い建物だ。昇降機で上のほうへ移動したと思えば、また長い通路を進んでいく。その間ずっと、アルティナは先程のヴォーレンの言葉がなにを指すのか考えていた。しかし、さっぱりわからない。自分の失った記憶にはいったいなにが隠されているというのか。


「ここが指令室です」


 突然ヴォーレンに言われて初めて、アルティナはそこへ到着していたことに気づいた。   


 これほど巨大な要塞の中枢であるからにはそれに見合った広さだろうと予想していたのだが、実際はかなり狭いものだった。《ゲッターディヒトゥング》の艦橋とそれほど大差ない。しかし、この場にある機器類は《ゲッターディヒトゥング》の航行用のものに比べるとはるかに複雑なもののようだ。


 いくつもの映像盤や組体の他に、部屋の中央に奇妙な柱があった。機械じかけの上下に挟まれ、真ん中の部分だけがガラスのような材質でできている。それを見たとたん、アルティナの頭痛は強さを増し、悪寒をともなう震えが体の底から涌き起こった。


 ここから離れなければ----そんな思いが警報のように響く。


「こちらにどうぞ。あなたが知りたがっていたものがここにあります」


 ヴォーレンのそばでは、柱の底が一部開かれていた。この中に入れということらしい。


「そんな気分じゃないから部屋に帰らせてもらうわ……」


 今はとにかくこの場を後にしたかった。重くきびすを返すと、いつのまにか戻って来たイリーシャが目の前に立っていた。


「どこへ行くつもりだい? あんたの居場所はここにしかないんだよ」


 イリーシャはアルティナの胸倉を掴み、有無を言わせずヴォーレンの許へ引きずるようにして連れていく。アルティナは抵抗したかったが、手足に力が入らなかった。


 柱の底には空間があった。アルティナ一人が押しこまれただけで、そこはいっぱいとなった。


「少しの辛抱ですよ」、ヴォーレンが言い、扉が閉められる。


 一瞬、アルティナは闇に包まれた。次いで天井が開き、そこからガラスでできた壁が見えた。床が一度ガクンと揺れ、ゆっくりと上昇していく。動きが停止した時、アルティナは、自分が柱の半透明な部分に完全に閉じこめられたことを知った。外ではヴォーレン達が緊張した表情で成り行きを見守っている。


「なんのつもり? ここから出しなさいよ!」


 頭痛に顔をしかめつつ、アルティナは透明な壁を叩きまくった。しかし、よほど厚いものらしく、びくともしない。


 ヴォーレンがなんらかの指示を部下に下す。


 ----ピッ!


 アルティナの頭上で妙な信号音がした。不安をかきたてられてアルティナが仰ぐと、天井にあるいくつかの穴から大量の水が滝のような勢いで落ちてきた。


 アルティナは悲鳴をあげた。溜まってゆく水はあっという間に膝、胸の辺りにまで達し、なおも注ぎこまれる。足が床から浮き、アルティナはおぼれまいと必死になった。水が幾度も口に入り、その度にむせた。とうとう最上部まで水で満たされ、アルティナは息を止めて水中でもがいた。酸素が足りなくなり、肺が締めつけられる。そのその苦しみに堪えきれずに開けてしまった口からどっ、と水がとびこんできた。


「助け……」


 このまま死んでしまうんだ。そう思ったのも束の間、アルティナの呼吸は回復していた。この液体から酸素を取りこむことが可能らしい。


 薄い青色の霞の中にヴォーレン達の姿が見えた。


 ----突如、まるで雷にでも打たれたような衝撃が全身を走り抜け、アルティナは四肢を硬直させた。


 天井の中心から放たれた一条の細い光がアルティナの額を貫いている。肉体の自由がすべて奪われ、瞼を閉じることさえ不可能だった。


 冷たい水の中、頭の奥でなにか熱いものがはじけ----アルティナはすべてを思いだした。

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