第084話○箱根の夜

 神奈急新宿駅から始まった特典映像の収録はとても順調に進んだ。乗る一本前の先頭車両で撮影をしたあとは、そのまま後ろの方まで移動して、16時20分発の電車に乗り込む。車内では圭司との会話のほか、窓の外を眺めたり、車内を歩いたりするところが撮影された。


 私が乗っている車両には関係者以外誰も乗っていないのを不思議に思って、神奈急の方に尋ねたら、いつもだと6両編成の所をわざわざ10両編成にして、1両分を貸し切りにしてくれているのだとか。ちょっと驚いてしまったら、太田さんが「今回はライブブルーレイの撮影だけじゃなくて、神奈急さんの箱根宣伝用ポスターとして美愛を起用してもらう契約もしているのよ。」と説明してくれた。いろいろなやり方があるのだと感心してしまう。


 電車は無事に小田原駅に到着した。いま乗っているのは小田原止まりだというアナウンスが流れている。


「あれ?降りないんですか?」

「このまま乗ってて。普通のお客様はここで降りるけど、私たちはこのまま箱根湯本まで行くから。」


 また神奈急さんの特別対応があるらしい。10分くらい止まっていたけどアナウンスもなしにそのまま動き出した。撮影はまだ続いている。


「ここからは電車全部が貸し切り状態なんですね。」

「はい、そうなります。ただ、箱根湯本に入る直前で通常と同じ車内アナウンスが流れます。」


 神奈急の方が丁寧に説明してくれる。


「撮影の都合ね。そこはブルーレイでも大事だからちゃんと反応してね。」

「はい、判りました!」


 箱根湯本に着いた。ここからはロケバスで旅館まで行く。今日泊まるのは箱根駅伝でも有名な箱根はこね大湧苑おおわきえん。外が暗いのでわかりにくいけど、所々で見える風景がお正月の駅伝を思い出させる。


「箱根駅伝でよく見る風景だよね。」

「ああ、そうだな。うちの大学は今年もシード権取ってたから来年の正月も出場するな。まあ、早緑さんはきっと正月も生放送とかで忙しそうだけど。」

「それは仕方ないよね。むしろ年末年始に暇なのはアイドルとしてはどうかと思うし。」

「そうだなあ、年末かあ……。大晦日にNKHの紅白歌謡祭に出られたらすごいけどなあ。」

「確かに出られたらすごいし嬉しいけどどうかなあ……。」


 そうか、紅白歌謡祭。そんなのは自分とは縁がないと思っていたけど、少しくらい夢を見てもいいのかもしれない。私たちを乗せたロケバスは大平台のヘアピンカーブも宮ノ下の急坂もどんどん進み、山道を登り続け、20分くらいで大湧苑にたどり着いた。


 ホテルの前からロケは再スタート。ホテルの女将がみずから出迎えて下さって恐縮する。

 案内された部屋はホテルの最上階。とにかく天井が高い!

 到着した時点で既に18時を過ぎていたため、まずは食事のシーンからとなる。夕食は泊まっている建物から少し離れた建物に用意されていた。国の登録有形文化財に指定されているという建物はすごく豪華で、出てくる料理も和洋折衷の素晴らしいものだった。まだ20歳にもなっていない私がこんな贅沢をしてもいいのかと恐縮してしまうのだけど。

 21時くらいまで食事をして、引き続き、カメラを回しながら女将の案内でホテルの中を巡る。大浴場については、そのまま入るように話をしたけど、実際には24時に一般客の受け付けが終了してからの撮影となる。

 その後は部屋に戻って、最上階にある特別客室の説明を受ける。シーンとしては、到着すぐに部屋へ入ったという流れで台本が書かれているので、部屋にある露天風呂は軽く手を触れるだけ。


