不幸な女性〜罪と罰〜
片宮 椋楽
事件編
「はい?」
「音楽と読書のお邪魔して申し訳ありません。お隣、どなたかお座りになられてますか」
「いえ、空いてますよ。どうぞ」
「良かったぁ。前を失礼。いやぁ、どこもかしこも埋まっていて、車両を彷徨っていたところでしてね、助かりました。やっと座れます。よいしょ、っと。ふぅ……」
「夏休みですからね」
「とはいえ、平日だから大丈夫だろうとたかを括っていましたが、向こうの車両なんか家族連れやら学生たちやらに陣取られてました。冷静に考えてみれば、夏休みは平日も休日も関係ないんですもんね。自由席を選んだばかりに、えらい目に遭いました」
「全部埋まっていらっしゃったの?」
「いや、空席もありましたが、単に人数の関係でいないだけなのか、それともお手洗で抜けているだけなのか分からず。まあ降りるのは三つ先の小田原。三十分位なら最悪デッキでとも考えたのですが、久々の新幹線なので、折角なら座りたいなぁなんて思いまして……あ、すいません長々と。お邪魔でしたよね。黙ります。お口にチャック」
「いえ、そんなことないですよ。あっそうだ。折角ですからもしよければ、お話でもいかがです?」
「そんな、お気を遣わないでください」
「気なんか遣ってません。わたくし、お話しするのが好きなんです。こういう旅行でしか会えない方となら、特に」
「けど、良い所で読書を途切れさせていたら申し訳ないですし」
「それなら安心して下さい。この本、もういいかなと思っていたので」
「と仰りますと?」
「これ、前から気になっていた方のでしてね、この旅行で読破しようと思い買ってみたんです。けど、思っていた展開とは異なっていて。つまらなくはないのですが、肌に合わないというか。語弊があるかもしれませんが、丁度飽きていたんですよ。まあ、好まぬ物を見つけることも出会いなので、それはそれでいいのですが」
「哲学的ですな」
「あっ、すいません。わたくし、隙あらばこんな事ばかり口にしてしまうんです。治そうとは思っているのですが、どうも難しくて。おかげで、友人は少ないの。今日も一人旅です」
「いいじゃないですか、一人旅。好きな時に好きな所へ行けますし、好きな物を鑑賞したり、食べたりできる」
「女性の一人旅なんて恋に敗れた傷心旅行にしか見えないかしら」
「そんなことありませんよ。あっいや、私が男だからというわけではなく、本当に」
「ふふふ、ありがとうございます」
「ちなみにですが、こちらも寂しい男の一人旅です」
「あら、奇遇ですわね」
「ですね」
「そういえば、まだ自己紹介してなかったかしら。失敬しました。わたくし、コウダと申します」
「これはご丁寧に。トキワダと申します」
「トキワダ、さん?」
「はい。片仮名のヒと十の鳥に、和やかな田んぼ。で、
「へぇ……初めてお聞きました」
「同じ苗字の人に出会ったことないのがちょっとした自慢です」
「難しい方の國と大阪府の府と田畑の田で、
「名前に勝ち負けはないですよ。先祖代々受け継いできた大切なものです」
「そうね、仰る通りだわ。失礼しました」
「いえ」
「鴇和田さんも一人旅ということは、ご旅行なのね」
「ええ。久しぶりに長い休みが取れましてね。仕事以外で遠出することもないので、休みを目一杯に使って、自由気ままに旅行でもしようかと。特段の場所は決めず、切符買う時にふと目についた場所へぷらりと」
「へぇー。なんか憧れますわ、そういうの。旅の本質のような感じがするわ」
「いやいや、ただ単に無計画で動き出した、というだけですよ」
「お仕事、お忙しいんですか」
「え?」
「いや、久しぶりに長い休みが取れたと仰っていたので」
「ああ。どちらかと言うと、日と時間を選ばない、という方が合ってるかもしれませんね。休もうと計画していても、時には出動しないといけない時があるので」
「出動ってことは、もしかしてお仕事は消防士さん?」
「あっいや……実は私、警察官でして」
「警察の方?」
「ええ」
「もしかして、刑事さんだったり?」
「ああ……」
