不本意ながら、結婚することになりまして

buchi

第1話 秘密の家庭菜園

FKビルは古いがとても立派なビルだった。

今でこそ、背の高い新しいビルの間に埋もれているが、出来た頃はさぞ目立っていたことだろう。


勤務先は十八階で、ワンフロア全体を占めていたので、他の会社の人たちと会うことはない。せいぜい、エントランスかエレベーターの中くらいだ。


高層階用エレベーターで、ある時突然モデルの集団に取り囲まれた時は、ビックリした。なんでも最上階を新しく借りた会社が、商品の広告のために大勢モデルを呼んだそうだ。


撮影場所でもあるまいし、会社にモデルを呼ぶ必要はないだろう。

まあ、オーナー会社なんかでは、社長がモデルの顔を見てみたいなどと訳の分からないことを言いだすことがある。

一人、モデルでない子も混ざっていて、その人は彼女たちを案内しているようだった。

彼女も細くてすらりと背が高くきれいな顔をしていたが、どうしてモデルじゃないとわかったのかと言うと、メガネをかけていて、大汗をかいていたからだ。そして、一人だけ制服だった。


「すみません」


と彼女は俺に謝った。


エレベータがぎゅうぎゅう詰めだったからだ。


「いいえ」


俺は言った。


ええ。モデルでぎゅうぎゅう詰めのエレベーターに詰め込まれるだなんて、全然迷惑じゃないっすよ。


そう言うわけにはいかないので、十八階に着いたら、僕はモデルを押しのけて出て行った。彼女たちの腰の位置は僕の腹まである。足、なげー。


僕がモデルに会ったのは後にも先にもその時だけだったが、引率をしていた気の弱そうな事務員にはその後もたびたび会った。


顔見知りと言う程ではないので、挨拶するほどのこともなく、ただたまにエントランスで見かけたり、エレベーターで一緒になったりすることはあったが、ああ、いるんだなあと言った感じだった。


メガネなんかかけているし、化粧も派手でなかったので、ああいう子は売れ残ってしまうのかもしれなかった。ずっと働いていた。


仕事をしてて、唯一刺激的だったのはその一件くらいなもので、後は大したことはなかった。


仕事って言うのは、結局、面白いと言えば面白い。若造の僕の采配ひとつで世の中が動く部分もあると言うことだ。

とんでもないことを言ってくる得意先もあったし、逆にこっちが吹っ掛けてみることもある。

無茶を言ってくるところには困ったけれど、これも何年かいるうちに相手の足元が見えてきた。

若造が若造でなくなった瞬間なのかもしれない。


「ふてぶてしい。態度が悪い。上司に変われ」


よく言われるセリフだ。

まあ、そんなことを言われたところで、長い付き合いの会社相手にこの手の恫喝どうかつを吐く社員にロクな奴はいない。


俺は人間関係が嫌いだった。


人が好きになれない。たまに気の合った同僚と飲みに行くくらいはかまわなかったが、上司と連れ立って出かけて行くのはお断りだった。


「そんなんじゃ出世できないよ」


真心から注意されることもあったが、こればっかりは本当に困ったことだが、出世したいわけでもなかったので、申し訳ないが、俺はのらりくらりしているだけだった。


自分でもわかっていた。俺はもっといろんなことが出来るだろう。

だけど、他の人だってやれないことはない。時間をかければ。あるいは他人に泣きつけば。


他人に泣きつくと言うのも、才能だと俺は考えていた。


結論として、同じことが結果として出て来るなら、それなら、やりたいやつがやればいい。俺が出張った方が時間も労力もそりゃ少ないだろう。でも、だからって、メンドクサイ。




今年もゴールデンウィークに突入したけど、俺は特に予定はなかった。

祖父の三回忌に呼ばれていたので、実家に帰る用事はあったが、それだけだった。


「ああ、仁、きたのね」


両親は喜んでくれたが、一度離れた実家はやる事がないので落ち着かない。


家族や親せきは、久しぶりの機会だからと集まって飲んでいた。


結構楽しそうだったが、俺は飲み会が嫌いだったので、その場にいるのが嫌だった。

話を合わせて、一緒に騒げないこともなかったのだが、なんでそんなことをしなくちゃいけないんだ。


どうしようかなあと思っていたが、いい天気だったので、思い立って、昔の祖父の家に行ってみることにした。





実家と祖父の家は場所が違う。

祖父の家は、実家から国道を上がって、目立たないわき道に入り、そのわき道も途中から舗装が途切れ(私道に入ったからだ)、まるで人なんか住んでいないみたいな場所だった。


