第11話
「それでね。話が逸れたけど、さっきの「睡魔」は「元から人ではなく、体も持たない」に分類されるモノね。じゃあ、「夢魔」とはなんぞや?って事だけど、ごく簡単に言うと、ほとんどの夢魔は、睡魔が成長し変化したもの、という理解で間違いはないわ」
鰍は、一旦唇と喉をビールで湿らせてから、言葉を繋ぐ。
「さっきも言ったけど、睡魔には基本的に自我も意思もないの。ただ近くに居る対象に取り憑き、眠らせ、対象が見る夢から精気をかすめ取る、それだけの生き物……なのかな。とにかく、ほとんどの睡魔はその程度のもの、取り憑くことは出来ても必ず眠らせることが出来るわけでもないし、ましてや夢を見せる能力はほぼ持っていない、そういうもの、なんだけど。ごくまれに、何度も取り憑きを繰り返しているうちに、必ず眠らせることが出来る程度に強くなったり、高確率で夢を見せる事が出来るようになる個体が出てくるの。要するに、何度も繰り返して学習するのね。そういう個体は精気を吸うのも上手いから、睡魔としては強力な個体になって、そのうち子株をバラ撒いたりするんだけど、その中でもさらに成長、学習をするヤツが出てくるのね。まあ、所詮は睡魔、学習しても基本的にはたかが知れてるんだけど、二つばかりやっかいなことを学習する奴がごくまれにいてね。一つは、取り憑きを繰り返すより特定の個体に取り憑き続ける方が効率がいいことを学ぶ奴。もう一つは、特定の夢を見せると効率的に精気を吸えることを学んだ奴。夢見が悪いとかいって市井の拝み屋に相談に来るのは、たいがいここら辺の睡魔に取り憑かれてる被害者なんだけど、五月さん、そういうの、経験あります?」
鰍は、一旦話を五月に振る。振られた五月は、ちょっと考え込んで、
「……そうですね、確かに、そんな感じの依頼者は何度か受けたことありますね。祓った後は、すっきり眠れるってお礼を言われたこと、何度かあります」
「その依頼の全部がそうだって事でもないんだろうけど、まあ半分くらいは、今言った強い睡魔だったんじゃないかって感じですかね。まあでも、強いって言っても所詮は睡魔なんだけど、さっき言った二つの条件を同時に学習しちゃう奴がごくまれに居て。こうなるとやっかいなの」
「どう、やっかいなんですか?」
仕事柄の興味もあるのだろう、
「……確実に相手を眠らせる。確実に夢を見せ、大量の精気を吸い取る。これが出来るようになるって言うことは?」
「あ……だから、「夢魔は成長した睡魔」なんですね?はい」
鰍は、蒲田の回答を頷いて肯定する。肯定して、
「でも、能力としては夢魔と区別つかなくなってきてるけど、まだこの時点では「協会」が認定する夢魔ではないの」
一度言葉を途切り、唇を舐めた。
「強力でやっかいではあるけど、まだこのレベルだと自我に相当するモノはないから、祓うのはそれ程難しくはないわ。睡魔である限り、滅多に反撃してこないし、したとしてもこっちの隙を突くようなことはしないもの。でも、夢魔は違う。自我があり、知恵を持ち、時に被害者が起きているときでさえその行動を支配する。外からの祈祷の類いはほとんど効果がなく、夢の中から追い出す以外に今のところ有効な手がない。そもそも「協会」は元々は「
その頃の経緯を話でしか知らない鰍は、その経緯を身をもって体験しているはずの祖母に確認する。
「まー、色々あったけどね。ざっくりそんな感じ。ま、今でも合併反対派なんてのも居るけどね。でも、あたしたちはたいがい拝み屋の仕事も出来るけど、普通の拝み屋に本物の夢魔の相手は、滅多なことでは出来ないわ」
円は、五月に向き直って、言葉を続ける。
「五月ちゃんのお母さんみたいな事故を増やさないためにも、横の連絡の通りを良くするのは必要で、そのためには各団体が合併して情報を一元化するのが一番効果的だって、当時の幹部連中で合意したのよ」
「……わかります、それ」
五月も、小さく頷いて、答える。あの状況では、たとえ横の連絡があっても間に合わなかっただろう。けれど、母が倒れた情報が今の「協会」のような組織に伝わっていたならば、もしかしたら、すぐに追っ手がかかり、即座に追い打ちがかけられたかも知れない。拝み屋同士、占い師同士の縄張り争いを嫌と言うほど経験している五月は、そういった統制をとる組織の存在を無意識に望んでいたのだと、今改めて気付いていた。
「夢魔と睡魔の違いはね、夢魔は智恵が付いてるって事なの」
鰍が、改めて説明を続ける。
「智恵というか、自我がある、っていうのがまず一番違うところかな。自我があるから、祓われるのを嫌がる、どうすれば祓われないかを考える、祓われないためにあの手この手を繰り出してくる。どれほど自我が強いか、知恵を付けているかによっても違うけど、睡魔とは段違いに手強いの」
