第20話

「仕留めた、のか?」

 三メートルちょっと離れたところから拳銃で、倒れた桐崎の胴体を狙いつつ、信仁があたしに聞く。

「……まだね。仕留めたなら、この夢時空も消失するわ。コイツは、まだ生きてる……生かしてあるのよ」

 あたしは、桐崎を見たまま、言う。半分は本当だ。コイツが死んでないから結界が生きている。そして、あたしは殺していない。いや。

 あたしには、コイツを仕留める決め手が、ない。


 物理攻撃で夢魔を倒すのは、実は難しい。今現在、切断した両腕からほとんど出血していないから、この体自体も相当に深く、夢魔の影響下にあるのは間違い無い――切れているけれど肉体には切れていないと信じ込ませ、血流さえもコントロールしているとか、そのレベルで精神が侵食されていると思って良い。だから、たとえ肉体を細切れにした所で、再生するか、死んだふりしてほとぼりを冷ますか、あるいは機を見て逃げ出すか。いずれにしても、物理的に切り刻むしか出来ないあたしには、とどめが刺せない。

 けど、それをここで公言するわけにも行かない。だから。

「コイツは、父さんと母さんの仇だもの。楽に死なせる気はないわ。それに、引き渡したい人もいるし、ね」

 断腸の思いで、あたしはハッタリをかます。これも半分は、いや気持ちとしては全部、本当だ。婆ちゃんなら、コイツの話を聞きたがるだろう。

 そのあたしの言葉を聞いたのか。あざ笑うように、桐谷から乾いた、くつくつとした嗤い声が聞こえた。

「……言ってくれる。ようもやってくれたものよ。さすがは典侍ないしのすけの身内、半端者とて油断はならんか」

 両腕のないまま、桐崎は上体を起こす。出血こそ少ないが、両腕を切り落とされたのは流石に厳しいのか、声は硬く、顔に脂汗をかいて。

「楽に死なせないなどと、威勢の良いことを。しかし、半端者のおまえでは、我を殺すにはちと力が足りぬ……」

 銃声が、桐崎の、「奴」の言葉を遮った。

 あたしの傍に寄って来ていた信仁が、桐崎のすぐ右脇の床板を撃ち抜いた、無表情に。

「少し黙れ……あんた、姐さんの親御さんを殺したってのは、本当か?」

 信仁の声に、抑揚が、ない。

「小僧……何を」

 銃声がもう一つ、今度は左の床板を撃ち抜く。

「聞かれたことだけ答えろ。腕、切られて平気みたいだが、痛みは感じるみたいだしな。有り難い事にこっちは弾なら割とあるんだ、射的の練習台になってもらっても良いんだぜ……もう一回聞く。おまえが、姐さんの親御さんを殺したってのは、本当か?」

 くつくつと笑ってから、桐崎が答える。

「そうともよ、我が、その半端者の親狼を殺したのよ!」

 桐崎は、信仁にそう答えた。脂汗を垂らしつつ、口を耳まで裂くようにして、嗤いながら。

「……あ?狼?」

 息を呑む音が、大きく響いた。あたしは、それがあたし自身が発した音だと気付くのに、一瞬時間を要した。

「おや、小僧、知らなんだか?」

 本当に楽しそうに、桐崎は嗤う。

「小僧、おまえの隣に居るその娘はな……」

「やめて!」

 あたしは、言わせまいと、聞かせまいと、咄嗟に動いた。

 肩で信仁を突き飛ばし、そのまま前に出て木刀ゆぐどらしるで桐崎の口を貫こうと。

 けど、桐崎の口を塞ぐことは、出来なかった。

「……そいつはな。おぞましくも忌まわしいケダモノ、人狼ひとおおかみよ」


「ぐあっ……」

 衝撃で、あたしは三歩ほど後じさった。たまらず、片膝をつく。

 あたしの体に、さっき斬り落とした桐崎の両腕が、結晶性の刃を纏った左腕が右の肋骨の間を、先の右腕の切断面から生えた結晶の槍のような物が左の腹を、それぞれ突き刺し、貫いていた。

 突こうとした木刀ゆぐどらしるのおかげで、顔と心臓のあたりを真正面から貫かれるのは避けられたけど、焦りに任せて突いてしまったから、桐崎の両腕が急に動き、飛んできたのを弾くことが出来なかった。