「あれれ、当たっちゃいました?」
「あはは……警視庁の捜査一課に所属しております」
「ええっ、凄い。わたくし、聞いたことあります。ドラマとかでよく出てくる花形部署でしたよね」
「いえいえ、実際はあんなに派手な感じじゃないですよ。もっと地味というか泥臭いというか。まあ、パッとしません」
「確か、殺人事件を担当していらっしゃるんですよね」
「主には。他に傷害や強盗、放火あとは誘拐とかも担当を」
「へぇ……鴇和田さんはどういったのがご専門?」
「一応、殺人関係を」
「うわぁ、凄いっ」
「凄い、のですかね」
「えっえっ、不謹慎を承知でお願いしますが、宜しければお話し聞かせて頂けません?」
「お話し、と言いますと、事件についてでしょうか」
「一般人のわたくしにでも可能な範囲で構いません。例えば、そうですね、どういう事件をどういう風に解決してきたのか、とか」
「もしやドラマチックな展開をお望みかもしれませんが、特段大したことありませんが」
「だとしても、聞きたいです。だってほら、偶然隣に座った人が刑事で、しかも捜査一課の方だなんて滅多にあることじゃ……いや、もう一生無いかも。どうにかお願いできませんか?」
「そうですねぇ…… まあ、じゃあ、少しだけなら」
「やったっ」
「さて、どうしましょうか……」
「わがままを言わせてもらえば、ある程度広く知れ渡っていて、想像ができるようなものだと嬉しいです」
「ははは……それでは、國府田さんは、
「勿論。確か、人里離れた山奥の豪邸で、家主である富豪がナイフで刺されたんでしたよね?」
「よく覚えてますね。一年近く前のことなのに」
「相当話題になりましたからね。裏の権力者だなんとかと噂されましたし。あの時期は、テレビ各局新聞各社、扱ってない日は無かったぐらいでしたもん。ん? ということは鴇和田さん、まさかあの事件に……」
「はい、担当しておりました」
「そうだったんですか。あの事件、家政婦が犯人で割とすぐに捕まりましたよね? もしかして……」
「まあ、一応私が解決を」
「凄いじゃないですか」
「偶然ですよ、偶然」
「えっでも、あれって……」
「あぁ、一部で屋敷がある場所を山梨県近くで、というような紹介をしているところがありましたが、一応の住所は西東京。警視庁の管轄なんですよ」
「へぇ、あんな辺鄙な所にまで出向いたりするんですね」
「必要とあらば、ですが」
「大変ですね……そりゃあ、お休みもなかなか取れないですよね」
「アメリカのFBIなんか、サンフランシスコからワシントン
「え、じゃあじゃあ他には?」
「他……ですか」
「もっとお聞きしたいです」
「では、元オリンピック選手の
「あれは驚きました。まさかコーチを殺害してしまうなんて……では、その事件も?」
「担当しておりました」
「有名な事件をよく担当なさっているのですね」
「たまたまです」
「あの事件って、色々な利権が渦巻いていたとか聞きますけど、実際のところどうなんですか?」
「前のめりですね」
「こんな貴重な話、そう聞けるものではありませんから」
「まあ……オリンピックの代表内定してましたからね、殺人というのは、イメージ的に良くなかったのでしょうね。容疑にすらするのが困難を極めましたから。あれは、非常に手こずりました。それこそ、あちらこちらで渦巻いてましたよ。利権というより思惑が」
「ニュース見てる限りはあっさりと解決していたイメージでしたけど、大変だったんですね」
「見えないところで、駆けずり回ってました」
「それにしても、鴇和田さんは優秀な刑事さんなんですね。お若いのに」
「若いって、私、もうアラフォーのおじさんですよ。運良く白髪が少ないだけで。見た目の問題です」
「わたくしよりも下ですから、いずれにしてもお若いですよ」
「ははは」
「何にせよ、事件を幾つも解決していらしているのは、とても凄いことです」
「いやいや、運が良かっただけ」
「運が良かった?」
「ええ」
「なら……確かめてみませんか」
「はい?」
「運が良かっただけなのか、それとも実力だったのか」