もう年で不便だから、こっちへきたらどうだと父は勧めたらしいが、一人でどうにか出来る間はここで暮らすと祖父は頑張ったらしい。


「最後の一年はそんなことも言ってられなくなって入院してたよ。もっと早くうちに来てりゃ、もっと長生きできたろうに、父さんも」


父はそんなことを言っていたが、久しぶりに、祖父の家に来た時、俺は、祖父の住める限りは、ここに住みたいと言う気持ちがよく分かった。



外からの視線は全く届かない。


目の前は、広い庭で、昔は畑をしていたらしい。自給自足だ。


その奥は林。向こう側は全く見えない。


まるで、地球の一部を切り取って自分のものにしたような錯覚を抱かせる。



俺は、この家には思い出があった。

夏休みに、この祖父母の家に来たときは、よくこの庭で遊んだものだ。その時は何人か友達がいた。近所の子とか、親戚の子だった。

俺も小さすぎて、今となっては記憶もおぼろだったが、盗賊ごっこだったり缶りだったり、夢中になって遊んだ。


今は家だけが残っている。

日当たりのいい、南向きの昔風の農家で、草がぼうぼうになっていた。


元の庭を取り戻したい。どうせ誰のものでもない。誰も知らない秘密の庭だ。


金にもならない欲望が俺の心に湧いて出た。


庭は木々に囲まれていて、その向こうには祖父が開墾したのか、またもや畑が続いていた。

もちろん今は何も生えていなくて、森の中にぽっかり日当たりのいい空間が見通せるだけだ。




締め切ってあった雨戸をあけ、外の小屋をあさると、鎌と草刈り機が出て来た。

草刈り機なんか使ったことがなかったが、この際、その方が早い。師父が使っているところを見ていたことがある。説明書はなかったが、適当にあれこれやってエンジンを入れてみると、ちょっとびっくりするような大きな音を上げて動いてくれた。なんだかとても怖かったが、家の周りの草だけでもきれいにしたい。

人力でやるのとはスピードが格段に違う。


慣れてくると、なかなか面白い。誰も住んでいないから近所迷惑にもならない。ぶぃーんぶぃーんと大きな音を立てて思い切り刈りまくった。


疲れた。

5月でも背中には汗がにじんできた。


だが、いい気分だった。たまには体を使うのはいいことなんだ。


元の庭らしくなってきた。嬉しかった。


「腹が減ってきたな」



めんどくさかったけれど、クルマで国道まで戻ってコンビニに行って、ボトルのお茶やおにぎりや簡単な食べ物とお菓子を買って、国道から実家に電話した。


「仁? どこにいるのよ。夕ご飯には戻んなさいよ?」


「友達に会っちゃったんだよ。晩御飯、遅くなるかもしれないから、勝手に始めちゃってよ」


国道からならケータイがつながる。一応、事情説明をしとかないと母はうるさい。

友達はなかなかいい言い訳だった。

何時だってそうだが、いちいち説明していたらきりがない。それに母は覚えてくれるとは限らない。



祖父の家に戻ると……驚いたことに、縁側に誰かが座っていた。


「誰ッ?」



思わず声が鋭くなった。


「ひっ」


小さな姿がおびえて頭を覆った。


なんだ、子どもか。


コンビニの袋をガザガザさせながら、俺は近づいていった。人が出入りするだなんて、例え子どもでも不愉快だった。

せっかく見つけた自分だけの世界なのに。草を刈ったのは俺だぞ?


