怪奇図書「家族」
「ただいま~!」
扉を開け、家に入る。両手に抱えた大量のスーパーの袋を玄関に下ろして一息つく。ついつい奮発して、買いすぎてしまった。
鞄から取り出したスマホを見ると、パパからもう直ぐ家に着くというメッセージが30分前に来ていた。買い物が終わって直ぐに自転車で帰ってきたから、連絡に気付いてなかった。ということは……。
玄関の足元を確認すると、パパの革靴、春菜のピンクのスニーカー、夏雄の黒色のスニーカーが置いてあった。今日はみんな早く帰ってくるとは聞いていたけど、もう全員帰ってきたのか。急いで、ご飯の準備を始めないと……。
自転車の鍵を、靴箱の上に置いた鍵置き場に投げ入れる。一旦荷物は玄関に置いたまま手洗い場に向かうと、隣にあるお風呂場からシャワーの音が聞こえて来た。
そちらの方を確認すると、入り口の前に無造作に制服が脱ぎ捨てられている。これは、何処からどう見ても夏雄の物だ。
「こら、夏雄! いつも服は洗濯物のカゴにちゃんと入れてって言ってるでしょ?」
返事はない。最近、思春期だからなのか、たまーに無視される事があるが、これは何度も注意している事だ。お風呂から上がったら、また改めて言っておこう。
全く夏雄は。大体、洗濯物のカゴはお風呂場の直ぐ前に置いてあるんだから、そんなに手間でもないだろうに……。
脱ぎ捨てられた制服をカゴに入れた後、念入りに手を洗い、うがいをしてからスーパーの袋を取りに戻る。
その途中で、2階に上がる階段から、春菜が好きな女の子向けのアニメの音が漏れ聞こえている事に気付く。あの子、本当にあれ好きだなぁ……。
DVDを買って上げてから、文字通り毎日のようにあれを見ている。可愛い格好をした女の子達が悪者と戦う人気シリーズだが、私も子どもの頃ああいうの大好きだったなぁ……。よく春菜と一緒に見るが、いざ見てみるとあの子があんなにハマるのも納得出来る内容だった。
ご飯が出来るまで、どうせまだまだ掛かる。その時まで邪魔しないであげよう。
スーパーの袋を持ったまま、キッチンまで移動して、買ってきた物を冷蔵庫に入れていく。牛乳にお茶、ジュース、無くなりかけていたマヨネーズとソースは新しい物と入れ替えて……っと。
それから牛肉に、焼き豆腐、白菜にしいたけ、糸こんにゃく、春菊、長ネギを順に仕舞う。
生卵は……っと、まだ3個残っているが、これは明日の朝にお弁当用のオムレツとして使おう。3つとも賞味期限的にはまだまだ大丈夫だが、今日使うのは新しい方がいいだろう。どれが新しいものか分かりやすいように、その3つの卵の殻に明日の朝使うよ~! とペンで書いておく。
後、必要な材料は……念の為、冷蔵庫の中を改めて確認する。確か、まだあった筈だけど…………よし! 玉ねぎもこれだけあれば足りるだろう。最後にすき焼きのタレをスーパーの袋から取り出して、直ぐに使えるように台所の机の上に置いておく。
「そう言えば……」
パパは何処だろう? 帰ってきたら、直ぐに着替えて、いつも大体リビング辺りで、ご飯が温まるまでくつろいでいるんだけどなぁ。
キッチンからダイニングを挟んで見えるリビングにも、目の前のダイニングにもその姿はない。2階でお仕事してるのかな?
子ども達はともかく、本来ならパパがこの時間に帰ってくる事は滅多にない。大体いつも夜遅くか、酷い時は研究室に泊まりになる。そんなパパが夕方くらいに帰ってくるなんて、殆ど奇跡と言っても過言ではない事なのだ。
でも、それよりも気になるのは……。
「明日、帰ってきたら大事な話がある……」
そうパパが昨日の夜に言っていた事だ。お仕事に関係する話だとは聞いていたが、どんな話をされるんだろう?