「はぁ……」
「いいじゃないですか。降りるまでのちょっとした時間潰しですよ」
「いや、それは構わないのですが。確かめるのはどうやって?」
「わたくしから一つ、問題をお出しします」
「問題?」
「実はね、わたくしの友人が、仮に花子さんとでもしておきましょうか。彼女ね、不幸にも旦那さんを数年前に亡くしてるんです。けどね、実は彼女が、殺したんです」
「はい?」
「相手は自身の夫。つまり、旦那さんですね」
「ちょ、ちょっとお待ちを。今、ご主人を殺した、とおっしゃいましたか」
「花子さんが、ですよ。というか、何故そんなに驚いてるんです?」
「いやぁ、突然そんなことを言われれば誰だって驚きますよ。ええっと……それで?」
「けど、彼女は罪には問われませんでした。要するに、完全犯罪、というやつです」
「完全犯罪……花子さん、でしたっけ。彼女は捕まらなかった、ということですか?」
「うーん……半々、といったところでしょうか」
「半々、というのはどういう?」
「警察も検察も状況からして花子さんが犯人だと考え、裁判に持ち込みました。けど、裁判所は違った。下された判決は、無罪。旦那さんは自殺であって、彼女にその罪は無いと判断したのです。だから、この国のどこかで今も、彼女は普通に生活してます」
「実際は?」
「殺しました。殺意も一応ありました」
「しかし、宜しいのですか?」
「何か問題が?」
「休暇中とはいえ、私は警察の人間です。花子さんのそんな私的なことをお話ししても構わないのかなって思いまして」
「問題ありませんわ。彼女は許しますから。それに、何より強い味方がいる」
「誰でしょう」
「誰じゃない。物。いや概念かしら」
「それは?」
「ご存知かしら? 一度判決の出た事件については、もう裁判で争うことはできないっていうの」
「一事不再理……のことですかね」
「流石」
「確かに、花子さんはこの事件については、もう裁かれることはありませんね」
「法理が守ってくれるので、安心してお話できるというわけです。心置きなく、ね」
「では、私も心置きなく」
「血が騒ぎますか?」
「騒ぎませんが……気にはなります」
「そうこなくちゃ」
「お聞きしたことをまとめますと、花子さんはご主人を自殺に見せかけて殺害して、法から逃れた、そういうことですね?」
「逃れた……ふふふ、そうなりますわね」
「無罪判決を下したのはどういった理由があったのかご存知でしょうか」
「どういった、というのは例えば?」
「鉄壁のアリバイがあった、とか」
「いいえ。むしろアリバイは皆無。だって、夫の目の前にいたのですから」
「目の前?」
「ええ。一緒にお茶をしていました」
「なのに、無罪となった……」
「アリバイだけじゃないですよ。それ以上に殺したということに値する証拠が無かったのです」
「と言いますと?」
「そんなに急がさないで。どういった事件だったのか、そこからお話ししますから」
「失敬、ではお願いします」
「事件は三年前の夏のことでした。場所は群馬県の高崎市というところです」
「聞いたことあります。確か、達磨で有名な所でしたよね」
「ええ、都内からは新幹線一本で行ける交通の良さのおかげで駅前は栄えております。けど、少し外れると、田畑広がる田舎風景があるのです。市町村合併やらなんやらで広くなったというのもあるのですが、高崎は二面性を持ってますの。そんな郊外にある一軒家に、花子さんはご主人と二人でお住まいになっていました。今はもう潰して売り払いましたけど、広大な敷地にある割と大きな家でしてね、それはもう二人だけでは持て余すほどでした」
「事件現場は、そのご自宅ですか」
「ええ、一階のリビングです。キッチンとダイニングが同じ空間にあって、かなり広々とした作りになっていました」
「成る程。ご主人はどのような状態で発見されたのかご存知ですか」
「ダイニング側。食卓の椅子に花子さんと相向かいの場所に座っていました。最期は、突っ伏すような形で泡を吹き、椅子ごと倒れて、亡くなりました」
「泡……と言いますと、死因は毒物でしょうか」