「人の家だ。入っちゃダメだ、帰んなよ。このあたりの子なの?」


声をかけられた途端、人影は死ぬほど驚いて飛び上がった。


「すみません。ちょっと懐かしかったもんで。すみません。誰もいなかったから。ごめんなさい。出ますから」


子どもじゃなかった。高校生くらいの若い女の子だった。


「誰なの、君。どこの家の子なの?」


チラっと見えた顔は、ひどく怯えてゆがめていたが、きれいな顔だった。


「誰なの?」


僕は不安になって呼びかけた。

知っているような気がした。


いや、そんなはずはない。こんな若い女の子に知り合いはいない。


少女は元畑のうねにつまづきながら、全速力で走って逃げて行った。


「なんだよ? あれ?」


僕の口はそんな言葉を声に出したが、心の中では、必死になって誰だったか思い出そうとしていた。


僕は確かに、その少女の顔を知っていたのだ。多分だけど。

その大きすぎる目や、細いあごに見覚えがあった。誰かに似ているのだ。



だが、少女との出会いは不愉快だった。


静かな時間を過ごそうと思っていたのに、気になることが出来てしまったからだ。


知っているけど、知らない顔。おかしな話だ。


そしてもうひとつ、気になることと言えば、その少女の顔には何とも言えない妙な感じがあった。なんなのだろう。


「どうでもいいな」


俺は結論付けた。



お茶を飲み、コンビニで買ってきた食べ物を食べ、庭を見ていると、まだ明るいのに白い月がしずしずと山の端から登ってきた。


女の子のせいで心を乱されたが、やがてあたりが本格的に暗くなり始めると、月は黄色味を帯びて煌々とあたりを照らし始めた。


僕が整備した庭は月光を浴びて、とても明るかったが、色を失い銀一色に染まって趣きを変えた。


美しい。


この世のものではないようだ。


同じ形、同じものなのだ。だが、すべてに魔法がかけられたように違って見える。



だが、俺は腰を上げて実家に戻った。明日は仕事に帰らなくてはならない。

ここにいつまでもいられるわけではないのだ。



「母さん、ちょっと足を延ばして、おじいさんが住んでた家に寄ってみたよ」


母はピンとこないようだったが、すぐに思い出したらしく答えた。


「ああ、あの山の中の。もう廃屋になってるんじゃない? 誰も行かないから。何かあるわけでもないしねえ」


「あの近所って、誰か住んでるの?」


「裏側は、そうだね渋木さんたちが住んでたね」


「誰? その人たち」


「渋木さんて覚えてない? 娘に潤夏ちゃんがいたから、一緒に遊んだかもしれないね」


「ジュンカちゃん?」


「同い年か一つ下だったと思うよ。今どうしているか知らないねえ。あの人たちも何年か前に引っ越してったからね。不便だからね」




それで知っているのか。

名前のことは記憶になかった。もっとも、一番仲良しだった奥野君だって苗字しか覚えていない。子どもの記憶力なんか意外にダメなもんだな。


いや、だが、年が合わない。

母にそれとなく食い下がったが、そんな高校生くらいの少女はいないと言われた。




帰りは土産に地元の銘菓を買って持っていった。


よく職場でもらうのだ。


めずらしい場所に行ったとか言うなら、あるいはみんなに調節させて長期休暇をもぎ取った場合などは、気を使って話題になりそうなものを配ってくれるのはわかるのだが、一泊どまりの旅行でもせっせとお菓子を配って歩く風習がうちの課にはあった。


