第30話 何点の喜び方?
「彼女も、元々相当な弾き手だったと思うわ」
「さっきから、よくわかるな」
去りゆくOLさんの後ろ姿を眺めながら、七瀬が言う。
相変わらずの洞察力に舌を巻く。
「演奏者はそれなりに見てきたから、なんとなくわかるのよ」
「なるほど」
「七瀬も、大会とか、結構良いところまで行ったのか?」
「小学校の頃に、全国で優勝はしたわ」
「へー、全国で優勝……はあ!?」
さらっと言うもんだからリアクションが出遅れてしまう。
「良いところどころか、トップ獲ってるじゃん! それはまじでヤバい!」
「優勝以外、許されなかったんだもの。死ぬ物狂いで弾いてたわ」
──テストも、かけっこも、ピアノも、美術の発表会も、他者と競争する事に関して、両親は私に、一切の妥協を許さなかった。
不意に、昨日の七瀬のセリフが蘇る。
そういえば、七瀬は学年テストで1位以外、取ったことがないと誰かが言ってたな。
七瀬は俗に言う、『天才が死ぬほど努力をした』を体現した少女なのだろう。
「凄いな、七瀬は」
なぜだか、七瀬を褒めちぎりたくなった。
労ってあげたくなった。
「ここまで突き抜けていると尊敬しかしないわ、マジで凄い」
「な、何よ突然、気持ち悪いわね」
「誰しもが為し得ない偉業を達成していたら凄いと思うだろ、普通」
「為し得ない偉業って、大袈裟よ」
「ピアノで全国1位と、学年テストで1位は偉業と言わずしてなんと言うんだ」
「一応訂正しておくと、テストも全国で1位よ」
「ノーベル賞モノだった」
「ノーベル賞も安くなったものね」
「いやでも余計に凄いわ、凄いしか出てこない」
「あ、あまり褒めないでちょうだい」
ほんのり頬を手に染めて、所在なさげに髪を弄る七瀬。
「どういうリアクションをすればいいのか、わからないわ」
「喜べば良いと思うよ」
「難しいこと言うわね」
「全国1位なら簡単だろ」
「全国1位でも、解けない問題は無限にあるのよ」
「これは即答できる問題じゃ?」
「高橋くんとっては1問1点の○×問題レベルかもしれないけど、私にとっては1問100点の記述式レベルの難題なのよ」
「それはクッソ難題だな」
1問100点の記述式って、どこの入試の配点だよ。
「でも、そうね……」
深く息を吸い込んで、表情筋をもにゅもにゅ手で動かして。
俺に向き合ってから、七瀬は言った。
「ありがとう、嬉しいわ」
喜色が溢れた、絵にして飾りたくなるような笑顔だった。
思わず俺は息を呑んで、その表情に見惚れてしまう。
「何点?」
「へ?」
「今の喜び方、100点中何点?」
「ああ、えーっと……60点?」
すん、っと七瀬が表情を元に戻す。
「やっぱり難しいわね、この問題」
「ちょっと表情がぎこちない気がしたのと……あとシンプルに、意図的にやるもんじゃないだろうと思って」
「というと?」
「感情は意図的に作るんじゃなくて、自然に出てくるものだってこと」
「やっぱり、この手の問題は私と相性が悪いわ」
「そんなことないと思うけどなあ」
この数日思い返すだけでも、七瀬は充分、感情豊かだと思うが。
本人の自覚がないだけなのだろうか。それとも……。
「そろそろ行きましょうか」
「あ、うん。あっ」
「どうしたの? 早く行くわよ」
首を傾げる七瀬に、俺はなんとなく、ほんと些細な気持ちで言った。
「いや、せっかく誰でも弾いて良いピアノがあるんだし、全国優勝レベルの腕前を聴いてみたいなと」
「嫌よ」
拒絶。
底冷えするような声に、背中がナイフを突きつけられたように凍りつく。
同時に、七瀬がハッと目を見開いた。
「今は、そんな気分じゃないの」
取って付けたように言う。
「……そ、そうか。おっけい」
気分以外に要因があると察した上で俺は、これ以上広げないことにした。
何か思うところというか、色々と事情があるんだろう。
……そろそろ、踏み込んでみても良いんじゃないか。
田端駅で、七瀬が身を投げようとしていた理由に。
そう思いつつも、そのタイミングは今じゃないな、というのもわかる。
「それじゃ、行くか」
「ええ」
七瀬と出口に向かって歩き出す。
その途中、そういえば七瀬がここにきた理由の話、まだ途中だったなと思い出す。
気になるが、別のタイミングで尋ねるとしよう。
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