第057話●宴のあと

 本当に怒濤のような一ヶ月が終わった。

 横浜公演の当日は撤収したのち、ご飯を食べてすぐにホテルの部屋で寝てしまってそのまま朝になった。今日は夜にライブの打ち上げがあるので、横浜からタクシーで家まで二人で帰る。二人で移動するときはすっかりタクシーになってしまったなあ、と面白く感じる。太田さんや大山さん、バンドメンバーもみんないったん家に帰ってから集合するようだ。


「とりあえずいったんただいま!かえってきたねー!」

「でもまたすぐ出かけるんだけどな。」


 とりあえず汚れ物を洗濯機に入れて回しはじめる。乾燥はもちろんガス乾燥。その間にコーヒーを沸かして一息つく。


「ツアー、無事終わったねー。圭司、本当にいろいろとありがとう。」

「好きでやったことだから気にしないで。それにしてもこの一ヶ月で未亜は精神的にも経験的にも相当前へ進んだような気がするよ。」

「そうかなあ。圭司に助けてもらってばかりで、本人はあまり変わらないような気がするけど。」

「あれだけのハードスケジュールと突然の会場変更をやりきったんだから間違いなくタフになったし、成長できていると思う。」

「えへへー、圭司に褒められるとそんな気がしてくるね!」


 そんな雑談をしている間に再び出かける時間となった。アプリで呼んだタクシーに乗り込むと未亜のスマホにRINEが来たみたいだ。


「あっ、百合ちゃんからRINEが来たよ。」

「百合はなんだって?」

「楽しかった、ありがとうって!楽しんでもらえて良かったよ!」

「それは何よりだなあ。……あっ、同報だったのか。こっちにも来てたよ。」

「さすが百合ちゃんだね、私だけに送ったっていうことはなかった!」


 打ち上げは新宿の事務所近くにある事務所御用達の個室焼肉で17時スタート。

 飲んで食べて、どんちゃん騒ぎ、という宴会だったのだが、ここぞとばかりに俺の本を持ってくる人が多くて驚いた。

 大山さんが

「実は孫があんたの大ファンでね。サインをもらってきてくれってうるさくてさあ。」

 とこれまでに刊行しているすべての本を持ってきたかとおもうとそれに続いて太田さんまで

「夫が先生の電子書籍を全部持っている大ファンってこの前判明したの。今日いったん家に帰ったら『庸子ようこが担当しているならサインもらってきてくれ』って、わざわざ買ってきた本を渡されちゃったんで、本当に申し訳ないんだけど……。」

 と真新しい本を持ってきたのはびっくりした。太田さんが結婚されているのは左手の薬指に結婚指輪をしているので判ってはいたけど、まさか太田さんのご主人が俺のファンだったなんて……。

 こんなに多くの人に読んでもらっているんだなあ、と嬉しくなるとともに身が引き締まる思いになった。


 宴会自体は、本当に盛り上がって、いろいろな話が出来て楽しかったが、終わったんだなあ、と思うとほっとしたような寂しいような不思議な気持ちになった。


 20時過ぎに終わった打ち上げからの帰宅はまたもタクシー。出かけるときに風呂は沸かしておいたので、未亜が先に入るように促す。体に焼き肉のにおいがついているような気がして、ルームウェアには着替えず、外出着のまま、ソファーに座ってなんとなくテレビをつけていると聴いたことのある名前がきこえてきた。


「あれ?大渡おおわたり恭正きょうせいさんって、『渋谷バラード』を書いてくれている人だよね?」


 未亜がちょうど風呂から出てきたみたいだ。


「やっぱりそうだよな?」


 大渡恭正さんは早緑美愛の代表的なシリーズソングとなりつつある「渋谷バラード」4曲の作詞作曲編曲をすべて手がけている方だ。ほかにも大崎の女性アイドルだと小暮こぐれ静香しずか曽野その文那ふみなにも曲を提供している。バラエティ番組にゲスト出演しているようで、街を散策しながらMCをしているお笑いコンビ「ヘップバーン」の古森ふるもり昌康まさやすさんとトークをしている。


「この古森さんって、うちの大学のOBなんだよな。」

「そういえば、そんな話を聞いたことがあるね。」


 番組が進むと見慣れた風景が出てきた。


「「えっ!?そうなの!?」」


 二人でハモってしまったが、画面には「大渡の通う大学」として、未亜と俺の通っている哲学館大学が映っている。文学部の二年生とのこと。


「まさか、大渡さんが学生で、しかも大学の先輩だったなんて。」

「いや、これはびっくりだな……。もっと年上の方だと思っていたよ……。」

「キャンパスですれ違うこともあるかもしれないね。」

「まあ、すれ違っても向こうは未亜が早緑美愛だって、たぶん判らないだろうけど。」

「確かに!判っちゃうのは逆に困るしなあ。」

「未亜は、そのうち、仕事で会う機会もありそうだよな。」

「曲を書いてくれている人とはなかなか会う機会がないからね。書いて下さっている皆さんには一度お目にかかってみたいんだけど。」

「あっ、番組はもうおしまいだね。じゃあ、風呂入ってきちゃう。」

「うん、ゆっくりしてきてね。」


 風呂から出ると未亜はうとうとしていた。俺もさすがに眠いので、まだ早めの時間だったけど寝ることにした。


 そして、翌日は本分である学業の結果が返ってくる日だ。9時以降に大学の学生専用サイトへアクセスすると学籍番号と入学時に指定したパスワードで成績が閲覧できるようになっている。俺は家ではデスクトップパソコン、出先ではタブレットを使って執筆していたけど、出先で仕事をするためにツアーの前にノートパソコンも購入した。未亜は元々大学生協推薦のノートパソコンでレポートなんかを書いている。

 いまは二人でそれぞれのノートパソコンをダイニングのテーブルへ持ってきている。それぞれログインして、成績を確認し合おうというちょっとしたイベントだ。


「いっせいのせ!」

「……よし!」

「私も全部クリア!」

「おお、よかった!」

「良かったー!二人とも全部ちゃんと単位取れたね。」

「秋学期もこんな感じで着実に単位を取っていかないとな。」

「助け合って頑張ろうね。」

「よし、安心したところで、そろそろお互い出かけようか。」

「そだね!今日は私はジャパンテレビでクイズ番組だね。クイズは苦手なんだよねー。」

「それはなかなか大変だなあ。頑張って!俺の方は漫談社で打ち合わせをしてくるよ。多分俺の方が早いから晩ご飯は作っておくね。」

「ありがとう!よろしくね!」


 本当に毎日が充実している。いままでだって問題はなかった。このあともこんな感じの毎日が続く。だからこれからも大丈夫。


 そう思っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る