第1話 出会い
―――――10年前―――――
2020年6月30日。
「おはようございます。今日は、別の施設から応援できてくださった篠崎さんです。予定としては3ヶ月ほどとなりますが、6年目のベテランですので2階フロアを担当してもらいます。各担当のスタッフは当施設のルールを教えてあげてください。それじゃ、挨拶お願いしようかな」
最初の印象は、髪は乱れており化粧で隠しているのだろうが、目の下にクマがある不安要素いっぱいの女性と言う印象が在過にはあった。
「おはようございます。今日からお世話になります、
「それでは、夜勤の申し送りお願いします」
昨晩の夜勤勤務者が申し送りを終えると、それぞれ担当フロアに移動して業務が始まる。本日派遣された神鳴は、施設長補佐と一緒に2階フロアで当施設の作業流れを聞いている。
当時の存過は、当施設に配属されてから半年も経過しておらず、応援スタッフの入れ替わりが激しいことも当たり前の日常化になっていたこともあり、神鳴のことは気に留めていなかった。
この頃の存過は両親の借金と不倫による蒸発で、妹が摂食障害と言う精神病を患ってしまった妹のことしか考えていない。
早番勤務で定時に帰れる時は、毎日病院に面会していたこともあり、存過本人も体力的にも精神的にも、他人を気にしている余裕がなかった。
11時30分頃、1階フロアより昼食の配膳車が到着する。
存過、神鳴、日勤のパートさん3人で配膳車から入居者用の札が置かれている食事を席に準備をしていく。
初日の神鳴には、入居者の席位置を把握していないため、存過は席を口頭で教えながら他の食事の準備を淡々と進めていた。
「初日から配膳するの大変ですよね。明日までには入居者の席リスト準備しておきますので」
「あ、ありがとう」
「いえ、本当なら来てもらう前に用意するべきなんでしょうけどね。実は僕もまだこの施設で3ヶ月しか経ってなくて、まだよくわからないんですよ」
「あっそうだんたんだ」
「食後の投薬は全部やりますので、食べ終わった食事の片づけお願いしてもいいですか?」
「うん、わかった」
自分より勤務歴も長く、大先輩なはずなのだが、たった数時間の数回しか会話をしていない存過だが、なんだか頼りないと感じていた。
入居者の食事の様子を観察しつつ、食事を早く食べ終わった入居者には、食後の薬を渡して目の前で飲んでもらう。
それを淡々と繰り返しているときに、神鳴がカバンから取り出したスケッチブックのイラストに在過の視線が釘付けになった。
毎日のように遊んでいる、スマホゲームアプリのキャラクターが印刷されているスケッチブック。投薬をしながら、在過は心の中で同じ趣味の人かもしれないと感じていた。
食事も投薬もすべて終わると、日勤帯のパートさんに挨拶をして休憩に入る。
存過と神鳴は、1階にある休憩室に移動した。
「もしかしてなんですけど、シャドウゲームやってるんですか?」
「え? やってますよ!」
「いえ、さっきスケッチブックのイラストがそうだったんで、もしかしたらと思って。絵も描くんですね」
「絵は描かないんです。これメモ帳替わりなんですよ」
神鳴は、笑いながらスケッチブックを開くと、当施設の業務流れを書き記したページを見せてきた。
可愛らしい丸文字で書かれたメモに、つい存過は口を滑らせた。
「かわいい字だな」
「いやいや、そんなことないですよ。あ、ちょっとママから電話来たので」
照れながらも、カバンからアニメソングの着信音が休憩室に鳴り響く。その着信音のアニメソングに関しても在過は知っていたため、アニメもゲームも好きな人なんだなと親近感が湧いてきていた。
「うん、うん。大丈夫だよ、いま休憩してるところだよ。ちょっと眠たいけど、忙しいから、その間は辛くないよ」
母親と電話をしているようだが、その姿が苦しそうな、落ち込んでいるような表情を存過は見逃さなかった。
在過も昼食を早めに食べ終わると、入院している妹の
毎日の日課と言ってもいいが、必ず1日に最低2回は電話をすると決めていたのだ。
「もしもし?」
「あ、とう君。どうしたの?」
「ちゃんとお昼は食べたのか?」
「食べたけど美味しくないよ~」
「あぁ、でもしっかり食べたなら良かったじゃないか」
「でも、こっそり吐いちゃった。だって肉が沢山あったんだもん」
「そっか、それはダメだな。肉は入れないでください!って言わないとな」
「えぇ~うち言うの恥ずかしい。とう君が言ってよ」
「はいはい、明後日休みだから、会いに行くついでに言うよ」
「絶対だよ?あ、プリン食べたい」
「コンビニのプリンしか買えないぞ?」
「なんでもいいよ、どうせ吐いちゃうし。ごめんね」
「気にするな」
「ねぇ……」
「どうした?」
「こんな家に生まれたくなかった。早く死にたい……うちが良い子じゃなかったから……。早く楽になりたい」
「そうだな。吐くのも、生きるのも辛いよな。でも、お前がいなくなったら僕も友理奈の妹も寂しくなっちゃうな」
