第14話

「そんで、昨日の件なんだけど」

 翌日、試験休みだけど実家が遠いので寮に残っていた寿三郎じゅざぶろう真籬城まがき――そもそもこいつら帰国子女、実家はドイツだとか実は違うとか、まああたしはどっちでも良いんだけど――、逆に実家が近いんで――都心の築地、よく考えたらかじかの職場兼学校、聖ロカ病院及び看護学校の近所だ――日帰りで行き来出来る信仁しんじが集めた情報の整理の為、あたし達は男子寮の信仁と寿三郎の部屋――寮は基本的に二人部屋だ――に居た。試験休み期間中だし、当然全員私服だ。

「警視庁のリアルタイムの情報じゃないけど。まあ、第一報レベルよりちょっとマシ、くらいの感じか?」

 言って、寿三郎は自分の机の上のPCのモニタを、ベッドに腰掛けているあたしと真籬城に向けて回す。

 6畳ほどの二人部屋は、窓に向かって右の壁際に机が二つ、反対の壁に二段ベッド、入り口近くに衣装ロッカーと小物のタンスがそれぞれ二人分。この作りは、男子寮も女子寮も変わらない。

「……どっからとってくるのよ、こんな情報」

 うさんくさいサイトが表示されているその画面を見ながら、あたしは一応、聞いてみる。

「昔分捕ってきたあの裏サイトの情報、たまにアクセス権更新されるけど、今のところ追跡出来ててね。本庁のサーバーに直接、ってわけにはいかないが、限りなく一次情報に近いのを流してる奴が、本庁内部に居るって事だな」

「あきれた……それって背信行為、つか警察がそれで良いの?」

「持ちつ持たれつでやってる所もある、って事かもな。清濁併せ呑むというか、綺麗事だけじゃやってられないというのか」

「関東はまだマシだけど、西の方じゃ、ヤクザと警察の違いは給料の出所だけだって話じゃんか」

 警察関係者が聞いたら烈火の如く怒りそうな事を、寿三郎も信仁も平気で言う。まあ、以前に「アニキ」と呼ばれていた構成員からせしめた情報という、動かぬ証拠がここにあるんだから、そう言われても仕方ないのだろうけど。

「巴さんを刺した女性は、張本亮子二十三歳、台東区在住、職業はホステス。凶器の出所は本人の台所。供述は、事件の前後の記憶が混乱していて、動機は不明……巴さん、この方に恨まれる心当たりはありますか?」

 文字通り鈴が鳴るような綺麗な声で、サイトの記述をおおざっぱに要約して読み上げた真籬城が、振り向いてあたしにその大きな緑の瞳を向けて、尋ねる。たっぷりの白いセーターに薄ピンクのフレアのミニスカート、その下は濃紺のレギンス、綺麗に切りそろえた漆黒でロングめのボブ。活発めのカワイイを詰め込んだみたいな容姿の真籬城に、洗いざらしのベージュのトレーナーに履き古しのジーパンのあたしは、苦笑して皮肉っぽく答える。

「昨日警察でも言ったけどね、近所の不良に恨まれる覚えはあっても、都心の商売女に刺される動機はこれっぽっちも思いつかないわよ」

 相手は知り合いか、関係性はあるか……昨日、あの後警察にさんざん聞かれたことだが、あたしには全く心当たりが無い。

「学校側としては、事を大きくしたくない事もあって、通り魔的な傷害事件での幕引きを狙ってる。生徒会にもその線で対応しろって通達は来てる」

 あたしの後を継いで、ヨレヨレで灰色のスウェット上下、腰に届く長い髪を三つ編みにした、生徒会執行部風紀委員長でもある寿三郎が、バインダーに挟んだペラ紙を振りながら、言う。

「運良くマスコミも今のところ動いてない。生徒には一斉連絡メールで箝口令敷いてあるけど、あねさんのケガが大したことなかったし、取材が来ても三文記事以下の扱いにしか出来ないだろうな」

