第010話○サイン会の時のこと

「俺は話したんだから、未亜もサイン会のこと、教えてくれよ。」

「もちろん!結構大変だったんだから……。」


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「新宿はいつ来ても人が多いなあ。」


 私は新宿駅に降り立つと地下街を抜けていく。目指すは伊予國屋書店いよくにやしょてんだ。5月の連休最終日、今日は大好きな作家さんのサイン会に参加するという大きな目的があるのだ。


 私は高校生の頃から『セントハイディアン王国の魔物と聖女』せまじょという物語が大好きでずっと読み続けている。

 元々はWeb小説投稿サイトで連載されているハイファンタジー小説で、たまたまトップのお薦めに出ていたのを見つけて読み始めて、すっかり心を奪われてしまった。その壮大な物語は、連載が始まってから約3年間、ほぼ隔日のペースで1話ずつ投稿され続け、いまでは500話を超えている。書籍化もしていて、大学入学直後に3巻が発売された。


 ネットで連載されている物語は、書籍化されてもサイン会などをしてくれるケースはあまり見かけないのだけど、3巻の発売告知と同時に伊予國屋書店で予約をすると抽選でサイン会に参加できる、ということが発表されていた。ただ、雨東先生は、顔バレできないそうで、個室ブースに買った本を入れるとサインをして戻してくれるというスタイルになるとのこと。さらに会話は出来ないと募集要項に書いてあった。


 たとえ姿が見えなくても話が出来なくても直筆のサインをその場でしてもらえるなんてことはめったにないと伊予國屋書店で予約開始当日にすぐ予約、ちょっとした伝手も使って無事にサイン会の参加券を手に入れていた。


 お店にたどり着くと会場である9階までエレベーターで上がる。


「雨東先生のサイン会ご参加の方は、当店で購入されたレシートと参加当選券を見やすい位置に掲げてお待ちくださーい。会場内は写真撮影禁止でーす。入場するまでにスマートフォンやガラケーの電源はお切りくださーい。」


 店員さんが大声でサイン会の誘導と注意を叫んでいる。大変そうだなあ、と思うけど、私に出来ることはいうことを聴いておとなしく行列に並ぶことくらいだ。


 整理券の番号はほぼ最後。どこに並ぶのかと思ったら階段へ誘導される。行列の出来ている階段は完全に封鎖されていて、ほかの階からは入れないようになっていた。女性が目立つ行列の末尾を目指してとにかくひたすら降りると結局4階あたりまで来てしまった。


 外には出られないし、あとから並びなおすことも出来ないのでひたすら待つしかない。あまりに暇なので圭司にRINEをしてみたが、既読が付かない。そういえば彼も連休の後半は忙しいっていったな、と思い出すとちょっと寂しくなりながらも大学で一番仲良くしている同性の友達である飯出いいで朋夏ともか岡里おかざと彩春いろはの三人でRINEのグループチャットをして、順番が来るのをひたすら待ち続けた。朋夏も雨東先生の大ファンだそうだけど、落選して今日は来られなかったらしい。朋夏からはひたすら呪いの言葉を送られて、彩春が爆笑するスタンプを送りまくっていた。


 最後尾から少しずつ階段を上り、2時間くらいが経過したところで、9階に到着、そこから少しずつ進むとようやく会場が見えてきた。


「……えっ、なにあれ?」


 思わず独り言が出てしまった。目の前にあるのは黒いボックス。一部分だけが開いていて、そこに本を入れると中から手が出てきて本を受け取り、しばらくすると中から本が出てくる。ここまで徹底して身バレを防いでまでサイン会をやるのか、と思ったが、ネット作家のサイン会なんてそもそもほとんど見かけないからここまで大がかりにしても需要を満たせるのかもしれない。


 ようやく順番が来て、ブースの前に立っている店員さんへレシートと参加当選券を見せる。じっくり確認されると横にどいてくれてブースの前に立つことが出来た。


「先生、応援しています!よろしくお願いします!」


 返事がないのは承知の上で、一応応援しているメッセージを伝えて本を差し入れる。何か一言でもあれば、と淡い期待をしたけど、残念ながら特に返答はなく、サインされた本が返ってきた。少し残念だけど、そもそもサイン本自体がとても珍しいので、ほくほく顔でお礼を伝える。


「これからも応援します。サインありがとうございました。」


 店員さんに剥がされたときにまるでアイドルの握手会だな、と思ったのは内緒。


 念願のサインを眺めて、テンションはマックス。ニヤニヤしながら本を見ていて、こんな感動をもらえる作品を出来れば圭司と一緒に楽しみたいと思いついた。圭司って、ネット小説読むかな?そうだ!このサイン本とは別にもう一冊買って、それを貸して読んでもらおう。それで好きになってくれたらいいな、なんて一人で盛り上がっていた。それがまさか今日のこんな事態を引き起こすだなんて、もちろんこのときの私は考えてもみなかったのだ……。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「そうかあ、そんなに行列していたのか。とにかく入ってくる本にサインを書くので必死で全く判らなかった。」

「外の声は聴こえなかった?」

「割と密閉性が高いのと空調のファンの音がうるさくて、なんかいっているなあ、という感じでしか聞こえなかったなあ。当然未亜の声も判らなかった。」

「そんな感じだったんだね。あれ作るの大変だったような気がするんだけど、伊予國屋書店はよく作ったね。」

「同じこと思ったから聞いたら、屋外でブックフェアをするときとかに使う仮設の会計ボックスなんだって。今回はそこの窓口部分にベニヤ板で目張りをしたらしい。」

「ああ!あれか!なるほどねー。使い回し出来るからこんな感じでサイン会も出来たんだね。」

「いろいろと考えるよな。」

「ほんと、そだね。でもそのおかげでサインが入手できたわけだけどね!みんな喜んで帰ってたし!」

「みんなに喜んでもらえたなら頑張ったかいがあるよ。」


 サインもらっていた人たちはみんな本当にすごいいい笑顔だったもんなあ。私もファンのみんながああいう笑顔になってもらえるように頑張りたい!

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