たまにはお返しをしなくてはいけないと思っていた。実家帰りなんて、ちょうどいい口実だった。恋人と石垣島に行ったなら、それは社内的には極秘事項にとどめておきたい。



その朝、僕は例のモデルの引率をしていた事務の子と同じエレベーターに乗った。


この時は二人きりだった。少し早めに出社したからだ。


高層エレベーターは乗っている時間が長い。


ついでに言うと、この時は待ち時間も長かった。


そして、彼女が珍しくチラチラと僕の菓子入りの紙袋を見ていることにも気が付いてた。


「あ、あの……」


彼女が話しかけた。


「え、なんでしょうか」


「そのお菓子、幽幻堂のお菓子ですよね」


俺は彼女の顔を見た。


その瞬間に声をあげなかったことは特筆に値する。


あの少女に似ている。


僕があの少女を見たことがあると思ったのは、この人の顔のせいだったのだ。


「はあ、そうですね」


なんの変哲もない返事。

一呼吸おいて、俺は続けた。


「ローカルのお菓子なのによくご存じですね?」


「地元なので」


そう言ってから彼女はほんの少し赤くなって言った。


「失礼しました」


「とんでもないですよ。地元、よく帰られるのですか?」


「いえ全然」


「ゴールデンウィークに帰ったり?」


「いいえ」


「じゃあ、お菓子もお久しぶりなんですね。一つ、どうぞ」


個別包装はこういう時便利だ。


どうせ紙箱は破るのだ。そして箱に入ってる数と課の人数は合わない。僕は箱一つと、足りない分はバラで買ってきていた。自分が食べなければいいだけの話だ。


彼女は驚いて、ものすごく辞退していたが結局押し付けられた。もう十八階でエレベーターのドアが開いてしまったから、俺は出て行ってしまう。返せない。


人の記憶と言うのは曖昧だ。


僕がどうして、祖父の家の庭で会った少女に見覚えがあると思ったのかと言えば、お菓子を無理矢理渡したあの彼女の顔に似ていたからだ。


子どもの頃の知り合いだから、覚えていたわけじゃなかったのだ。


僕がさっきの女性事務員の名前を知っていればよかったのだが。

例えば渋木さんだったら、たぶん親戚なのだろう。


だが僕は頭をひねった。親戚だったのか、道理でな、では終わる気がしなかった。

それだけでは、なにか釈然としない。


だって、うちの母は、渋木さん一家は何年か前に引っ越したといっていたではないか。


渋木一家の家の場所も聞いてみたが、実は道がなかった。


クルマだと別の国道から入る家なのだ。県境だからそれは仕方ない。歩くとなると山の中を半時間くらいかかるらしい。


「まあ、もっと早く来れるのかもよ? 山の中の道なんて、知ってる人以外、よくわかんないしな」


母はいとも軽々しくそう言った。基本的に関心がないので、知識もないらしい。


母の説明を頼りに歩いたら、迷子になる自信しかない。しかも見つかるとしたら廃屋だろうと母は言う。


「だって、おじいさんの家より不便なんだよ? そりゃ引っ越すわ。もう何年も前の話よ」


余計変だ。あの少女は誰だったんだろう。



だから僕は彼女にお菓子をあげた。


ゴールデンウイークに実家に帰ったりしなかったそうだから、彼女は、あの時あった少女ではない。


聞かなくてもわかっていた。


あの時の少女の、なんとも茫洋ぼうようとした表情は、彼女のいかにも頭が回りそうな目の表情とは全然違う。


律儀そうな女性だったから、何かお返しをしてくれるかもしれなかったし、これで声もかけやすくなった。

幽幻堂の菓子を知っているだなんて、あの辺の人間に間違いない。



だけど、それ以来、接触はなくて、姿すら見かけることはなかった。


まあ、気があって声をかけたわけではないので、どうでもよかったが、こちら方面も頓挫とんざかと思うと、ちょっと手詰まり感は否めなかった。



俺は、あれから、暇を見つけては出かけて行って、祖父の庭の整備をしていた。


完全な趣味である。


つい、ナスを植えてしまった。このままだと家庭菜園道、まっしぐらになりそう。


行けない時もあるので、どこかの虫のごちそうで終わってしまう可能性もあったが。


だが、ナスの生育以上に気になったことが一つあった。


誰も見かけないのに、縁側に花束が置いてあることだった。


毎週ではない。たまにだったが、そして枯れていることもあったが、勝手に野花が花束に変身したり、縁側の端の方にちんまりと遠慮がちに上がってきたりしないだろう。



お盆前に彼女に会った。同じビルのメガネの女性である。


「あのう、これを……」


見るとお菓子だった。


「なかなか返せなくて……」


思った通り、律儀な性格だ。


「あの、そんなこと気にしなくてもいいんですよ。あのお菓子をご存知だったらしいんで、ちょっと進呈しただけですから」


「私、あの後、研修に行かされていて、こちらの方には出勤していなかったのでお返しも遅くなりまして」


「そうだったんですか……」


俺は彼女の顔を見ながら、考えた。


お昼を誘っても、断られるだろうな。


彼女に夫や恋人がいたら、誤解されて面倒だ。


だけど……


「あの、もしよかったら、ちょっと幽玄堂について教えて欲しいことがあるんで、お昼か付き合ってもらえませんか?」


「え……」

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