第048話○切り替わる気持ち

 みんなが期待してくれているのは判る。自分でもやってみたいという思いもある。でもそれ以上に不安、心配、葛藤がなんかごちゃ混ぜになって、自分でもよく判らない気持ちになってしまっている。さっきから圭司がこちらを心配そうに見てくれている。それもまたとても複雑な気持ちを上書きしてしまう。どうしたんだろう、なんでこんな気持ちになっているんだろう……。


 そんなごちゃ混ぜの思いを抱いてぼんやりしていると圭司が何かを思いついたような顔をした。


「……あのさ、そういえば、中野の前ってどんな感じだったんだ?」

「えっ?」


 圭司が突然前のことを聞いてくる。こんな時になんだろう?


「いや、中野の時ってさ、俺の記憶に間違いがなければ、それまで300人くらいの箱でやってきたのが急に7倍になったじゃない。プレッシャーとかってどうだったのかなって、ふと思ったんだよね。」


 私は、太田さんの方針もあって、50人規模とかの本当に小さなライブハウスから順番に活動を進めてきた。少しずつ大きくなっていくのはとても楽しかったし、やりがいもあった。

 そして、高校三年生の冬には300人くらいのライブハウスでライブをやれるくらいになっていた。次は500人くらいの規模のライブハウスだろうと思っていたところに告知されたのは2000人規模の中野ムーンプラザだった。あのときのプレッシャーは本当にすごかったけど、太田さんの巧みなテレビ出演などによる宣伝活動、所属レーベルのプッシュ、それと周囲の助けもあって、それまでのライブハウスでは達成できなかった満員SOLD-OUTを達成できた。


「……あっ。」


 なんだ、そういうことだったんだ!


「……そうか、そうだよね。」


 そうだ、私はもう7倍のステップアップを体験しているんだ。しかもいまは太田さんや素敵なスタッフだけでなく、私のことを中心に考えてくれる最愛の人もいる。大丈夫、太田さんと事務所やバンドのみんな、そして圭司が一緒なら絶対にやりきれる。


「どう?」

「うん。……さすが圭司だね。」

「いや、俺は中野の前ってどうだったのか聞いただけだよ?」

「そうだけどさ。」

「何か得られたなら、うん。」

「うん!ありがとう!」


 この人は本当にすごい。なんというか本当に私と同い年なんだろうか。


「よし、そろそろ、着替えてきた方がいい。早緑美愛になって臨戦態勢だよ。」

「そだね!いってくる!」


 いよいよ18時まであと少し。16階の更衣室でさみあんモードにチェンジすると不思議と気持ちが落ち着く。圭司を迎えにいったん、ミーティングルームへ戻る。


「じゃあ、配信の部屋へ移動しよう。」

「うん、俺は隣の会議室で配信を見ているよ。まあさ、今回の件は別に早緑美愛が悪いわけではないし、最近急に増えたファンにとってはライブを見に行けるいい機会になったって前向きに行こう。」


 いつもの大会議室へ移動する前に圭司の何気ない、ううん、多分彼のことだから相当練り込んで掛けてくれた一言。圭司は本当にいつも私が欲しい言葉を惜しげもなくくれる。


 大会議室に入って、準備を整える。基本は台本を読むのが今回のメインだ。下手なアドリブはしない。


「配信行きます。5、4……。」

「……こんばんは!早緑美愛だよ!今日は緊急でみんなに伝えなければならないことが出来たの。驚いた人も多いかもしれないけどいまから説明するから落ち着いて聴いてね。」


 台本の通りに話を進める。


「いま絶賛開催中のライブツアーなんだけど、東京公演の会場が急遽使えなくなったの。でも中止にはしたくなくて、事務所のスタッフがみんな頑張ってくれたおかげで会場が見つかりました。会場変更の理由も含めていまからビデオを流すので見て下さい。どうぞ。」


 会場変更とチケットの扱いに関するVTRが流れる。この短時間でここまでちゃんとしたビデオが作れる大崎は本当にすごい。


「ご覧いただいたとおりです。場所が渋谷から横浜になってしまうのは本当にごめんね。いけないよ、という人は払い戻しも受け付けます。詳しくはこのあと21時頃、早緑美愛オフィシャルサイトに詳細を載せるので見てね。払い戻しが終わったら、改めてチケットの追加発売をするかもしれないからチェックして下さい。会場が急に大きくなってプレッシャーもすごいけど、それだけ多くのファンのみんなと会えるっていうことなので、改めて気合い入れて頑張る。みんなも応援してくれたら嬉しいな。それでは、お相手は早緑美愛でした!みんな、ライブ会場で会おうね!」


 よし、私のいまやるべきことは出来た。あとは事務所のみんなに任せて、私は私の出来ることをしよう!

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