「姐さん!てめぇ!」

「舐めるな小娘!小僧!我は夢魔のおさ夢紡姫ゆめつむぎひめの臣なるぞ!」

「っせえ!知るか!」

 立ち上がり、高笑いと共に言い放つ桐崎に、あたしに駆け寄った信仁は銃口を向ける。偶然、あたしが突き飛ばしたおかげで、信仁には桐崎の腕はかすりもしなかったらしい。

「大丈夫、なわけねぇな、しっかりしろ姐さん!」

 銃口を桐崎に向けたまま、信仁はあたしを左手で抱える。

「心配要らんぞ小僧、その娘は狼、その程度で死にはせん、そうだろう?」

「……」

 一言二言、あたしは桐崎に言い返したかった。けど、激痛と、肺に貯まる血が、あたしの喉を塞いでいた。声を出すどころか、呼吸すらままならない。なまじ心臓を外しているから、逆に出血が止まらない。

 確かに、この程度ではあたしは死にはしない。でも、死なないからこそ、痛みは、出血も、続くんだ。あたしは、歯を食いしばる。その隙間から、ダラダラと血が落ちる。

「……この……」

 やっとの思いで、あたしはそれだけ、言葉を絞り出した。


「どうしたどうした?ケダモノの娘。典侍ないしのすけの身内であれば、獣に変じてみれば良かろうよ。そも、我の刃など躱すも易かろうに?」

 両腕のない桐崎が、あたしを見下ろし、嗤う。

「半端者風情が、ケダモノ風情が我に刃向かおうなどと。おまえらにあの時、後れを取ったのが返す返すも口惜しいわ」

 憎々しげに、桐崎は吐き捨てる。あの時とはつまり、あたし達が封を解かれた時。あの時、あたし達姉妹は力を合わせて、コイツを押し戻すことに成功したから。

「その程度か?何故獣の姿にならぬ?我をまだ舐めているのか……いや、違うな?……さては、やはりおまえ……」

 見下すように嗤い、桐崎が言う。

「……獣に変じることすら出来ぬ、半端者、か」


 悔しかった。歯軋りするほど。その通りだったから。さっき、本気出してないのかも、とか思ったけど、出せない本気ならそれは意味が無い、今出せない力なら、それは最初から持ってないんだ。あたしは、ここまでの半端者なんだ。そう思い知らされたのが、本当に悔しかった。

「黙れ!」

 銃声が二つ、続けざまに響く。桐崎の肩が揺れる。信仁の撃った弾丸は、桐崎の両方の肩甲骨のあたりを貫いていた。

 よほど頭のネジが外れていない限り、人に向けて引き金を引くのは、正常な人には難しい。そのハードルを超えてしまうほど、信仁は激昂していた。あたしを抱える信仁の手から、その怒りが伝わってくる。

 でも、急所を、外した。いや、狙えないんだ。頭、心臓、正中線、いくら激昂していても、人の形をした物の急所を撃つ決心は、この後に及んでまだ無いんだ。当たり前だ、どんなに銃の扱いに慣れていても、射撃が上手くても、そして激昂していても、コイツは普通の人間、普通の高校生なんだから。人殺しは、出来ない。あたしは、激痛と失血で混濁する頭の片隅で、それを思った。

「痛いぞ、小僧」

 桐崎が、見下ろす視線を信仁に変えて、言う。

「この体は人のもの、傷つけば痛い……まあ、しかし、先日のあれ・・も含め、痛みを受けるのも久しぶり、何年ぶりか……」

 この時のあたしは、それどころじゃなかった事もあるけど、その意味はわからなかった。まあ、分かるはずも無かったけど。今はわかる。桐崎は、この何日か前に、青葉五月あおば さつきさんからダメージを受けていたんだって。

「……さて小僧、我に痛みをくれた褒美をやろう。受け取れ」

「な?っと?」

「ぐあ!」

 桐崎がそう言うのと、あたし達の背後の、道場の窓ガラスが割れる音と、あたしが、本能的に感じた危険に押されて無理矢理体を動かして信仁を押しのけたのが同時だった、と思う。その直後、あたしは背中から何かに貫かれ、呻きを吐いた。

「姐さん!」

 あたしの背中から腹を貫いていたのは、さっき東教室棟二階で斬った、桐崎の右腕の刃だった。


「……てめぇ!」

 あたしに押しのけられて右に倒れた信仁が、崩れた姿勢から拳銃を四発、連射した。弾丸が桐崎の胴体に吸い込まれ、貫通するのを、さらに増えた激痛でかすむ視界の片隅で、あたしは見た。見て、やはり急所は狙えていないのも、確認する。

