第8話 熱海のギャル
「大丈夫……絶対にうまくいく……あーしは大丈夫……」
左隣から声がして心臓がヒヤリとした。
七瀬に気を取られていて、いつの間にか隣に人が座っていた事に気づかなかったらしい。
「(地元の高校生かな……?)」
俺たちと同じか、ちょっと上くらいの少女が、祈りを捧げるように両手を合わせ何やらぶつぶつ呟いていた。
人形みたいに整った顔立ちは雪のように白く、赤い瞳、金色に染めたセミロングが華やかさに拍車をかけていた。
首元を開けたブラウスに、赤のネクタイ。大きく強調された胸元でネックレス、小さな耳でピアスがきらりと光る。
腰にはクリーム色のカーディガンを巻き、太ももが露出したミニスカートからは健康的な生足が惜しげもなく伸びていた。
いわゆるギャルだった。
……よし、風のように立ち去ろう。
陽の世界に伝わるギャルニケーションに巻き込まれたら最後。
陰の者に生きる俺は一瞬にして言語を奪われ物言わぬ石にされてしまう。
陰キャに優しいギャルなんてものは神話上の生き物だ。
足湯の余韻に浸るように息を吐き、七瀬に声を掛ける。
「そろそろ行こうか、なな……」
「ちょっと、さっきからうるさいのだけれど」
ちょ、おま!?
静止する間もなく、七瀬がギャルに切り込んだ。
「ひゃうわっ!?」
ギャルは寝耳にコーラをぶっかけられたみたいな反応をした。
俺と七瀬と姿を見やった後、「やってしもうた!」みたいな表情をする。
「ごめん! うるさかったよね!? ほんとごめん!」
勢いよく頭を下げて、ぱちんっと両手を合わせるギャル。
「わかってるなら、静かにしてくれないかしら? せっかく足湯を堪能してるのに、貴方の呪詛で台無しなのだけれど?」
あ、堪能してたって認めたよこの人。
容赦のない七瀬の口撃に、ギャルは「ひいっ」と身を引いた。
「こわー! 初対面でめっちゃ戦闘モードやん! せっかく美人なのに、そんなんじゃ男に逃げられちゃうよ?」
「初対面で失礼なのはどっちかしら?」
ぴきりと、七瀬のこめかみが音を立てる。俺的にはどっちもどっちだと思うんだが。
「あいにく、私は色恋沙汰に興味ないし、来られたとしてもこっちから願い下げよ」
「あれ? この人は彼氏違うん?」
「ぶふっ!?」
なんちゅう爆弾を投下しやがるこのギャル!
「……なかなか面白い妄想をするのね。家で妄想小説でも綴った方が有意義な時間を送れるんじゃないかしら」
「あーし褒められた!? いやぁ、それほどでも〜!!」
「遠回しに帰れと言っているのだけれど……この程度も伝わらないほど頭が残念なの?」
「人のレベルに合わせて会話できない人はアホだってママが言ってた! 残念なのはどっちかな?」
ビキビキィッと、人の神経が絶対に立てちゃいけない音がした。
頭脳に関しては絶対的なプライドを誇る七瀬の逆鱗に触れたらしい。
「くだらない戯言を言う口はこれかしら」
「きゃー! 襲われるー!?」
ギャルに両肩を掴まれ後ろに引き寄せられる。
「ちょっ!?」
コイツ、俺を盾にしやがった!
その時、むにゅんっと柔らかい感触が背中に触れた。
「(む、むねっ……当たって……!?)」
心臓が皮膚を破って飛び出しそうになる。
生クリームみたいに甘い匂いが鼻腔をついて、ただでさえ足湯で火照っていた身体の温度が急上昇した。
「退きなさい、高橋くん。私にはそのビッチに制裁を下す義務があるの」
「ビッチってひど! 恋に悩む普通の乙女だし!」
「自称乙女はビッチと相場が決まっているのよ。当分男漁りができないよう、その口を縫い付けてやるわ」
「ひー! こわいこわい!」
「ちょ! 二人とも落ち着いて! 酔う、酔う!」
ぐわんぐわんっと身体を揺らされる。
七瀬が顔を般若にして迫ってくる。
湯に足を突っ込んでいるため逃げることもできない。
「ええい、ちょこまかとっ……」
ずいっと、眼前に七瀬の見事な双丘が現れた。
ギャルを捕縛するため、そのまま俺に抱き着くように身を乗り出してくる七瀬。
たわわな二つの胸がもにゅんと顔に押し付けられってちょーーーい!?
「捕まえたわ、覚悟しなさい!」
「ひえええっ!?」
怒り心頭の七瀬は、今自分がどのような体勢か気づいていない。
Tシャツ越しに感じる温もり、心安らぐ柔軟剤の甘い匂い。
過剰な異性の情報に俺の頭がオーバーヒートした。
「くる……しぃ……」
か弱い叫びを上げるも届かない。
前後から胸に挟まれるという理想のシチュエーションは、長時間の足湯でのぼせ気味だった俺にとっては地獄のイベントでしかなかった。
「彼氏くん助けてー!!」
ギャルが大きく体勢を変えたことでようやく視界が開けた。
「ぷはっ……ちょっ、二人ともいい加減に……というか彼氏じゃない……か……ら?」
ぐらっと、視界が揺れた。
立ち眩みにも似た感覚。
本能が叫ぶ。
もう限界やと。
「た、高橋くん!?」
七瀬が異変に気づいて身を離した。だがもう遅い。
「彼氏くーん!」
俺を呼ぶギャルの声が遠のいていき……暗転。
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