「ええ。司法解剖によると、トリカブトによる急性中毒」
「毒殺ですか……ちなみに、國府田さん。花子さんはどのようにして毒物をご主人の体内へ?」
「食べ物です。毒を混ぜたものを食べさせたの」
「経口……確認ですが、花子さんにアリバイは無かったのですよね?」
「ええ。それどころか、旦那さんが亡くなった時に目の前に座っていたのが彼女」
「ということは、第一発見者、ということになりますよね」
「第一容疑者とも」
「であれば尚更、疑問ですな。では二つ目。無罪になった理由というのは、何か知っておりますか」
「詳しいことまでは知りませんが、まあ察しもついてますし、恐らくはこれかと」
「それは?」
「食べ方です」
「食べ方?」
「花子さんの旦那さん、相当な甘党でして。ネットサーフィンでスイーツの名店を探し見つけては、お取り寄せをしたり、それが叶わぬ時には、こんな親指と人差し指で作った輪っかぐらいのチョコとかを食べるためにわざわざ足を運んだりしていました。北は北海道、南は沖縄まで。全国津々浦々とはまさにそのことを表現するためにある言葉ではないかと思ってます。その日も、北海道で有名なシュークリームを手に入れたんです。通販だけの限定品で、取り寄せるのに半年もかかった。たった一つだけしか手に入らなかったというのに、まるで子供のように無邪気に喜んでいた……と、花子さんは仰ってました」
「もしかして、毒が入っていたのは……」
「ええ、シュークリーム」
「それを食べて亡くなった」
「余程上機嫌だったのでしょうね。食べてみて、と旦那さんは半分に割ったんです。折角手に入れたのに、優しいから大きい方を花子さんにあげちゃって」
「ちょ、ちょっとお待ちを。花子さん、もしかしてそれ……」
「食べましたよ、勿論。大変美味しかった……そう言っておりました」
「なら、花子さん……」
「いえ、彼女には何も」
「え?」
「彼女は毒を口にしてません。だから当然、死んでもおりません」
「ということは、同じ物を食べたのに、片方は生き、片方は亡くなった……」
「しかも、彼自身が毒の入った食べ物を割って、選んで、そして死んだ。ね? 裁判所が無罪にした理由が分かりますでしょう?」
「警察が毒のある方をご主人が選んだと考えた根拠は?」
「二つに分けたシュークリーム、その両方に旦那さんの指紋がついていたからです」
「そこから、ご主人が分けた、と判断した」
「鑑識、というんでしたっけ? 専門に調べる方々が採取するのに苦労した、らしいですよ」
「花子さんの指紋が付いたものは?」
「シュークリームがのっていたお皿、紅茶やスプーン、砂糖入れなどがテーブルにはありましたが、どれも旦那さんが用意したので」
「無かったのか。うーん……」
「悩んでおられますね。口が曲がってます」
「口ぐらい曲がりますよ。なにせ、花子さんがどうやって毒を口にしなかったのか、その手段が皆目検討がつかない……」
「ふふふ、取り調べた警察も検察も、そう仰っていたらしいですわ」
「ですよねぇ。すいませんが、少し整理してみても?」
「勿論ですわ。あっ、もし何か聞きたい事ございましたら、お答えしますよ」
「宜しいんですか?」
「流石にヒントが少ないですから。ここはフェアに行きましょう」
「では、花子さんとご主人との関係について。二人の仲は? 不仲でしたか?」
「いいえ。むしろ、おしどり夫婦として、近所では知られておりました」
「となると、殺害の動機も分からないな」
「ああ、女性問題ですよ」
「はい?」
「花子さんの旦那さん、不倫をしていたんです」
「なら、今回の殺人はそれが原因?」
「はい。痴情のもつれ、というやつですね」
「花子さんがその事実を知ったのは?」
