第2話 理不尽が当たり前の世界
この世界にはありふれた話。
誰かが得をする為に、誰かが犠牲になるなんて、理不尽だとしても常に有り得ることで、
誰かを踏みつけて、誰かが助かるならば、理不尽だとしてもそれは当たり前になるのかもしれない。
僕は僕と言う人間でしかなかった。
ある人は「おい」と呼び、
ある人は「小僧」と呼び、
ある人は「目線」で僕を呼んだ。
「おい」と呼んだ怖い顔の男の人は、僕のできる範囲で仕事をくれて、報酬に硬いパンを一切れくれた。
貰ったパンはお腹を満たしてくれたけれど、気持ち悪くなった。
食べて気持ち悪くなったとしても、空腹が紛れるのだから我慢した。
「小僧」と呼んだ神経質そうな顔をした男の人は、僕には難しい仕事をくれて、全てをこなせなかったからと報酬は貰えなかった。
だけども、一杯の綺麗な水をくれた。
綺麗な水は空腹は満たせないけれど、気持ち悪さを緩和してくれた。
「目線」で呼んだ男の人は、無言で、笑顔を浮かべて手招きする。暗い路地裏に誘われるまま着いて行く。
そして、無言のまま僕の頬を握った拳で殴った。
何が起きたのか分からなかった。
そのまま地面に叩き付けられるように倒れた僕に、馬乗りになった無言の男の人は、笑顔を浮かべたまま僕の顔を殴り続ける。
痛い。
痛い。
抵抗も出来ず、何も言えないまま殴られ続け、顔の感覚や痛みが遠のいて行く。
口の中に血の味が広がり、目は霞、耳鳴りもして来た。
無言の男の人は、その表情はもう見えないけれど、笑顔のままなのだと感じる。
殴り続けてる間笑い声まで上げていた。
そうして「ありがとう」と耳元で囁かれ、力の入らない片手に3枚の金貨を握らされた。
今までで一番高い報酬だ。
どれだけの時間が経ったのか分からない。
体は無傷で顔をしこたま殴られて、目も口も感覚がない。
頭もガンガンするし、耳も聞こえない。
僕は死ぬのかな?
苦しいのは嫌だなぁ
死にたくないなぁ……
そして開かない瞼から涙が零れた。
僕には名前があった筈なんだ。
だけども、覚えていない。
僕は僕と言う人間でしかない。
いや。
人間ですらなかったかもしれない。
何でかな、と考える。
確かに愛された記憶はある。
だけど、はっきりとしない。
いつからと解らないけれど、記憶があやふやのまま、僕は“スラム街”でボロ一枚を着て立ち尽くしていた。
どうしてそこに居たのか、自分の名前も年齢も、何もかも忘れて、ただそこに居た。
まるで、いきなりこの状態で、その場所に生まれ落ちたように。
瞬きの間に意識が戻り、鼻につく異臭と、暗い目をした子どもたちの視線に体が震えた。
そして、空腹を感じる。
そして、僕は何も持っていなかった。
視線に追われるようにその場を後にすると、街外れにある大きな木の下にたどり着いた。
ザワザワと、風に煽られた葉の声が聞こえて、頭上を見遣ると、どこからともなく、金色の花がフワフワと落ちてきて僕の手の平に収まった。
キラキラ煌めく花弁の美しさに見惚れて、そして、空腹に鳴るお腹の音に、無意識に花弁一つをむしり取り口の中にほおると、その甘い味にとろりと心が蕩けた。
そのまま丸ごと頬張ると、甘い匂いが鼻から抜け出て、驚いた。
何にせよ、お腹が膨れて落ち着いた。
その日からその木の傍で過ごすこととなった。
日がな一日木の下に居て、お腹が空いて葉を仰ぎ見ると一輪の金色の花が落ちて来た。
だけどある日、一人の大人とも子どもとも言えない男の人が僕の傍に来て、手に持っていた金色の花をいきなり取り上げた。
「これは没収だ。この街に居たけりゃ場所代を払うんだな」
そう言って金色の花を見ると、白く色が抜けてぱらりと花弁が崩れ、風に吹かれて無くなってしまった。
男の人は驚いて、少しの間呆然として、次に真っ直ぐと僕を見て睨んだ。
その日から金色の花は落ちて来てもすぐに取られた。
直ぐに萎れてしまうのに、それを繰り返される。
なので、僕はまた空腹を感じるようになった。
そのまま追われるようにその場を後にして、スラム街とは異なる大きな街にたどり着いた。
そして、仕事を貰って何とか食いつないでいた。
問題は、貰った食べ物を食べた後、いつも気持ち悪くなること。
ギュッと、手を握ると、金貨の存在を思い出す。
殴られる仕事があるなんて思ってもみなかった。
報酬でお金を貰ったのははじめてで、確かな重みに流れていた涙も止まった。
だけど、ズキズキと頭が痛くなって来て、“死”を意識する。
開ききらない瞼をうっすらと開けて、暗闇に一筋の光を見つける。
金色の光の筋。
金色の花を思い出す。
金色の花の甘い匂いさえ香って来た気がして、その光を見上げると、暗い影が光を遮るように現れた。
「……みつけた。やっと……」
金色の花の匂いを強く感じて、その人を見つめる。
目の前まで来た影の人から花の匂いがしていたから、ひどく安心して……
みつけた。
と言われたことに、ひどく狼狽しながら、意識を失って行った。
僕は、誰かにみつかることを、期待し、恐れていたのだ。
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