第3話 沈丁花と祈り
一人の客人が一体の人形を連れ帰った夕刻、エステルは書斎の一角に設けられた応接セットで、人形師と向かい合って座っていた。
やがて二人の沈黙を壊すように、暖炉の薪が小さく弾ける音がなったと同時に、人形師は大きな溜め息をついた。
「…本当に、彼の元に行くのかい?」
その溜め息には『面倒なことになった』という呆れが、多分に含まれているようにエステルには感じられた。
彼女はこの日、悩みに悩み続けていたアルベルトの元へ行くことを決めた。
「お願いします、お師様。お師様にユークレース邸まで運んでいただけるだけで構いませんから!」
エステルは前のめりになり両手を握って懇願した。
知っている。うちのお師様は意外と押しに弱い。
「いや、それよりも重要なことがあるだろう?あのユークレースだぞ?あいつの仕事忘れたのかい?第三師団の師団長様だぞ?着いた時点で殺される可能性だってあることを分かって言っているのか、うちのお馬鹿な愛弟子は?」
まるで駄々をこねる小さな子供を諭すように、次から次へと彼の口からお説教が飛び出す。
そう。エステルの元婚約者の家は代々、騎士団でも第三師団と言われる警備や事件の調査を担当している。
つまり、魔女などの調査も彼の管轄なのである。下手をすればその場で斬られてしまう。
思わずその状況を想像したエステルは、一瞬青い顔をしてたじろいだ。
その様子に眉根の皺を一層深くした人形師は、更にエステルを押し返すように前のめりになっていく。
その目は『それ見ろ!』と言っているようである。
(駄目だ!押し負けちゃう…!)
美しい顔でも目が座るとかなりの迫力が出る。正直怖い。
口をぎゅっと引き結び、何度も瞬きを繰り返し、今にも泣きそうなのを必死に耐える。
自分の師匠が心から心配してくれているのも分かっている。
けれど、エステルは自分が孤独だった時に、この人形師が家族のように接してくれたからこそ、今の自分がいることもよく分かっている。
もしかしたらアルベルトにとって、自分がそんな存在になれるかもしれない。
必要として貰えるなら、どんな努力でもしてみせる。
そう決意した時、今にも零れ落ちそうな涙を耐えたピンク色の瞳が、力強く前を見据えた。
「私が、行きたいのです!!」
突然ソファから立ち上がり宣言をした彼女に、流石の人形師も口をぽかんと開けた。
「エステルが、我儘を言った…!」
エステルは本来大人しく、従順な性格だ。
この娯楽など全くないこの屋敷で、魔術の勉強と、使用人としての家事をこなす日々を、一度も不平不満を漏らすことなく過ごしてきた。
そんな彼女が初めて自分の『願い』を主張してきた。
こんな時にふと思い出したのは、古い友人である彼女の父の言葉だ。
『本気で怒ると手に負えない。泣かせるな。厄介だ』
あの言葉の意味をまさかこんなタイミングで知ることになるとは…。
人形師は難しい顔のまま、思わず頭を抱えた。
エステルの目を見ると涙が溜まり始めている。どうやらそろそろ限界でもあるようだ。
「お師様、お願いします。アルトの所に行きたい。何もかもを失った自分が、もう一度手に入れられるかもしれない人がそこにいるんです!」
人形師はソファに背を預け、項垂れ、またソファに預けと再三繰り返した後、大きく息を吐きだし『こんなとこまで父親そっくりか』とぶつくさ呟いたのを最後に、ようやく…というより渋々頷いた。
「但し、君に危険なこと及びそうな時は連れて帰るからね。一応あいつとの約束だから。」
少し不貞腐れたような表情をしていたが、言質はとった。
無事にエステルの勝利である。
「はい!お師様!!」
嬉しさのあまり涙が滲ませながら笑うエステルに、人形師は子供を見守る親のように目を細めた。
半ば強引に取り付けた師匠の許可ではあるが、これで王都へ入る問題はほぼ解決だ。
魔術師なら何でも出来そうだが、実はそうでもなく色々と制限がある。
そのため、エステル一人でユークレース邸に行くことが困難だったのだ。
今回なら役に立ちそうな≪転移≫の魔術もあるにはあるが、目的地に飛ぶには座標が必要だ。
けれど今回はその方法は使えない。
肝心のユークレース邸の座標がわからないのである。
人形師曰く『座標を貼るのを、あそこの坊ちゃんが嫌がってねぇ』って笑っていたが、ユークレース家に『坊ちゃん』と言えるほど小さい子供はいない。
つい、エステルは首を傾げたが、人形師はくすくすと笑うだけであった。
さて、肝心の移動方法であるが、今回は便利な≪転移≫の魔術は使えない。
徒歩で王都に入ることも当然できるが、検問所にて通行証により身元の確認が行われる。
これは国や領主自ら発行するため、易々と手に入るものではない。
人形師はというと、過去の取引先としてお国の偉い方がいるらしく、正・式・に偽造された通行証を持っている。
何を言っているか分からないが、それ以上は聞いてはいけないような気がしたため、エステルはあえて聞かなかったことにした。
当然、エステルはそのような通行証など持っていない。
そもそも、戸籍上既に死亡した人間なのだから、仮に持っていたとしても無効だし発行も出来ない。
では、どうやって王都に入ろうというのか。
