第11話「奮起と協力」

「カミラさん!!」

 急いで倒れた彼女に近付く。口元に耳を近付ける。良かった、息はある! 念のため、男の方を確認すると、電池の切れた玩具のように身動ぎ一つせずに天井を見詰めていた。こいつが何を考えているのか俺にはさっぱり分からない。

 カミラさんに視線を戻すと、うつ伏せの彼女の背面には、手のひらに収まるサイズから、大きな物まで大中小、様々な大きさのコンクリート片が幾つも突き刺さっていた。幸い頭には傷らしき物は見当たらないが、破片が突き刺さったそれぞれの箇所から血が滲み出していた。

 辺りを見回す。工事現場の中は、爆弾が破裂でもしたかのような酷い有り様だった。ブルーシートはズタズタになり、鉄骨も傷だらけで、周りの壁や床、天井に至っては、飛んできた細かい複数のコンクリート片がその場で砕けたり、突き立ったりしている。

 後ろを振り返ると鷹見警部が放心したように両膝をついていた。自分や彼女に大きな怪我がない事は目視で確認出来たが、こうやって俺たちが無事なのも全て、遠くで戦っていたカミラさんが、俺たちを庇いにここまで走って来てくれたお陰だろう。

「…………オレハワルクナイ」

「っ!?」

 あの声が聞こえてくる。まずい! 前を見ると、天井を見ていた男がゆっくりとこちらに近付いて来ていた。

「逃げないと……」

 うつ伏せのまま、カミラさんの両脇の下から自分の腕を回し、引きずって移動する。男の移動速度を見るに、これでも充分に逃げられるはずだ。

「鷹見さん!!」

「こんな化け物……わたしに……何が……」

 放心したままの彼女に声は届いていない。

「鷹見警部!!!!」

「……………………」

 カミラさんを引きずって移動しながら、考える。どうしたら鷹見警部を奮起させられる? 今の俺には2人を引きずって移動する余裕なんてない。

 これまでの行動から、あの男は話し合いが出来る存在じゃないのは分かった。本能のままに行動している獣とも違う、何をするかも予想出来ない。気まぐれでここにいる全員を殺して、外に他の獲物を見付けにいく可能性すらある。ここから皆で生き残るためには、俺1人じゃどうしようもない。そうならない為には……。

「犯人は女……左手一本で人を持ち上げたまま、余った右手に持った包丁で被害者の顔を切り付けた」

「……………………今…………何と言った?」

 反応があった! 頭を働かせろ! 怪奇図書に書かれていた事を少しでも思い出せ。

「何度でも言います! 犯人は女、暴れる被害者を左手だけで持ち上げたまま、右手に持った包丁で執拗に顔を切り付け続けた!」

「…………何故それを知ってる? 殺害方法は前回も今回も、まだ公表されていない。わたしが屋敷に訪問した時も、殺人事件があった事しか伝えていなかった。それなのに……」

 鷹見警部が立ち上がり、こちらに向かってくる。その目には闘志がみなぎって見えた。

「待ってください! まだ言えることがあります」

「何だ? 次は犯行の自供か?」

「チキン……」

「チキン? こんなタイミングで何の話を……」

「チキン! 鳥井二和! 名前と名字を入れ替えてニワトリ!」

「は? えっ…………? 何でお前がその名前を」

 俺の発言に、ギラギラとしていた瞳が、困惑に変わる。他に怪奇図書に書かれていたのは何だ? 後、思い出せるのは……。

「まだあります。あなたと二和さんは今朝の事件の担当刑事じゃない。それに、二和さんは事件現場で2回吐きました」

「…………どういう事だ。何でそんな事まで? お前は一体何者なんだ?」

 身内しか知らないような事をぺらぺらと喋る俺を見て、鷹見警部は本当に訳が分からないと言った表情になっている。敵意でも、犯人としての疑いでもない、かといって信用されてる訳でもない状況だが、今なら話くらいは聞いてくれるだろう。

「それを知りたいなら協力して下さい! ここを生き残れたら、その質問に幾らでも答えます!」

「…………わたしは」

 カミラさんを抱えて移動し続けながら、鷹見警部を見る。まだ悩んでいるようだ……。どうすればいい? もっと考えろ!

「………………」

 思考を巡らせ、男に襲われる前のやり取りを思い出す。鷹見警部が口に出した名前……。その名前を使うのは絶対に良くない事は分かった。何も知らない俺が、この名前を利用するのは最低な行為だ。でも、今の状況で協力して貰うためには、こんな方法くらいしか俺には思い付かなかった。

「…………朱鷺田さん」

「お前……」

 その名前を出した瞬間、鷹見警部の目が変わる。当たり前だ。きっと彼女にとってその名前は、何も知らない人間が軽々しく口に出していい名前ではないのだろう。

「朱鷺田さんの事件にも、協力出来るかもしれません」

「………………」

 鷹見警部や、名前しか知らない朱鷺田さんに対する申し訳なさで、胸が痛んだ。だけど……。カミラさんを見る。呼吸はしているが、意識はまだ戻っていない。両腕で引きずりながら、少しでも男から離れる為に足を進める。彼女は、俺たちを助けるためにこうなった。そんなカミラさんを救えるなら、俺はどんな事だってしてやる。