「えりかなら大丈夫だよ、うちより全然強いもん。あ、でもとう君は寂しくて泣いちゃうかもねぇ~」
「ばーか、もう25歳だぞ」
「うわ、おじさんだ」
「やめてくれ。ふふふ」
在過は、毎日の日課となっている電話だが、電話を掛けて声を聞くまでの数秒間だけ心臓の痛みを感じていた。精神状態によっては、まともに話せないほどネガティブな思考になっており、死にたい、殺してほしいと言う言葉をずっと聞かされるからだ。
今後の為にどうにかしなければ、そう考えて介護知識と資格を得るために介護職へ就職を決めたが、心の中では本当にやりたかった職種の未練とストレスが蓄積されていた。
今日は比較的安定した声を聞いた在過は、ほっと胸を撫でおろす。
通話を終了させ、在過は休憩室に戻ると、神鳴も母親との電話が終わっていたらしい。
「えっと、近藤さんでしたよね? 同じゲームやってるなら、一緒にやりませんか!」
「あぁ、いいですよ。弱いですけど対戦しましょう!」
「神鳴も弱いですよぉ」
同じゲームで遊んでいることが縁となり、お互い連絡先を交換した。
それからと言うもの、在過と神鳴は職場でも、プライベートでも話すようになっていく。
アニメやゲームが好きで、たまにコスプレしていることを在過に話す。
また、声優にも憧れがあり一ヶ月に数回ほど声優学校にも通っていた。
神鳴は、同じ趣味で理解してくれる在過に惹かれていた。もっと話したい、もっと聞いてほしい。神鳴は数ヶ月前に恋人と別れ、精神的な辛さを紛らわすために、同年代の在過に依存し始めていた。
それは、恋愛がしたいと言う気持ちを、恋人が欲しいと勘違いした精神状態の時に在過に出会ってしまった。
二人は、たった数週間の短い時間だったが、気づいたら朝方まで通話が繋がって目を覚ますことも増えていた。
「おはよう」
「おはよ~。今日も繋げっぱなしだったね」
なんだか居心地が良く、妹のことだけを考えていた在過にとっても、心の拠り所となる存在になっていたが、恋愛感情があった訳ではなかった。
その理由も、職場での神鳴の印象は、仕事ができず、何もやらない応援社員と言う噂があった。6年勤務のベテランらしいが、排泄、配膳、入浴介助、投薬など、すべての業務において雑で、めんどくさい業務は避けていることが誰が見ても分かるからだ。
別の職員と休憩が一緒になると、必ず悪口を聞く。
「あ~またかよ!」
「どうかしたんですか?」
「篠崎さん、体調不良で休むってさ」
「あぁ~」
「もう、ほとんど出勤してないだろ? 」
「体弱いんですかね? 確か喘息持ちとは、本人から聞きましたけど」
「いや、女性職員から聞いたんだけど。数ヶ月前に恋人と別れたらしくて、精神的に苦しいって言ってたらしい。体調不良じゃなくて、精神的な部分じゃね?」
「そうだったんですね」
「アイツがやった後のおむつ交換するの、本当クソ嫌だから別にいいけどさ。正直、出勤しても戦力にならないし」
他の職員も同じことを言うが、在過も今回の件に関しては否定できなかった。
神鳴と趣味が合い、一緒にゲームで遊ぶ回数が増えて親近感もある。
しかし、ほとんど職場に来ていなかったし、神鳴がやった後の業務をやると、悲惨なことになっていることが多いからだ。
一部の例としてあげるならば、100%の確率でおむつ交換する時だった。
決まった時間に、一部の入居者の排便、排尿介助をする。
神鳴がやった入居者のオムツ交換を後に担当すると、テープ止めがしっかりされておらず、おむつから漏れてしまいベットシーツや衣服の全交換する羽目になる。
つまり、応援として派遣された数日後から、かなりの確率で当施設の従業員に嫌われていた人だった。
しかし、在過はそんな神鳴を無視できなかった。神鳴が担当した業務は、すべて先回りして終わらせていたり、先輩の技術を教えてほしいと言う名目で一緒に行動して、代わりにオムツ交換をしていた。
在過は、神鳴の姿に妹を重ねて見ていたからだった。
神鳴が派遣されて、当施設での初めての夜勤勤務時の時だった。
在過は遅番だったため、神鳴の母親から体調不良で休む連絡が入り、休みだった職員が呼ばれ夜勤勤務を交代することになった。
仕事終わりに、神鳴にメールを送信した。
「体調大丈夫?」
「うん、なんとか。迷惑かけてごめんね」
「それはいいんだけど。ゆっくり休んでね」
「ごめんなさい」
そんなメールのやり取りが、在過には妹と話をする感覚があった。
だが、この夜勤を休んだことで在過との関係がより深くなっていく。
前日の夜勤を休んだことにより、シフト変更で夜勤者交代となった神鳴は、二日後の夜勤勤務を在過と一緒に過ごすことになった。
この夜勤勤務を一緒に過ごしたことがきっかけで、神鳴と在過の相手に思う気持ちが一気に近づくこととなる。
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