第28話 蛇足

真戸さんとお付き合いを始めてから一ヶ月が経っていた。その頃には私も真戸さんを『光輔さん』なんて呼ぶようになっていた。


エリちゃんや美佳さんに光輔さんとのことを話す度にからかわれたりすることにもすっかり慣れてしまった。


結局エリちゃんに私の恋愛嗜好を語る事はなかったけれどそれでよかったかなと思う。エリちゃんも美佳さんも『郁美に負けていられない!』と其々の恋愛を頑張っているみたいで、いつの間にか私がふたりの恋愛の相談や話を訊く側になっていた。


そして私と光輔さんのことを心配してくれた三好さんとは光輔さん絡みのことでよく話すようになった。会って話す度に『あいつ、誰彼構わず藤澤さんのことばっかり話すからかなりウザい奴になったよ』なんて苦情があったりして申し訳ないなと思いつつもそんな愚痴も嬉しいなと思ってしまう私だった。


そしてもうひとり──


「藤澤、今晩付き合え」


休憩室で休憩していると同じく休憩中の係長に言われた。


「あの…係長、毎度毎度同じような誘い文句を言うの、止めてくれませんか」

「おまえが誘いに乗れば言うのを止める」

「すみません、今夜も約束が」

「仕事の事で話があるって言ってもか」

「だったら尚更業務中に言ってください。それならいくらでも誘いを受けますから」

「──チッ、ガードが堅いな」

「は?なんですか」

「なんでもない」

「?」


光輔さんと付き合い始めてから係長の様子が少し変わったかなと思うのは私の気のせいだろうか?


どこまで本気か冗談か解らないけれどふたりになるといつも『今晩付き合え』と云って来る係長に少しだけ戸惑っていた。


いつも終業後は光輔さんとの約束があるので断り続けているのだけれど、誘って来るのを一向に止めてくれないのはどうしてだろうと思う。


「あの…お先に失礼します」


少しだけ気まずく思いながらも係長を残して私は先に休憩室を後にした。




「──はぁ…おれは何をやってんだか」

「…そうだな」

「!」


藤澤が休憩室を出て行って少し経って入って来た人の気配と呟きで俯いていた顔を上げた。其処には極力会いたくない男が立っていた。


「真戸、なんでおまえが此処に」

「俺だって本社にいる時は使うよ、休憩室」

「……」

「それよりも郁美を口説いているって本当?」

「は?口説いているってなんだよ」

「郁美が言っていた。内野宮係長に仕事のことで誘われているから一度受けてもいいかって」

「藤澤が言っている通りだ。仕事の件で誘っているだけで口説いてなんか──」

「あれ、俺のものだから」

「っ!」


何故か真戸のそのひと言で頭に血が昇った気がした。


「何が『俺のもの』だよ。もの扱いすんな」

「内野宮が郁美に気があるのなんてあの時から解っていたんだよ」

「は?気があるって…何を」

「早い者勝ちって訳じゃないけど、郁美は俺を選んだ。だから潔く諦めろ」

「~~おまえ…先刻から訳の解らないことを。おれは藤澤を部下としてしか見ていねぇよ」

「そう、それならいいよ。上司として他の部下同様指導しろな」

「本っ当おまえ…高校の時から変わらず気に食わないな」

「くれぐれもそういう私情、郁美にぶつけるなよ」

「……」


言いたいことだけを言って真戸は休憩室を出て行った。


(なんなんだよ…あいつ)


行き場のない憤りが胸中を熱くさせた。


確かにおれは藤澤のことを気にかけていた。おれの部下として、仕事の出来る新入社員として目をかけていた藤澤を、徐々に公私共に育てたいと思う気持ちがあったことは認める。


だけどそれだけだった。それがいわゆる【恋愛】と呼ぶものなのかどうかなんて気が付かなかった。


そう、藤澤が真戸と正式に付き合うことになったと訊くまでは。


手に入らないと解ってから気が付いた気持ち。そんなのは既に手遅れだった。吹っ切らなければいけない気持ちなのに思うようにならないもどかしさ。


(おれって…意外と女々しいのな)


重いため息をひとつ吐き出したところでおれは気持ちを切り替え休憩室を後にしたのだった。



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