 男との距離はどんどん縮んで来ていた。俺の体力じゃ、女性1人を抱えたまま逃げきるのは不可能だ。まだ、何とか離れてはいるが、さっきと同じようにコンクリート片でも飛ばされたら、その場で終わるだろう。

「鷹見さん!!」

 考え込むような仕草で、隣を歩いて付いてきている彼女に問い掛ける。

「今すぐ決めて下さい!! 俺たちに協力するか、2人とも見捨てて1人で逃げるか」

 悲しいが俺は無力だ。自分を何度も救ってくれた女性すら満足に助けられない。この期に及んで、まだよく知りもしない人間に、力を貸して貰おうとしている。今も、俺が考え付く最善だと思う行動をしているだけで、現状を打破出来るような次の秘策がある訳でもない。

 でも、俺に出来ることが目の前にあるのに、何もしないで誰かを死なせるのは絶対に嫌だ! また、あんな思いをするくらいなら、自ら死を選んだ方がましだ。

 頭に思い浮かぶのは、あの赤い髪の少女……。そして、誰かに言われたあの言葉も。少し目を閉じ、心を落ち着ける。そして、もう一度、悩む鷹見警部に問い掛ける。

「あなたがどうするのか、あなた自身の心に従って選んで下さい!!」

「…………あーーっ! 分かったよ。さっきの協力するって言葉忘れるんじゃねぇぞ?」

 鷹見警部は迷いを吹っ切るように、拳銃を構え直す。

「ありがとうございます!」

「礼はあれを何とか出来たらにしてくれ」

 カミラさんを支えながら、先ほど回収した懐中電灯を渡す。鷹見警部は左手のライトで男を照らしながら、相手をよく観察し始めた。

「あいつは何なんだ? 君を襲っていたのとも全然違うようだが……」

 カミラさんを引きずりながら移動する俺と、拳銃を構える鷹見警部、気絶したまま動かないカミラさん、そんな状況で、後退りしながら2人で急いで話し合う。

「俺にもそれは分からないんです。ただ、世の中にはああいった物が存在するとしか……。でも、カミラさんなら詳しく分かると思います」

「……そうか。は大丈夫なのか?」

 やっと1人の人間としてカミラさんを見てくれた鷹見警部に嬉しい気持ちを抱きながら、答えを返す。

「ゆっくりとですが、息はしています。でも、意識もなければ、動きもしなくて」

「こんな状況じゃ、彼女の状態をしっかりと見ている余裕もないしな……。これから、どうする?」

「一旦カミラさんを連れて、ここから逃げましょう。多分俺たちじゃ、あれは何とか出来ない」

 あれと呼ばれた男は、それを知ってか知らずか、絶対に俺たちに届かないにも関わらず、その大きな腕を横に振るった。念のため、男の周りを確認するが、コンクリートを抉り取った形跡は見当たらず安心する。

「だろうな。幸い、あいつは動きだけはちんたらしてるみてぇだし、何とかここを抜け出せれば態勢を整えるくらいの時間は稼げそうだな」

「はい。でも、手や腕の動きだけには気を付けて下さい。またさっきのを飛ばされてぶつかりでもしたら、冥土旅行へ一直線なのは間違いないですし」

 カミラさんを抱えたまま、背後を確認する。工事現場の入り口まではもう少しだ。男は、俺たちと鬼ごっこをしているとは思えないスピードで、ゆっくりとこちらに歩いてくる。

 せめて、獲物を追いかけるハンターの様であれば、何を考えているか予想する事も出来ただろうが、今までの男の動きを見ても、そういった雰囲気は1つも感じ取れない。

 だが、そんな奴が相手でも、こちらが不利な状況なのは誰が見ても明らかだった……。

 まだまだ余裕があった筈の男との距離は、いつの間にか殆ど縮んでいた。さっきのように、あの大きな腕を一度振れば、俺たちの目の前を掠めるくらいの近さだ。

「君たちは先に逃げろ。わたしが何とか時間を稼ぐ」

「鷹見さん、気を付けて下さいね」

「あぁ、分かってる。わたしはこんな所で死ぬ気はないからな」

 そう言いながら鷹見警部は俺たちから離れ、懐中電灯の明かりを男の顔に向けてオンとオフを繰り返す。普通なら眩しがったりする物だが、男は反応を示さない。

「こっちだ! 化け物!」

 叫んでも、動きはない。このままでは埒が明かないと、鷹見警部は最後に、手に持った拳銃を構え、男に向けて発砲した。弾は大きな腕に当たったようだが、相手は痛がる素振りすら見せていない。だが……。

