第11話 命の授業

コツコツという軽快なピンヒールの音を廊下に響かせて、奈月先生が一年一組の扉をガラリと開けた瞬間、先程まで談笑していたクラスメイトたちは一斉に静まり返った。中学生の僕たちの中でも身長が172cmある奈月先生は、頭一つ大きくて、ピンヒールを履いている分、余計に大きく見える。スタイルも良く美貌で人気があるが、スーパーモデルのようで近寄りがたいという生徒がほとんどだ。格闘技系の部活の顧問もしているので、僕たちは羨望の眼差しを向けるも、恋愛対象には程遠く、皆が皆、一定の距離を置いている。『起立、礼、着席、只今より命の授業を始めます。石井くん、山本くんを殺しなさい』奈月先生に名指しされた石井と山本は硬直していた。『何をしてるの?早く殺しなさい』奈月先生は、石井をにらみつけるが、当の石井は、机に視線を向けて、ただ震えていた。『先生、石井くんは僕を殺す気がないみたいなんで、僕が石井くんを殺していいですか?』山本は、殺られるくらいやら殺っでやる勢いで手を挙げて発言した。『せ、せ、先生、僕は、や、山本くんを殺したくありません』石井は声を震わせながら、奈月先生に意見した。『それはどうしてかしら?』奈月先生は、一切間を置くことなく、石井に尋ねた。『だ、だ、だ、だって、山本くんは悪いことをしていないから………』奈月先生は、するどい視線を石井に浴びせた。石井は蛇に睨まれた蛙のようにオドオドしていた。『あら、それなら貴方が普段食べてる豚肉の豚や牛肉の牛も、貴方に悪いことなんてしてないわよね?』奈月先生の最もな意見に、石井はただ黙り込む。そして奈月先生はさらに鋭い眼光で、石井を凝視すると、石井はまさにギリシャ神話に登場するゴルゴン三姉妹の一人の女神メドゥーサに睨まれて石化したかのように固まり、小便を漏らしていた。奈月先生は、大きくため息をついたあと、名簿を大きな音を立てて教壇に叩きつけ、再び石井を睨みつけた。『いいわ、先生が山本くんを殺してあげるから、よく見てなさい』奈月先生は、突如、教壇の下からブルパップ式アサルトライフルのAIUを取り出して、銃口を山本に向けた。プラタタタタタタとヘリコプターのホバリングのような音が教室に響いたと思うや否や山本の身体は教室の後ろにまで叩きつけられ、血みどろになっていた。キャーという悲鳴が教室に鳴り響くと、奈月先生はところ構わず、生徒に向けてあちこち乱射しだした。生徒たちは石井を残して次々に倒れたり飛ばされたりしていく。僕は慌てて机の下に潜り込み、S&Wの小型拳銃をカバンから取り出して、奈月先生に銃口を向けて応戦した。海外の軍の傭兵である僕は、人を殺すことに躊躇しないサイコパス ハルコ-ナツキを始末するように指令を受けていたが、まさかこのような窮地に追い込まれるとは考えてもいなかった。懐中電灯でしっかりと足元を照らしながら、逃げ道を画策していた。『おい、お前は誰だよ?ただの生徒じゃないな』マシンガンをこちら側に向けてハルコ-ナツキは怒鳴り散らした。迂闊であった。命の授業と題して、次々に昆虫や獣を生徒の眼の前で殺戮した段階で、実行に移すべきであった。足元に集中していたため、前方に光るほのかな光に気づかなかった。ハルコ-ナツキが手にしているマシンガンのポイントレーザーは、僕の数メートル手前まで近づいていた。僕は反射的に懐中電灯のスイッチを消して、ズボンの尻ポケットからアサルトナイフを引っ張り出し、さらに匍匐前進で、光から逃れようとした。頭上から轟音と衝撃が襲い掛かる。プラタタタタタタ プラタタタタタタ『おい、出てこいよ』最早、ガードに使用していた机は持ちこたえそうになく、急にライフルの発射を収めたために、あたりはとても静かになっていた。