 それで良い、あんたは、あたしのために怒ってくれるのは嬉しいけど、殺しちゃ駄目。

 桐崎が、倒れた。人の体で四発も弾丸をくらえば、人としては痩せぎすの体なら、そうなる。死ぬどころか、大したダメージではないだろうけど。

 でも、今しか無い。

 あたしは、弾倉を交換している信仁に、やっとの思いで、言った。

「抜い、て。この、腕」

「え?しかし」

 ぎょっとして、信仁はあたしを見た。

「大丈、夫、だから。自分、じゃ、出来、ない」

 昨日、出刃を刺された時もそうだ。普通なら、刺し傷の応急処置として、うかつに凶器を抜くのは御法度、止血出来る用意が無い時は抜いてはいけない。信仁は、それを知っている。

 けど。そういう「人間」の常識の、あたしはその外にいる。

「お願い、早、く」

「……わかった」

 決断が早い。あたしの知る範囲で、信仁はこういう時の決断が早い。なんかの小説の一節「明日思いつく最高の手より、今出来る最善の手」が座右の銘だって、前に言ってたっけ。そんな事を、あたしは思い出した。

 一番手近な、あたしの右胸に刺さる桐崎の左腕を抱えるようにして、あたしの左肩に手を置いた信仁が、言った。

「行くぞ」

 あたしは、歯を食いしばる。次の瞬間、ものすごい衝撃的が全身に走る。痛い、なんてもんじゃ無い。

「……ぐっ」

 でも、あたしは文字通り歯を食いしばって耐える。悲鳴を上げたら、信仁を戸惑わせてしまう。そして、これを抜いてもらわないと、あたしは動けないし、体も再生しない。

「……もう一つ、行くぞ」

 そのあたしを一瞬見て、信仁は迷わず次の一本、腹に刺さる槍を握る。

「ぐ!……っふ」

 衝撃的な激痛と、溢れ出す血と体液。斬られたり突かれたりは初めてじゃないけど、ここまでってのは滅多に無かった。

「大丈夫か、もう一つ行けるか?」

 あたしの背中に周りながら、信仁が流石に心配そうに声をかける。

「平気よ……お願い」

 肺に刺さってた刃が抜けたから、体に空いた穴から肺に貯まってた血が流れ出たから、声が少し出し易くなった。でも、笑顔で言ってやりたいけど、そんな余裕はさすがに無い。あたしは、目をつぶる、固く。次に来る痛みに備えて。

「じゃあ、もういっちょ行くぜ」

 あたしの背中で、あたしの左肩に信仁の手が置かれた。その時。

 急に、あたしのまぶたの裏が光る、丸く。全身に衝撃が走る。痛みじゃない。むしろ、快感。全身の毛が逆立つような、今まで感じたことのない、高揚感。

 まぶたの裏の満月を見て、あたしは理解した。

 桐崎が、あたしが目をつぶったその時を狙って、あたしと直接接している腕を通じて、あたしの心をいじり、あたしに満月を見せた・・・・・・のだ、と。


「……ぁあああっ!」

「うわ?」

 三本目、桐崎の右腕が抜けた瞬間と、あたしの叫びと、信仁の驚きが重なった。

 一瞬、あたしの全身から背筋をものすごい快感、いや、歓喜と言った方がいい感覚が駆け抜けた。膝をつき、のけぞったあたしは、直後に力が抜けて床に両手をついた。自分でも、息が上がっているのがわかる。

「あ、姐さん?大丈夫、か?」

 信仁が、信仁の心配そうな声がする。

「……大丈夫、何ともないよ」

 自分でも驚くくらい、すっと声が出た。左肩越しに振り向いたあたしは、桐崎の右腕をかかえた信仁が目を丸くしているのを見る。

「え?何?」

「いや、姐さん、その……」

「それが、その娘の本性よ」

 面白がっているのが丸わかりの、桐崎の声がした。

「うあっ!」

 信仁が抱えていた桐崎の右腕がすっぽ抜け、桐崎の声のした方に飛んでゆく。それを追うようにあたしは桐崎に視線を向ける。両腕が綺麗にくっつき、三本目の、右手の代わりに右腕に生やしていた槍を頭上に浮かせた桐崎がそこに居た。

「どうだ?あまりに情けないから力を貸してやったぞ?月臨観がちりんかんとか言ったか?くだらんケダモノのお前らの好物だったな」

「な……!」

 言われて、あたしは床についていた両手を見る。その手を顔の前に持って来て、もう一度見る。その手で、顔に触る。

 爪が、長い。鋭い。人の爪ではなく、獣の、狼の爪。顔も、顎が上も下も突き出しているのがわかる。

 体の後ろで、何かが動く。自分の体だ、見なくても分かる。尻尾だ。

 あたしは、半獣の姿、人狼ひとおおかみの姿になっていた。

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