第21話 うなぎ部長再び

うちの社の部長はお洒落で見た目も50代に全く見えず、週に三回はジム通いで、体つきもこの齢にして全く脂肪の欠片も見つからない引き締まった肉体美であり、なおかつ顔はテニス選手の錦織圭のようなスマートなイケメンである。バツ2で子供さんも5人いるらしい。離婚歴が多いのは多分、いや、絶対にくどいし、面倒くさいところだろうと部下である私は推測する。数ヶ月前に、ランチを誘ったら、急にウナギが食べたいとか言い出して、そこからてんやわんやでようやく鰻屋を見つけたが、金欠で諦めたという逸話もあり、私は影でこっそり「うなぎ部長」と呼んでいる。今日もお昼時に、うなぎ部長が部下の皆にランチを誘って、これから食べにいくところである。部長は隣に現在付き合っているのではないかと噂されている部下の山口さんと談笑しながら歩いていた。部長の格好は漆黒のダークスーツに鮮やかなライトブルーのシャツ。そして黄緑色のペイズリー柄のネクタイを合わせていた。雑誌『LEON』の表紙に出てきそうなくらいの洒落者で、刈り上げたショートヘアにロマンスグレーがよく似合っている。隣の山口さんは部長の娘に間違われてもおかしくないほどに若い。年齢は聞いたことないけど、恐らくは20代前半。目の覚めるような美人で愛想も良くて、我が社に来る得意先の人たちからも猛烈なアプローチを受けている。『部長、何か食べたいものあります?』共に並んで歩いていた部下の一人が日差しに目を細めながら部長に尋ねた。『だから、お前はモテないんだよ』部長の言葉に一同が凍りついたようにキョトンとした。『へ?』と軽く首を傾げて間抜けな返事をする部下を、部長は苦笑したあとに睨めつけた。『あのさあ、これからデートするぞって時に、何か美味しいものを食べに行こうって話になるわな。そんときに、何が食べたい?とか相手に委ねるんじゃなくて、オススメのイタリアンレストランがあって、料理のコスパもお得感もあり、とても美味しく、内装の雰囲気もとてもセンスよくて、とにかくお洒落なんだけど、どうかな?みたいな感じで誘わないと、決められない奴だって印象に残るだけだぞ』隣を歩く山口さんも苦笑しながらもうなずいている。叱られた部下は頭をかいて猛省していた。『ちなみにオレはナポリタンが食べたい』部長は皆を前にして毅然と言い放った。『ナポリタンでっか?どうやろう?サンマルクとかに置いてるかな?』関西弁の部下は、スマホを片手にナポリタンを取り扱う店を探し出した。『おいおい、オレはチェーン店のナポリタンなんて食べに行かないぞ。オレが行きたいのは昭和のレトロな感じがする喫茶店なの』うなぎの次はナポリタンか、何というか和食とか洋食とか言われるとすぐに探せるが、単品を出してこられると思いの外困惑してしまう。『おいおい、だからスマホとかで検索なんかするなって、本当に今の若い奴らはロマンチストじゃねーな』くさい言葉に思わず噴き出しそうになってしまったが、だが部長には自分で言うだけあって、ロマンチストという言葉がよく似合っている。『お前らさあ、好きなアーティストのCDは買っても、名も知らないインディーズとかは買わないだろ?』急にまた部長が舵を取り予想外の話をぶっ込んできた。『お前らほとんど音楽聴くのってサブスクだろ?』まあそうですねと部下の一人がこたえた。『嘆かわしいね。本当に嘆かわしい。オレが若い頃なんて、CDはジャケ買いしてたからな。分かるか?ジャケ買いって』皆が皆一様に顔色を伺うように見合っていた。『なんですのん?ジャケ買いって?』はあっと部長は大きくため息をついて天を仰ぎ、両腕を大げさに広げた。『中の音楽を一切聴かないでジャケットだけで判断して買うことをジャケ買いって言うんだよ。オレはピンク・フロイドとかキング・クリムゾンとかほとんどのアーティストはまずジャケ買いで揃えたんだ』ほーとかへーとか感嘆したような声が皆から漏れてきた。『サブスクに頼るとか、スマホで食べログのレビューを見てとか、要するにお前ら若い世代は失敗を恐れてるのよ。こうやってお昼時のビジネス街で色んな食堂があるのにスマホを見てるのはまさにそれだ。看板の文字とか店内の雰囲気とか己の嗅覚を信じたらどうなんだい?』うん、うん、と山口さんは千切れるほどに首を縦に振っている。部長はわりあい真面目な顔で言葉を続ける。