私は、パパがどんな仕事をしているのか余り知らなかった。聞いていた事といえば、彼の仕事は世の中の役に立つ研究だという事と、パパがその研究室の室長だという事くらいだった。
私には難しい事は分からないが、そんな大事な研究を纏める立場にいれば、思い悩む事が沢山あるのは間違いないだろう。
「…………よし!」
今日どんな話をされたとしても、私は妻として、家族として、彼の悩みを全部受け止めてあげよう。とりあえず、もう帰ってきているなら、先に話だけでも済ませて、その後は、みんなで美味しいご飯と家族の団らんを楽しみたい。
ここでずっとパパを待っていても仕方がないので、2階に上がって話をしよう。夜ご飯の準備はそれからだ……。
キッチンを出て廊下を通り、2階への階段を目指す。手洗い場の前を通ると、まだシャワーの音が聞こえて来ていた。どうやら、夏雄はまだお風呂場にいるようだ。
あの子やたら長風呂だからなぁ……。他に用事がないと、1時間以上平気で入るし。春菜や私よりもお風呂にいる時間が長い。
まぁ、日頃のサッカーの練習で疲れているだろうから、こっちもご飯が出来るまではのんびりさせてあげよう。でも、だからといって、服をそこら辺に脱ぎ捨てていた事は許すつもりはないが……。
2階への階段を上がり、夏雄と、春菜の部屋の前を通って夫婦の寝室へ向かう。ドアノブに手をかけようとした所で、一旦止まった。
その理由は春菜の部屋だ。そこからは、まだアニメの音が聞こえて来ていた。しかも、かなりの大音量。これは、どう見てもパパと真面目な話をするには不向きな環境だ。一旦、春菜にはDVDを持って1階のリビングに行って貰おう。話はそれからだ……。
「春菜、入るね」
数回ノックをして部屋の中に入る。
「春菜~、悪いけどパパと大事な話があるから…………って、あれ?」
そこに、
部屋の真ん中にある机には、ピンクのランドセルと算数のドリル、キャラ物の筆箱が置かれている。ドリルの上に乗った鉛筆と消しゴムをどけて内容を確認すると、余程急いでいたのか、4らしき物を書いている途中で文字が途切れていた。
「トイレかな?」
まぁ、問題はこの大音量だから、こっちで勝手に下げればいいだろう。寝室にいても、この部屋に春菜が戻ってきたかどうかは扉を閉めた音で分かるし、その時に改めて事情を説明して、1階に下りて貰えばいい。私はテレビの前にあったリモコンを使って音量を調整した後、春菜の部屋を出た。
「パパ~、入るね」
ノックをして寝室の扉を開ける。いったいどんな話をされるのか、少しドキドキしながら部屋の中に入るが、そこに
「ベランダかな?」
頻繁にではないが、たまーにパパはタバコを吸っていた。その時は部屋に臭いが移るのが嫌だからと、毎回ベランダに出て吸っていたので、今回もそれかも知れない。そう思ってカーテンを開いてみるが、そこには人影らしき物は見当たらない。念のため、掃き出し窓からベランダに出て、辺りを見てみるが、結果は変わらなかった……。
「おかしいなぁ?」
ポケットに入れていたスマホを取り出して確認してみても、パパから新しいメッセージは来ていなかい。でも、今朝履いて行った革靴は玄関にあったもんなぁ……。
ベランダから寝室に戻って考える。
「…………あれ?」
よく見ると寝室のクローゼットが少し開いていた。なるほど。パパ、さてはあそこに隠れているな~? いつもみたいに私を驚かして楽しむつもりだ。それなら……。
「あれ~? パパ何処だろう? また、どっかに出掛けたのかな~? じゃあ一旦1階に戻るか……」
寝室のドアノブに手を乗せ、そこまで言った所で一気に引き返す。そのままの勢いで、クローゼットを素早く開ける。
「はいっ! パパはっけ…………」
意気揚々と開けたクローゼットの中には、沢山の服が並んでいるだけで、人っ子一人いなかった。足元に落ちていたハンガーを拾い上げる。
「あれ?」
ハンガーあった場所から、離れた位置に脱ぎ捨てたスーツのジャケットが落ちている事に気付く。近付いて見てみると、今朝パパが着ていた物だった。
あっ、そうだ! 子ども達に聞いてみればいいんだ。あの子達ならパパより先に帰ってきていた筈だから、何か知ってるかも知れない。1階に急いで下りて、トイレに向かう。ノックをして、扉越しに春菜に問い掛ける。
「ねぇ、春菜? パパの事なんだけど……」
返事はない。もう何度かノックをしてみるが、うんともすんとも返ってこない。ドアノブの辺りを見ると、鍵が掛かっていなかった。
「ごめん、開けるね」
そう言ってからドアを開くと、蓋が閉じたトイレがあるだけで、そこに春菜はいなかった。
「何で……?」
混乱している私の耳に、先程からずっと鳴り続けているシャワーの音が入ってくる。夏雄なら何か知ってるかもと思い、直ぐにお風呂場まで移動して、ドアを激しく叩いた。
「ねぇ、夏雄! パパと春菜が何処に行ったか知らない? 2人とも帰ってきてるみたいなんだけど、何処にもいなくて……。ねぇ、夏雄聞い…………え?」
お風呂場のドアをよく見た瞬間に、私は気付いてしまう。中からは、絶え間なくシャワーの流れる音が聞こえているのに、すりガラス越しに見える室内には、
「夏雄いないの?」
ノックすらせずに、勢いよく扉を開ける。お風呂の中はシャワーのお湯が出続け、誰も座っていないバスチェアにそれが悲しくぶつかっている音だけが響いていた。流れたお湯は排水溝の所に溜まり、そこにプカプカと浮かんだボディタオルだけが残されている。
「嘘……でしょ……? 何が起きてるの?」
必死に落ち着こうとするが、考えが纏まらない。おかしい。私が帰ってきた時には、確かに皆いた筈だ。それなのに、何でこんな事になってるの?