 寿三郎の、薄いスモークの大きな眼鏡の下の緑の瞳は、画面を見つめたままだ。

「通り魔的なヤツだとしても、だ」

 寿三郎の隣で、オリーブドラブのコマンドセーターにカーキのカーゴパンツの信仁が、安い事務椅子に後ろ前に座って背もたれを抱え込んで眉を寄せて、呟くように言う。

「面識も恨みもないヤツが、どうしてピンポイントで姐さんを狙ったか、だ。俺たちはあの時、姐さん達のちょっと後ろに居たんだけど、姐さんが刺されるまで、全く気配に気付かなかった」

「通り魔だろ?気配なんて」

「いや、通り魔だからこそ、目的がないなら姐さん以外の誰を刺しても良かったはずだ。だが、そいつは姐さんより前の生徒はスルーしてる。それに、そんな奴は、なんかやらかす気配が最初っから漏れてるもんだし……」

「ああ……そういう事か」

 寿三郎が首肯する。あたしも、信仁の言いたい事は分かった。不審者、あるいは狂人だったなら、最初から刃物をちらつかせたり、そうでなくても不審行動があっただろう。あたし以前にすれ違った生徒が刺されていても、別に不思議は無い。まあ、あたしが悪目立ちするから目についた、ってのはアリかも知んないけど。

 あたしに恨みか何かあって狙ったのなら、いくらあの時のあたしがボケていたとしてもその気配、殺気に気付いたろうし、信仁を含めて、周りに居た勘のいい何人かだって気付いたろう。逆に、事前に隠し持った武器や気配を見せない程の、刺す瞬間に素早く凶器を出せる程の手練れであったなら、その後素人に取り押さえられるような不手際はなかっただろう。

「つまり、その女性は、巴さんだけを狙った、でも殺意も動機も何も無い、という事ですか?」

「その通りなんだが……調書によれば、事件前後の記憶が飛んでる以外は受け答えに不審はないらしい。裏というか、姐さんを刺した理由がどうにも腑に落ちねえ」

 真籬城に尋ねられて、寿三郎は腕を組む。

「学校側の対応は?」

「さっき言ったとおり、事を荒立てたくないのが基本だ。警察も、姐さんがかすり傷だから、傷害じゃなくて傷害未遂で済ませられないか検討しているらしいし、学校側も基本は同意の方向らしい。一応、警備会社には連絡済みだが、警備強化とか特にそういう動きはない、今のところはな」

「要するに、まだ何も分からずじまいって事か……じゃあ、何か動きがあったら教えとくれ」

 信仁の問いに答えた寿三郎に、あたしはそう言ってベッドから腰を上げた。

「姐さん、どっか行くのか?」

「ああ、法務から呼び出しくらってんだよ。昨日の事の調書、学校側にも出せってね」

 尋ねる信仁に、肩をすくめてあたしは答える。休日とはいえ、学校に行くなら制服に着替えないといけない。制服のスカートじゃ、バイクでひとっ走り、ってわけにもいかない。

「そいつはご苦労さんっす、って事は、書記長も居るんですかい?」

「絵里子は里帰りしてるよ、結奈が代役だってさ」

 うちの学校の場合、部活も委員会もだいたい夏前後に代替わりする。今の生徒会法務部書記委員長、略して書記長は二年の古膳絵里子ふるぜん えりこ、ただし試験休みでこれまた帰省中なので、今日は先代の書記長の三年生の紐緒結奈ひもお ゆなが、休日返上、というより寮に残っていたために代打を買って出ていた。あたしとしても、後輩の手を煩わせるよりは、気心の知れた悪友の方がなんぼか気が楽だ。

「スリーアネーゴス未だ健在っすか……あ、この後、雨降るらしいっすから、気を付けて」

「その呼び方止めてよ……じゃね」

 あたしと結奈と美羅みら、先代の生徒会執行部、法務部、主計部の部長三人をまとめて呼ぶその呼び方は、あたしはあんまり気にいってない。あたしは、信仁を軽く睨みつけてから手を振って、部屋を出た。

 この時は、まさかこの後、あんな一大事なるとは夢にも思っていなかった。

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