それは『直接運ぶ』それも『積荷』として、である。
幸いエステルのお師匠様は魔術師としては大変優秀である。
人間に≪停止≫の魔術を掛けられるならば、長時間箱に詰められても苦しくはないし、万が一、積荷を確認されたとしても、心臓さえ動いていなければ、悪趣味な人形としか思われないだろう。もし死体と思われたら…その時はお師様に大人しく捕まって貰おうと思う。
「…君も無茶苦茶だなぁ」
ソファの手摺に頬杖をつきながら、自身の輝く銀髪を指先で弄る。
けれど、否定しないということはこの作戦は『有り』らしい。
「私が捕まるなんてヘマはまずしないが、揉めないことに越したことはない。となると、『君』を見られなくする事が重要だな」
銀髪を弄っていた指をピタリと止め、何かを考えこんだ後、一人納得した様子で突然立ち上がり、今度は書斎机へと座る。
便箋と万年筆を机の引き出しから取り出すと、誰かに手紙を書き始めた。
けれどその手紙はたった数行で済んでしまったようで、次にその便箋を折り畳む。
人形師は折りあがった鳥を掌に乗せると息を吹きかけた。
するとキラキラとした光の粒が、紙で出来た鳥を金色の小鳥へと変化させていく。
エステルは思わず感嘆の声を上げた。
『いつ見てもお師様の魔術は綺麗ですね!』と笑うと、満足そうに人形師は微笑んだ。
人形師の掌に止まっていた小鳥を窓の外へと放つと、光の軌跡を残しながら何処かへと真っ直ぐ飛んで行く。
「さて、これでいいかな。」
鳥を見送った人形師が振り返り、『では次は君の準備に取り掛かろう』と悪巧みを思いついた子供の表情を浮かべた。
***
翌日、人形師の屋敷の前に一台の荷馬車が停まった。
そして御者として現れたのは意外な人物であった。
「やぁ、ご指名ありがとう!まさかエステルちゃんを運ぶ役割が与えられるなんて思わなかったよ」
朝から屋敷の中にズカズカと入ってきたのは、赤毛の行商人であった。
軽く挨拶を済ませると男は周囲を見渡し、荷造りされた物を次々に荷馬車へと運んでいく。
呆気にとられていたエステルに気付くと「あの話をして正解だった」と軽くウィンクをした。
やはりエステルの正体を知っていたらしい。食えない男で間違いはなかった。
「積荷に化けるにはこれが最適だろう?」
エステルの後ろで腕を組む人形師は、イイ仕事をしたと言わんばかりに満足気であった。
確かに何度も王都を行き来する商人の積荷ならば、チェックは甘いだろう。
だが…
「…お師様もついて来てくれますか?付いて来てくれますよね!?」
王都に着く前までにこの胡散臭い行商人の気が変わり、売り飛ばされたりでもしたら敵わない。
何せこの男とはこの屋敷で二週間に一度会うだけの関係だ。
正体どころか名前すらも教えて貰えていないのである。
「…流石に君を売り飛ばすほど、俺は悪人じゃあないよ?あ、ちなみに名前は無い。もう俺の名前を知る人間はいない『人形』だからね。」
さらりと告げられた真実に、エステルは目を見開いた。
クツクツと笑う男は『大丈夫、口には出てない』と言ってはいるが、今もその前に考えていたことも、心の声がそのままこの男に聞こえているとしか思えない。
「あんまり、怖がらせないでやってくれ」
呆れた様子で人形師が行商人を窘めると、男は『もうしません』と両目を瞑り片手を挙げた。
エステルはひとまず混乱した頭を落ち着かせるために、運び忘れた物はないか確認をすることにしたが、既に荷物は殆ど積み終わった後である。
残されたのは人一人が入れそうな装飾の美しいケースただ一つ。
こげ茶色の革張りのケースは縁に沿うように金の蔦が伸び、アクセントに沈丁花の花が描かれていた。
そう、このケースにエステルが入るのだ。
エステルはゆっくりとその蓋に触れ、金の装飾を指先でなぞる。
――怖くないと言えば嘘になる。
もしも会うなり『裏切者』と罵られ捕まりでもしたらー
『お前などもういらない』とまで言われてしまったらー
四年も彼の元へ帰らなかったのは、それが怖かったからだ。
エステルの知っているア・ル・ト・ならば、そんなことは決してしないし言わないであろう。
だが、そう確信をもてるほど今のア・ル・ベ・ル・ト・のことを、今のエステルは知らない。
(――拒絶だけはされたくない…)
考えただけでエステルの胸は押し潰されるように痛く、喉にせり上がってくるものを感じた。
装飾をなぞる指が震える。
震える手に気付いた時、ケースから手を離すともう片方の手で包み、ただ祈った。
(大丈夫。アルトだもん。きっと、変わらずにいてくれている…)
今のエステルには祈ること、ただそれだけしか出来ない。
昔と変わらない、優しいあの人がいる筈だ。
ぎゅっと唇を噛んで、痛みが不安を飛ばしてくれるのを待った。
「では、そろそろ行こうか」
エステルの後ろから穏やかな声が聞こえた。
振り返ると光に透ける銀髪の男と、赤く鮮やかな髪の男が微笑む。
エステルは目を閉じると胸に手を当て大きく息を吐く。
次に目を開けた時、彼女はケースの蓋にゆっくりと手を掛けた―
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