ばったりとサイコパスに出くわさないように、僕は生徒たちの死体を盾にし隠れた。ダバダバと液体をこぼしたような音がしたかと思うと、ガソリンの臭気が漂ってきた。ハルコ-ナツキは教室を生徒ごと燃やしてしまうつもりらしい。『あんたは何者なんだよ!』僕は盾にしていた生徒を押しのけて、真っ直ぐにナイフの先端をハルコ-ナツキに突きつけ、飛びかかったが、彼女の前蹴りが、僕のみぞおちにヒットし、もんどり打って意識を失いかけた。さすが格闘技もしているだけあり、運動神経もよい。ハルコ-ナツキは余裕からか、僕に起き上がるように手を差し伸べてきたが、その手を乱暴に払い除けて振り解き、彼女との距離をとった。『お前こそ何者なんだ?どうして拳銃やナイフを持ち歩いている』ハルコ-ナツキの問に答える間を与えず、胸ポケットから催涙スプレーを取り出して、彼女の顔に向けたが、一瞬早く、手刀で叩き落とされて、パンチを数発浴びせられた。『答えろ!誰の命令だ?』胸ぐらをつかまれて、ほぼサンドバッグ状態になった僕は死を意識した。ここまで確定した死を意識することなど生まれて初めてのことであった。『仕方ない、残念ながらここでサヨナラね』ハルコ-ナツキは僕の首筋にナイフの先端を押し当てた。口の端を吊り上げた彼女は僕にウインクしてきた。次の瞬間、鼓膜をぶち破るような爆発音が響き、彼女の肉体は後方に吹き飛ばされ、強烈な衝撃に僕自身も視界が真っ白になり、意識を失った。目が覚めたらそこは、病室で数人が相部屋で寝たきりの状態だった。全身の打撲と切り傷、そして火傷が酷くて、激痛で発狂寸前の状態に陥っていた。『渡邉くん、渡邉くん』誰かが僕の名を呼んでいる。『大丈夫かい?』目の前には石井が立っていた。『石井、お前…』無事だったのかと声をかけようとしたら『実は僕も傭兵でね。ハルコ-ナツキの親族から始末を頼まれていたんだ』はあ?親族から?『財閥である奈月家では、代々 命の授業というカリキュラムを組んで、幼少の頃より子供たちに命の大切さを教えていたらしいが、春子だけは、特別に異常だったらしい』石井はさらに話を続けた。『春子は幼少より共感能力が未熟で感情そのものが欠落していて、動物や人に対して思いやりの気持ちなどなく、コミュニケーション能力も希薄で平気で動物や昆虫を殺処分していたらしく、彼女の両親も困り果てていた。そして終には彼女の友人や恋人までも殺して、自宅の庭に埋めるという目を疑う行為を行い、代々栄える奈月家の為にも警察に相談出来ない両親は、我々傭兵に密かに始末を頼んできた』そこで木炭と硫黄と硝酸カリウムを混ぜ合わせた手製の爆弾で始末を考えていたが、先に撒かれたガソリンの影響で予想以上の被害が出たらしい。『渡邉くんの片目も失明状態にしてしまい、本当に申し訳ない』石井は寝たきりの僕に頭を下げてきた。『とんでもない、お前が居なかったら、確実に僕はあのサイコパスに殺されていたよ』僕は素直に命の恩人とも言える石井に感謝の言葉を述べた。石井は寝たきりの僕に手を差し伸べてきた。『僕は我が国の自衛隊に所属することになった。もし良ければ君をスカウトしたい。共に来ないか?友よ』僕は石井の手を硬く握り締めた。『こんな半死半生な身体だが、宜しく頼む、友よ』数年後、僕と石井は所属する部隊の教官になった。『総員整列、気をつけ、休め! ただいまより命の授業を始める。山崎一等陸士は、渡邉教官を殺せ!』石井教官は僕をチラリと横目で見て僅かに口の端を吊り上げた。

          完

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