4−4
昇降口を通り過ぎた時、彼女が何をしに夜の学校になんか忍び込んだのか察しがついた。僕の予感は当たっていた。行き着いたのは、このあいだ僕らが掃除したばかりのプールだった。
彼女はやはり閉めきられた、しかし校門よりは格段に低い出入り口の柵を軽々と乗り越えた。僕も今度は迷わなかった。
プールには水が張られたままだった。真っ暗な夜の中で、水のたゆたう気配が闇を伝って漂ってきた。
そばで水の跳ねる音がした。闇に慣れてきた目に、水の中で泳ぐ影が映った。
「君もおいでよ」プールの中から彼女が言った。
「水着がないよ」
「わたしもないよ」
「えっ」思わず大声を上げてしまった。
イヌイさんの笑い声がした。
「残念だけど、服は着てるから」
「服のまま入るの?」顔に熱を感じながら、僕は言った。
「やってごらん。気持ちいいよ」
僕は暗い水面を見た。そこは完全な闇で、入ったら二度と出てこられないようにも思えた。だけど、恐怖はなかった。
僕はプールサイドに鞄を放り、不格好な助走をつけて、暗い水へ飛び込んだ。
瞬く間に服が水を吸って、体に纏わり付いた。いけないことをしている感覚。けれどそれらは、服が濡れるよりも速やかに、真逆のものへと変わっていく。
泳ぎは得意な方じゃない。というか、はっきり言って泳げない。水着でだって上手くできないことを、どんどん水を吸っていく服を着たままできるわけがない。僕は体の自由が利かず、泳いでいるというよりは溺れているといった有様だった。
けど、苦痛ではなかった。不自由になればなるほど、不自由を感じている〈自分〉がそこにいることを、強く認識できる気がしたからだ。
やがて泳ぐのを諦めて、プールの底に足をついた。飛び込み台から半分も泳いでいた。
「泳ぎ、下手だね」背泳ぎの格好でイヌイさんがやってきた。
「イヌイさんは上手だね」
彼女は笑みを浮かべると、体を翻して潜水した。その滑らかな動き方は水棲生物のようだった。彼女の居場所は水の中なのかもしれない、と本気で思わされた。
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