『サブスクにせよ、ネットにせよ、チャットやらDMにしたって、溢れすぎる情報の中でみんながみんな分かった気になりすぎて、大した経験もしてないくせに身の程が判ったつもりになって、結果的に自分に期待しないで草食的とか絶食的になるんだよな』部長は深そうな言葉を真剣な表情で淡々と述べた。『オレたちが若い頃はレコード屋やCD屋がそこら中にあってレコードマップとかも売られててさあ、それを片手に色んなレコード屋を巡るわけよ。で、ジャケットのデザインでこれだー!って決めるわけだ。もちろん中にはハズレだってある。しかしな一曲でも琴線に触れる曲があったり、仮に全くのゼロであっても悔いは無かったな。今なんてLIVEを見に行くのでも、他の会場のセトリとか気にして、下調べしてから行く奴いるだろ?正直言わせてもらってバカなのかと… 何が起きるか分からんのがLIVEの醍醐味だろ!プログラムにそって運動会やってるんじゃねーんだよ。そういうわけで、捨ててしまえ!スマホなんて、憂鬱と一緒に!』いつの間にかスマホを捨てる捨てないの話になり、みんなかなり腰が引けていた。『この辺はやっぱ昭和レトロ風の店はないっすね〜、おい、誰か営業車乗ってこいや』営業の一人が先輩風を吹かして、やや得意気味の顔で言ってきた。『バカックルマなんざ必要ないっての、たかがお昼時のランチごときで…電車があるなら電車を利用する。バスがあるならバスに乗る。歩けるなら歩く。そういうのがエコだし、粋ってもんよ』言われて近くに昭和レトロ風喫茶店がないか調べるために、営業畑は慌ててスマホをポケットから取り出す。『だから、それをやめれ。お前らその年代でスマホ依存に陥ると、膨大な時間が失われ、豊かな体験や学習する機会すら奪われるし 、肥満、視力の低下、腰痛、頭痛の原因となるだけでなく、熱中するあまりエコノミークラス症候群になってしまうこともあり、命にかかわる状態になることだってあるんだぜ。この間なんてスマホ片手に小便しているバカがいて、よっぽど怒鳴ってやろうかと思ったわ』部長に怒鳴られて営業畑はシュンと肩を落としていた。『てか、部長、もう時間おまへんで!』関西弁が時計を見せると、残りわずか30分しかなく、目当ての昭和レトロ風喫茶店は皆無の状態であった。『おっしゃ、君たち、そこの吉野家に行こう!私は牛丼特盛つゆだく半熟卵だ』部長は我先にと吉野家の方へ駆け出した。瞬間、私の中で部長のあだ名は「うなぎ部長」から「牛丼部長」へと格下げされた。『いらっしゃいませ〜』吉野家の店員さんは大勢のビジネスマンが駆け込んできたことに少し腰が引けていた。『こんにちは、お昼に来られるのは珍しいですね』店員さんは部長を見るとふいに声を高くして聞いてきた。途端、部長は少し顔をしかめて『まあね』と、言葉少なに答えた。『こんなに大勢ですまんね』と部長が詫びを入れると店員さんは微笑み返した。『いいえ〜 大歓迎ですよ〜』部長はカウンターに置かれた熱いお茶をぐいと飲み干した。『いつもので宜しいですか?』店員さんに尋ねられて部長は黙ってうなずいた。部長、まさかの常連さんだったのですね。軽快な手さばきで、美味しそうなホカホカの牛丼が部長の目の前に置かれた。『きたきた』部長は嬉しそうにテーブルの紅生姜入れを開けて、ゴッソリ牛丼の肉の上に乗っけだした。牛丼に半熟卵をトッピングした部長はとろっとろのまろやかな冷たい半熟卵を牛肉の上にのせて黄身を崩して牛肉と絡めていく。部長はハフハフ言いながら牛丼をかきこむと、幸せそうな表情をうかべた。『これよこれ、牛丼と半熟卵の相性は抜群だね。噛めば噛むほど甘い脂が染み出て口の中に広がる幸せよ』山ほど紅生姜をのせて部長は一気にかきこんだ。『牛の宝石箱や〜』部長が大声で言った瞬間に、周りの空気は凍りついた。は?牛の宝石箱?意味が分からない。何気にパクっているし。じわりと冷めた牛丼を前にして悲しい気持ちがこみ上げてきた。くどいし面倒くさいけど理に適うほどに良いこと言うのに、食レポは下手すぎ。私の中で、「牛丼部長」から「食レポ平社員」に降格された瞬間であった。それに失敗を恐れるなと言うけど、無難に吉野家にまめに通う部長はほんの少し痛いキャラに思えた。


      完

        

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