第8話 シュガーソングとビターステップ★

 講堂の中では自由な空間が広がっている。

 中央で踊るペアが見える。それを見てグラスに注がれた飲み物を啜る者。そこは私にとって輝かしい景色だった。

 こんなにも満たされた景色は、私にはちょっと眩しすぎるかもしれない。

 目が眩んで立ちくらみが起きそうだ。

 みんな美しいドレスに身を包み上品に振舞っている。まだ大人にはなれていないのに、そこは大人しかいない雰囲気だ。

 比べて私はあまりにも質素な服装で逆に目立つ。恥ずかしさが徐々に現れていく。

「あなた達、遅いわよ。歓迎会はとっくに始まってるわ」

 眼鏡をかけた真面目そうな天使だった。

 真面目さが一周回って高圧的な態度を生んでいる。

「残念なお知らせがあるわ。飲み物だけど、先程、飲み物が入った樽が幾つか消失したわ。残っているのはオレンジジュースとブドウジュースしかないわ。もし飲み物が欲しいなら自由にグラスを取って各自入れなさい」

 淡々と説明は終わった。

 彼女がきびすを返し後ろ姿を見せた。艶やかな水色のおかっぱが瞳から離れなくなっていた。

「はー。炭酸飲料ってどんな味なのかなー。うち、ハルの爪の飲み物も美味しく飲めるぐらいにドリンクが好きなんだよねー。飲みたかったなー、炭・酸・飲・料。誰なの、樽を消失させたのはー」

 いや、あんたでしょ!

 突っ込まずにはいられなかった。


 中央でまるで王子様の天使と美しい装飾を施されたドレスを着た天使が踊り始めた。とても綺麗で目を見張るものがある。いつまでも眺めていられそうだ。

「このままじゃ、俺は一生、負けたままだ」

 ボソッと聞こえたその言葉に二人の踊りを見失った。

 声する方向には発生主のアサヒはいない。

 気のせいかなと再び中央に目を向けようとした時──


「俺らも中央で踊るぞ」


 不意に腕を掴まれた。強引に踊りをさせようとしてきた。思わず強く手を振り払った。

 その反動で近くにいたノナミに手が当たり、手に持っていたグラスが床に落ちた。

 パリーン。

 その瞬き、会場は静かになった。

 今の私にはノナミの「うちのブドウジュースがぁ」という嘆きは耳には入らなくなっていた。私もまた何も考えられなくなっていた。


 向けられる数多もの視線。

 いたたまれない。もうここにはいられない。ここから逃げ出したい。

「どうして俺に尽くさないんだ。じゃなきゃ、俺らはこのまま落ちこぼれになっちまうんだぞ」

 何故だろうか。目の前にいるアサヒには賛同できない。

「私が間違ってるのは知ってる。けどさ、私はモノじゃない!」

 私はこの中では欠陥品だ。

 人間の中でも天使と接することを許された存在であるサクリ。サクリは天使に尽くすことが使命である。

 私は全く使命を果たせていない。

 そんな私が情けない。

 もう逃げてしまいたい。

「ごめん。頭冷やしてくる」

 無我夢中になって出口へと向かう。

 視界は大分狭くなっていた。思わず誰かとぶつかってしまった。

「大丈夫かい。……怪我はないかい」

 さらりと出された腕に、無意識の内に手を出して、その腕に捕まって立ち上がった。手を差し伸べたのは中央で踊っていた王子様のような天使だった。

「すみませんでした」

「気にしないで。君に怪我がなくて良かったよ」

 講堂を出て、水道へと向かった。

 蛇口を捻ると出る冷たいそれを頭から被る。シャワーの熱さと違った気持ちよさがある。段々と、怒りが和らいでいく気持ちよさだ。

 一呼吸置く。

 戻りたくはないけど戻らなければいけない。私の地位は低い。こんな馬鹿げたことをやってはいけない。そんなことをやってしまった自分が嫌になる。

 渋々、講堂へと戻った。できるだけ影に隠れてやり過ごそう。

 そう思ったが、

「戻るのを待ってたよ。実は、一つお願いがあってさ」

 先程手を伸ばした王子様系だった。

「僕と踊ってくれないかな」

 否定なら沢山出てくる。けれども、彼はやんわりと答えていった。

 踊れない。──身を任すだけでいい。

 恥ずかしい。──みんな気にしちゃいない。

 服装もそんなにだし。──そんなことない。

 いつの間にか私は彼と踊るのを承諾していた。

 私はアサヒに仕えなければならないのに、主人をそっちのけで目の前の彼と踊ることを選んだ。

 また私は愚かな選択肢を選んだ。

 彼の鮮やかな踊り。素晴らしいエスコートによって私も上手く踊れている。

「初めてなのに上手いね。上手く委ねてくらているよ。君なら素晴らしいサクリになれるよ」

「私は……愚かなサクリにしかなれないよ。主人を置いてきぼりだし」

「だからかな。今の君の主人は迷子なんだ。君ならきっと道標になれる」

 甘い歌を背景に軽やかに舞っていく。けれども、そのステップはほろ苦い。アサヒと踊ってないということが尾を引いて苦さをより際立たせる。

「どういうことですか?」

「アサヒは、ずっと僕と比べられてきた。そのせいで深いコンプレックスを抱えてる。今もそのせいで空振りをしてるんだ。けど、このままだと──」

 ゆっくりとフィナーレが近づいてきた。

「そうそう。名乗るのを忘れてたね。僕の名前はホシノ。アサヒの従兄弟さ。アサヒをよろしく頼むよ」

 最後のシメは私を全面に押し出したポーズだった。

 数多の視線が集まっていく。けれども、その視線は嫌とは思えなかった。心の中にある高揚感が喜びを生み出しているのが分かる。

 ん──!?

 掴まれた腕。そこにはアサヒがいた。

 どこか余裕のないように見える。

「ナルミはお前のじゃない。ナルミは俺のモンだ」

 握られた腕から余裕のなさがひしひしと伝わる。

 彼はとても苦しそうに見えた。

 彼の瞳はとても切羽詰まっていた。

「俺と踊れ」

「これだけは譲れない。今のあなたとは……踊れない」

 私のプライドが彼を拒絶していた。

 これだけは譲れないと心が強く主張していた。

 ごめんなさい。例え間違いだとしても、目の前の傲慢さを前に譲ることができなかった。

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