帰宅してから、今までの事を1つずつ思い出していく。家族は皆――――いや、違う……。そこで、ある事に気付いて、頭から水を浴びたような感覚に陥る。私は今日、家に帰ってきてから一度も、
混乱しながら、玄関に走る。そこには私の分と合わせて、家族の靴が4足キチンと並んでいた。靴箱を開いて確認してみるが、他の靴が使われた形跡もない。3人揃って裸足で何処かに行ったって言うの?
2階に上がり、まだ見ていなかった夏雄の部屋の中に入る。無造作にベッドの上に置かれた学生鞄があるくらいで、部屋の中で他に変わった事はなかった。
どうして、こんな事に? 自分でも足元が覚束ない事が分かる。何とか、壁で体を支えながら、もう一度家の中を1部屋ずつ確認していく。
2階の私達の寝室、春菜や夏雄の部屋、1階の手洗い場、トイレ、お風呂場、キッチンにリビング、ダイニング……。そんな所にいる訳がないと理解していても、タンスやクローゼット、フタをどかしたお風呂など、家の中で人が隠れられそうな所は全て確認してみたが、
ここまで来てやっと私は、起きている事の重大さに気付く。
書きかけのドリル、つけっぱなしのアニメ、流したままのシャワーに、排水溝に浮かんだままのボディタオル、それだけじゃない……。地面に落ちたハンガーと、放置されていたスーツのジャケット。今朝着ていた他のズボンやネクタイ、ワイシャツはクローゼットや洗濯物のカゴなど、家の何処を探してもなかった。
こんなの……。こんなのまるで、
何とかリビングまで歩くが、その場で膝から崩れ落ちる。スマホを確認するが、誰からも連絡は来ていない。家の中をもう一度探し回る前に、家族のグループ宛に送ったメッセージにも、返事はない。
無事であってくれと最後の願いをかけて、スマホでパパから順に電話をしていくが、呼び出し音が聞き慣れた家族の声に変わることはなかった。
そこから、私の両親などの親族や、子ども達の友達、知り合いなどに片っ端から連絡してみたが、私の望む答えは、誰からも返ってこない。
「もう残るは…………」
知ってはいても、一度も掛けたことがない番号を押していく。1、1、0と……。
「はい。山白警察署です。事件ですか? 事故ですか?」
「家族が、夫と子ども達2人がいなくなったんです」
「いつ頃からですか?」
「分かりません。夕方家に帰ったら皆いなくなっていて」
「それは……。家出という可能性はありませんか?」
「そんな事ありません! 皆、家の中で何かをしている途中に、突然いなくなったみたいになっていたんです!」
「奥様落ち着いて下さい」
「落ち着いてなんかいられません!」
「分かりました。行方不明という事でしたら、警察署に直接来ていただいて、手続きをして頂く事になりますが」
「直接?」
それを聞いて目の前が真っ暗になる。家族の為に頑張らないといけないが、度重なる心労からか、体がうまく動いてくれない。
「すみません……。直ぐに向かいたいんですが、体がうまく……」
「奥様? 大丈夫ですか?」
「それが、あんまり……」
「分かりました。近くの交番の者を、そのスマホの場所に迎えに行かせますので、そこで少しお待ち下さい」
「……ほ、本当ですか! ありがとうございます!」
その言葉を聞いて、希望が少し湧いてくる。流石に私も、警察が何でも解決してくれるヒーローではないと分かってはいるが、それでもこの場に助けに来てくれるというだけで、どうにかなるかも知れないという期待が胸を満たした……。
きっと家族はみんな大丈夫だ。私だけでも信じよう。警察の方が直ぐに見つけ出してくれる。きっと、きっと大丈夫。絶対にもう一度会える筈だ。だから…………。
タイトル:家族
年代番号:V
管理番号:8
管理ジャンル:?
危険度:?
追記。この怪奇図書について、近辺の調査や関係者からの話で新しく分かった事があった為に、内容を追加しておく事にする。
その後、近くの交番の者が通報者の自宅に向かい、インターホンを押すが反応はなかった。
通報者の体調が悪そうな事は事前に聞いていた彼らは、無理やり家の中に入って確認をする事に。
だが、
あったのは書きかけのドリルなど、住民の生活の痕跡のみで、玄関にも靴が4足残ったままだった。
そして、訪れた警察官が一番不可解に思ったのは、リビングの真ん中にポツンと置かれていた通報者のスマホだった。
追記時、現在。通報者も含めた家族4人は未だに見付かっていない。
この事件について、新たに分かった事があれば、手帳……もしくはこの怪奇図書に、改めて追加をしていく事にする。
追記者 真道北斎
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