「半年程、前でしたかね。電話でのやり取りを偶然にも聞いてしまったらしいんです。深夜、ふと目を覚ましたら、隣に寝ているはずの旦那さんがおらず。普段ならそのまま寝るのに、その日だけは妙な胸騒ぎが体を動かせた。布団をめくり部屋から出て、静かに階段を降りると、リビングの明かりが見えた。真っ暗でしたからね、よく見えたそうなんです。旦那さんはそこで誰かと話していた。相手の声が聞こえないから、電話だと思ったそうですよ。こんな時間に誰からだろう、なんて思っていると、会話の内容が耳に届いたそうです。早く会いたい、だの、妻には上手く誤魔化しておくから、だの、愛してる、だの。その時、女の勘が鋭く働いた。相手がどこの馬の骨か、花子さんには分からない。仕事の同僚かもしれないし、夜のお店のママかもしれない。偶然立ち寄った定食屋の若奥さんとのダブル不倫かも。想像は尽きませんが、電話の向こうは浮気相手だと確信した。ショックを受けると同時に、ようやく気づいた。ああ、最近出張やその前乗りが多かったけど、こういう理由だったんだ、って。休日返上しなきゃいけないとか聞いていたから、大変だななんて思っていたけど違ったんだ、って。花子さん、不思議と腑に落ちたらしいわ。そう考えたら、もしかすると、夫婦仲が良いと思っていたのは、花子さんだけだったのかもしれませんわ」
「お上手ですね」
「え?」
「いや、國府田さんの喋り方があまりにも巧みで、まるで、その場にいた本人かのような臨場感でしたのでね」
「……同じ女性としての同情です。もし自分が同じ立場になったら、って想像したら、少し感情が乗ってしまっただけです」
「そうでしたか。すいません、話が逸れました。元に戻しましょう」
「他に質問は?」
「シュークリームの中に毒があった、ということで間違いないのですよね?」
「ええ、どうしてそこが?」
「いや、シュークリーム以外に毒物があった可能性はどうかな、と思いまして」
「当時の刑事さんも同じ事を仰ってました。解剖所見ではクリームの中にあった可能性が高いとありましたが、それはあくまで可能性。他の物に毒物を入れていたもしくは塗っていたのではないか、と疑ったんです。旦那さんは他の家事もよくしてくれていたので、冷蔵庫の開け口や部屋のスイッチなど触れられる場所に塗っておけば、自然と毒を口に含むと考えたのでしょう。しかし、シュークリーム以外からは一切毒物の検出はありませんでした」
「となると、候補からは外れますね」
「残念ながら」
「ではこちらはいかがでしょう? 一連の計画を立てていたのは、花子さんですか?」
「というと?」
「例えばですが、実は毒はご主人が用意した物で、浮気相手とくっつくために花子さんの殺害計画を立てていた。それを自分が殺されるかもしれないと何らかの形で知った花子さんが自身が食べるものとご主人が食べるものをすり替えた、と推察しました」
「成る程。その可能性は面白いですね。しかし、そう考えると鴇和田さん、指紋の謎が残りませんか?」
「仰る通り。すり替えたのならば、花子さんの指紋が旦那さんの残ったシュークリームに付着しているはず。まあ、花子さんが手袋をしていたり、指先に瞬間接着剤を付けていれば指紋を消した上で、隙を見てすり替えることは可能ですが、そんなことしたらまず、ご主人に疑われますからね、除外してもよろしいでしょう」
「では、計画は花子さんが立てたものかという質問ですが、答えはイエス。その通りです。偶発的に起こったことでも、旦那さんの計画を逆手に取ったりや反逆したりの突発的なことでもなく、前々から計画していました。彼女は明確な、殺人犯です」
「なら、これまで考えていたことは無意味ですな」
「いえ、選択肢を減らしていくことは必要ですわ」
「しかし……そうなると、花子さんが毒を避けた方法がやはり分かりませんね」
「鴇和田さん、大事なこと忘れてませんか」
「はい?」
「シュークリームのどこに毒があるか事前に印のようなものをつけておけばいいんですよ。そこを避ければ、後はただ食べればいい。ほら解決」
「その方法も当然考えてました。しかし、そうなると二つ、分からない事が新たに出てきます」
「というと?」
「一つ目。ご主人が分けたなら、例え気づかれない印を付けたとしても、自分の方に毒の入った側のシュークリームが手元に来る恐れがある。そうなれば、殺害計画は一切合切意味がなくなる」