「オレハワルクナイ!」

 怒ったのか何なのか、男は向きを変え、何度も聞き慣れた同じ言葉を呟きながら、鷹見警部を追いかけていく。そのスピードは先ほどよりも明らかに速くなっていた。

「さっさと行け!」

 鷹見警部が去り際に叫んでいく。時間を稼いでくれている間に、カミラさんを早くここから出さないと……。

「…………っ」

 出口まであと少しだ。

「……南……様……」

「カミラさん? 良かった!」

 身じろぎ一つしなかった彼女の声が聞こえてくる。

「……お怪我は……ありませんか……?」

 こんな時まで俺たちの心配をしてくれているカミラさんの優しさに胸が熱くなる。俺は彼女を引きずって移動し続けながら声を掛けた。

「はい! カミラさんのお陰で、俺も、鷹見警部も無事です」

「……よかっ……た」

「もうすぐ出口ですからね。出たらとりあえず病院に……」

「……ダメ……です」

「病院がダメなら、とりあえず屋敷まで戻りましょう」

「……違い……ます。あれを……野放しに……出来ません」

「えっ? でもその傷じゃ……」

 意外な返答に驚くが、カミラさんは本気のようだ。

「……あれだけ……派手な音が……鳴ったら、近くに……住んでいる人も……様子を見に……来ているかもしれません。もし……そうなったら……あれの……被害が……」

 息も絶え絶えにそう語る彼女の姿を見て、改めて、ここから逃げましょう! とは、とても言い出せなかった。彼女の言う通りだ。あの男の挙動は予想出来ない。ここを逃げ切れたとしても、勝手に工事現場から出て他の人を襲う可能性だってある。

「…………俺に出来る事はありますか?」

「……少しの……間、しっかりと……体を……支えて……いて……下さい」

「分かりました!」

 カミラさんの背面に刺さったコンクリート片に気を付けながら、彼女の背中に腕を回して、体を持ち上げ支える。カミラさんも同じように俺の腰に弱々しい力で腕を回してくる。

 奇しくも、お互いを抱きしめるような形になってしまい、恥ずかしさで動揺しそうになるが、今はそんな場合じゃないと頭を振って思い直す。

 乱れた髪の間から見える彼女の辛そうな表情は、とても大丈夫そうには見えなかった。

 改めて、自分の無力さに怒りを覚える。俺にもカミラさんのような力があれば、彼女を助ける事が出来るのに……。

「……すぅー、はぁー」

 耳元で、彼女がゆっくりと深呼吸する音が聞こえてくる。それに呼応するかのように、密着したカミラさんの体が熱を帯び始めた。

「なっ!?」

 カミラさんの背面に刺さっている幾つものコンクリート片がまるで生き物みたいにそれぞれ動いている。様子を見ていると、小さな破片から順に、彼女の足元の地面に落ちていくのが見えた。

 最初の破片が落ちてから間もなく、カミラさんに刺さっていた大中小、全てのコンクリート片が背中から抜け落ちていた。よく見ると、破片のせいで所々破けたメイド服から覗く彼女の肌にも、血はついているが、傷跡はなくなっている。

 気付けば俺にもたれ掛かるような体勢だったカミラさんは、自分の両足でしっかりと立っていた。

「……………………」

「えっと……」

 俺の腰に弱々しく回されていた腕は、いつの間にか力を取り戻している……が、何故かカミラさんにはまだ抱きしめられたままだ。

「あの~?」

「…………」

「カミラさん?」

 気のせいか、何故か抱き締める力が強くなっているような? いや、これはなってる! むしろ、どんどん強くなってる!?

「いたたたた! カミラさん背骨が! 俺の背骨が折れる!」

「…………あっ! た、大変、失礼しました! 思わず……」

「思わず!?」

 俺、背骨を折る勢いで抱き締められるほど、カミラさんを怒らせるような事したか? 腰を擦りながら彼女を確認すると、コンクリート片を取り除いた力の影響なのか、カミラさんの顔は真っ赤になっていた。

「カミラさん、もう大丈夫なんですか?」

「……あっ、はい! 身も心も元気いっぱいです!!」

 調子を確かめるように腕をグルグルと回す彼女の顔はまだ赤い。やっぱり、まだ無理してるんじゃないだろうか?

「……では、行ってきます!」

「え? あ……」

 答えを返す前に、カミラさんは目の前から姿を消していた。先ほどまで弱っていたのが嘘のようなもの凄い速さだ。俺も急いで、鷹見警部が撃つ銃声が聞こえる場所まで走っていく。


 俺が辿り着くとそこには――――壁際に追い込まれた鷹見警部と、地面に横たわって動かない双腕の男、そして、という不思議な光景が広がっていた。

 その姿に見とれていると、彼女は近くの柱を蹴って宙に華麗に舞い上がり、高さと回転を加えた強烈な踵を男の顔に向けて落とす。

 瞬間、男はからだ全体をびくびくと震わせた後、先ほどの襲い掛かってきた女と同じ様に、黒いモヤとなってその場から間もなく消滅した。

 いや、えーっと、その、とりあえず……。


「大怪我する前より元気になってね?」


 驚きの光景に、勝利の喜びよりも先に、そんな言葉が口を衝いて出たのだった。

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