改めて喉を湿らせてから、鰍は続ける。
「どうやって睡魔が自我を得て夢魔になるか、よく分かってないけど、宿主を固定した事で、宿主の自我に影響を受けるんじゃないかってのが有力な説になってるわ。だから、割と穏やかな夢魔も居るし、猛々しいのも居る、そのあたりは、出会ってみないと分からないってのも、やっかいな点の一つね。何しろ、相手の土俵で勝負するんだから」
立って話すのに疲れたのか、鰍は手近な椅子に腰掛ける。
「自我を持ち、知恵を付け、人に取り憑き、眠らせ、夢を、特に好んで悪夢を見せる。何故なら、夢を見る者の感情の揺れ、その振幅が大きいほど夢魔も睡魔も精気を多く吸い取る事が出来る。夢魔とはそういうものであって、それが故に、人の精神に寄生するのであるから己もまた精神だけの存在であって、肉の体は持たない。本来の夢魔は、つまりこんな感じで説明されるものね」
手酌でグラスにビールを注ぎ直しながら、鰍は言って、注いだビールを半分ほど呑む。
「さて、ここで本題の、肉の体を持つ夢魔の話。これはつまり、夢魔はどうやって増えるか、って話になるの。さっき、充分に精気を吸った睡魔は子株をバラ撒くって言ったの、覚えてる?」
誰に聞くでもなく、鰍はそう問う。
「バラ撒かれた子株の睡魔は、上手いこと人に取り憑いて精気を吸えればよし、そうで無いものは衰弱して消滅する。上手く吸えたとしても、より強い睡魔に吸収されることもある。睡魔の世界も、割とせちがらいのよね」
軽く笑って、鰍は続ける。
「そうなると、夢魔としては、知恵が付いている分、より確実に子孫を増やすことを考える。そこで質問なんだけど、誰か、西洋における悪魔が子を成すやり方、知ってます?」
今度は、鰍は明確に、自分の身内以外に対して質問した。
「……鰍様のおっしゃってるのがインクブス、スクブスといったいわゆる淫魔のことでしたら、男女に淫夢を見せて男の精を奪い、女の腹に植え付ける。でもそれは……」
玲子が、自分の知識から引き出した回答を述べる。鰍はそれを聞いて微笑み、
「流石。玲子ちゃん、ご名答よ。確かにそれは、不貞を働いた娘を正当化する言い訳に使われたんだけど、じゃあなんでそれが言い訳になったかって言えば、それはそういう事実が、ごくまれにではあっても実在したから、なの。つまり、ここで言う夢魔と、今出てきた淫魔との線引きは難しくて、むしろほとんどの場合で同一なものと見るべき、って事ね。そして、夢魔は目的を持ってそれを行った。その目的とはつまり……」
「……夢魔の子を増やすため……?」
「……その通り、よ」
「この方法で、夢魔は成長した睡魔からではなく、最初から夢魔として生まれる事が出来た。どうやってその方法を編み出したのかはわからない。けど、事実はそういうこと。多くの場合で夢魔は分娩の以前に肉体を離れて精神体として独立し、生み出すための宿主になった胎児は精気の全てを奪われて死産となる。そして、こうして生まれた夢魔は、親の影響を受けて誕生の瞬間から自我を持つ。ここまでは、研究から明らかになってるわ」
一旦、鰍は言葉を途切る。来るはずの質問を、生まれるはずの疑問を、待った。
「……研究から、ですか……?……それは、もしや……」
玲子が、おそるおそる、聞いた。聞いてはならぬ事をあえて聞く、そんな声色で。
その玲子に、ゆっくりと頷いて、鰍も答える。
「そうよ。研究から、言い換えれば、実験から、よ」
玲子が息を呑んだのが、柾木にも分かった。
「さっきからアタシは、多くの場合とか、ほとんどの、とか言ってるけど、それはつまり例外があるって事。ここで言う例外ってのは、大きく二つ。一つは、今言った、分娩の時点で肉体を捨てる、それが出来なくて肉体を持ったまま生まれる夢魔もまれに居るという事。もう一つは、そもそも睡魔が夢魔に成長する時点で、夢魔の自我は宿主に影響される、それはつまり、人のそれに近い自我を持つ夢魔も存在する、という事よ」
「それは……つまり……」
「つまり、人の姿を持ち、人の自我を持った夢魔も、まれではあるが存在する、そういう事よ……その自我が、善人か悪党かに関係なく、ね」
「では……」
「そうよ。人の心を、本当に人間らしい自我を持つ夢魔も居るって事。肉体を持つ持たないに関係なく、ね」
玲子の問いかけにそう答えて、鰍は一度言葉を切った。
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