「あら。それは、旦那さんの方を食べたい、とか適当なことを言って交換してもらえばいいだけでは?」
「いえ、それすら成立しない可能性も残ってます。それが二つ目。ご主人に印の場所を食べてもらわないといけない、ということです。そもそも印の部分から切り分けるかもしれない。先程、前から計画していたと仰っていましたね? そこまで用意しておいて、その部分だけを一か八かの運に身を任せるような、しかも自ら死ぬ可能性のある真似、するでしょうか」
「さあ、わたくしに聞かれても……鴇和田さんは、いかがお考えを?」
「この世にゼロなことはありません。なので、当然ゼロではない。しかし、犯行手順から心理まで腑に落ちない点が多過ぎる。限りなくゼロには近いでしょうな」
「ほう……そうお考えなのね。それでは時間も無くなってきたので、ここでヒントです。花子さんは毒物を流したり指紋を拭いたりするようなこともしておりません。毒は紛れもなくシュークリームにのみ入っており、そして旦那さんが割ったものをただ素直に食べました。これだけは確かです」
「それは、間違いのないことですか?」
「ええ。これらについて、花子さんは嘘をついておりません」
「その証拠は?」
「いいえ、客観的に示せる証拠はございません。しかし、嘘じゃありません」
「……分かりました」
「よかった、信用して頂けて」
「しかし、そうだとするとぉ……やはり、殺すには難し過ぎるんですよねぇ。いやはや難しい」
「ふふふ、ごゆっくりお考え下さい。小田原まで、まだもう少し時間はあり……」
「あのぉ……」
「えっ? あっ、はい??」
「お話し中、すいません。先程コーヒーをひっくり返してしまいまして。後ろの方に流れていったのですが、お洋服やお荷物にはかかっておりませんかね」
「私は特には……ええ、大丈夫だと思いますが。國府田さんは?」
「わたくしも、特には」
「良かった。すいません、失礼しました」
「いえ……」
「突然、話しかけられて、びっくりしましたね」
「ええ」
「後始末が大変だし、人の心配もしないといけない。コップをひっくり返した時なんて、憂鬱になりますよね」
「……ん? ひっくり返す」
「何か?」
「ついさっき、確かなことは毒がシュークリームの中に入っていた。そう仰いましたよね?」
「ええ」
「であれば、他は違う?」
「……どうでしょう」
「そうか……」
「何かお分かりに?」
「いやぁね、國府田さんから事件の概要をお聞きしてから、一つずっと気になっていたことがあったんです」
「それは?」
「手口の粗さ加減、です。犯罪を犯す者というのは突発的に行わない限り、周到に用意するものです。誰しも捕まりたくはないですからね。今回において、花子さんは計画的犯行であり、事実毒を用意しております。そこまで周到に準備していた割には、手口があまりにも雑……というより、投げやり、という方が適していますかね。そこで、少し考え方を変えてみました。それこそ、前の席の男性がコーヒーをひっくり返したみたいに、百八十度真反対に。そしたら、私なりの結論に辿り着きました。しかし、正直自信はありません。なにぶん制限時間がそこまで迫っているので」
「では早く、答え合わせを……」
「その前に三つだけ、國府田さんに確認しておきたいことがあります」
「どうぞ」
「では、改めての確認にはなりますが、まずこの話に嘘はございませんね?」
「ええ全く」
「では次です。先程、花子さんは明確な殺人犯であると仰っていました。では、明確な殺意はいかがでしょう。持っておりましたか」
「五分五分、といったところですかね」
「最後にもう一つ。花子さんはご主人のことを、本当に、心から愛していましたか」
「……はい」
「ありがとうございます。安心しました。全て予想通りのお答えでしたので」
「ということは、鴇和田さん……」
「ええ。花子さんの真の犯罪が一体何だったのか、どうやら真相に辿り着けたようです」
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