 温泉の収録まで時間があるなあ、と思っていたら、部屋の中にある少し高くなった部分で外を眺めながら話をするシーンを取るそうだ。これは特典ブルーレイに旅行とは別のチャプターとしてまとめられて、収録するんだとか。このシーンは圭司が台本を見ながら話し相手となってくれる。圭司が話している部分は無音処理されてテロップになるので、圭司が話し終わってから一呼吸置いて話し始めて欲しい、とのこと。


 撮影が終わったらちょうどいい時間になったらしい。ホテルの方の誘導で大浴場へ向かう。

 大浴場の一角に設置された更衣スペースでストラップレスのビキニ水着に着替えて、お湯に浸かる。水着が映らないように上手く設置された3台のカメラが撮影して、今日の撮影は終了。実質的に10分程度の撮影だけど、このシーンはブルーレイに使わなかった映像を再編集して、宿の広報用動画にも使われるのだとか。


 ストラップレス水着から浴衣に着替えて、水着は太田さんに渡す。


 撮影で使用した部屋は機材がたくさん設置されていることもあって、泊まるのは隣の部屋が用意されている。もちろん圭司と同室のツインだ。


「もうすぐ25時ね。今日は一日お疲れ様。明日は二人が大学に間に合うように朝食を収録する関係で6時になっちゃうけど、赦してね。」

「いえいえ、助かります。」

「明日の件だけど、打ち合わせ通り、宿を出るところまで収録して、部屋で着替えてもらって宿から大学へ直接送るわね。夕方に新宿駅で到着シーンだけ撮るから服はいったん戻してちょうだい。5時半頃、部屋へ迎えに行くので、短い時間だけどそれまでゆっくりして。おやすみ、いい夢を。」

「「お疲れ様でした。」」


 太田さんと別れて部屋に入る。


「圭司も今日は本当にありがとう。」

「うん、未亜はお疲れ様。」

「あまりゆっくりできないけどとりあえず部屋の露天風呂に入ろうか。」

「そうだね。」


 露天風呂と部屋の間にはブラインドがあって、全部下ろすと脱衣スペースも出来る。とりあえず、お湯を溜めはじめる。


「……あの……その……未亜。」

「ん?圭司どうしたの?」


 圭司が顔を真っ赤にしている……。なんだろう?


「……えーと……もしいやじゃなかったら……一緒に入らないか?」

「……えっ。」

「せっかくだから……一緒に入りたいなって思ったから……。その……ストレートにいってみた……。あっ、今日はその、まだちょっとなんというか、いろいろ難しいからその先とかは考えてないんだけど、仕事中だし……。アレもないし……。」


 とてもうれしい!


「……うん!一緒に……。」


 でも、そこで私は大事なことを思い出した!


「あっ!えーと……その……。」

「……やっぱりタイミングが良くなかったかな……。」

「ううん!違うの!その……下着が今日は普段使いので……あとブラとショーツが不揃いで……。」

「あっ!そうか!女性はそういうのも……。ごめん。」

「いや!大丈夫!……えっと、そうしたら……えーと、お互いに後ろを向いて……脱ごっか……。」

「あっ、うん……もともと……そのつもりで……。」

「あー!ほんと、いろいろとごめん!じ、じゃあ、後ろ向くね!」


 お互い後ろを向いて浴衣を脱ぎ、ベッドに置いた。それを期待していたとはいっても圭司の前で一糸纏わぬ姿になるのはやっぱりものすごいドキドキする。

 せーので向かい合って、初めて見る男性の裸にドギマギしていたら圭司が手を差し伸べてくれたので手をつないで露天風呂まで行って一緒に湯船に浸かる。背中から圭司に抱きしめられる。照れてしまって何も会話は出来なかったけど、とても幸せな気分で、身も心もあたたかくなれた。

 そして、今日は初めて、二人で同じベッドに入って眠った。圭司の腕枕はとても心地よかった。翌朝5時起きはものすごい眠かったけど。


 圭司も少しずつ先へ進んでいる、愛する人と一緒に進んでいる、と実感できた。私はそのきっかけになれたんだよね……。

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