第4話
次の日。午前中からの夏期講習はサボって、アタシとオサムは19時に学校に着いた。
モナカとナバリ先生と連れ立って地学教室に立ち寄り、道具をそろえて屋上に出た頃には濃い紫色の空が広がっていた。
「えっと、ペルセウス、ペルセウス……。だめ、暗くて字が読めないよ」
モナカがまた大きな本を広げている。タイトルは「夏の星座」。
その近くで、天文学部の自称顧問であるナバリ先生が、広げたレジャーシートの上に枕を一つ放り投げていた。
「本当は深夜から明け方にかけてが一番見えるらしいんだけどね。まあ、学校の屋上で深夜ってのはちょっと危ないから。それにしても、アナタそんなのよく扱えるわね」
アタシとオサムは望遠鏡をセッティングしていた。それにしてもアナタ、顧問ですよ。望遠鏡をセッティングできるのはアタシとオサムだけなんだけど……というか、今のところ部員らしい働きをしているのは2人だけだ。アタシはたまらずイライラを口にした。
「望遠鏡覗いてたら流れ星なんて見逃しちゃうんじゃないの。いらないわよ、こんなの」
「それは、あれよ。ついでに惑星の観察もしちゃおうって寸法よ。土星の環なんか、実際に見たら感動するわよ。カメラ持ってきた?」
「あ、忘れた」
部の備品は望遠鏡だけでなく、ちょっと特殊なカメラなんてのもある。天体写真を撮るためのものだ。これがないと、きちんと活動している証明にならないから先生が困るらしい。それを忘れてきた。
カメラを取りに階段で2階まで降りて、地学準備室の扉を開こうとした時、スマホが鳴った。シュンだった。途端に嫌な予感がした。
「カリン、やばい。やばいことが起きた」
声が上ずっている。
「な、何よ?」
「ナツメ……、いや、マミが……、愛情確認ゲーム、2人とも始めやがった……」
すぐに薄れるだろうと思っていた罪悪感が急に大きくなって、背中にのしかかってきた。
「とにかく、落ち着いてよ」
こんなのゲームなんて呼べない。そう叫びたかった。
「お、お、落ち着けったって……」
「落ち着けって言ってんだろ!」
怒鳴った声が反響した。
「アタシに頼らないでよ!アンタの問題じゃない!自分で決めなさいよ!」
「お前が、みんなに、思い出させたんだろ!」
分かっていた。だから早く忘れようとしてたのに。
唇が痙攣している。つられて頬も引っ張られる。
「い、いわないでよぉ!」
「泣きたいのはこっちだ!ナツメかマミちゃん、どっちか死ぬんだぞ!」
分かってる。分かってるって。でもアタシだってどうしたらいいのか分からない。誰か助けてよ。
背後から声がした。
「言ったじゃないか。好きとか嫌いとか、行くとか行かないとか、言葉でも行動でもないんだって」
「アンタに何が分かんのよ、オサム」
「分からない。分からないよ。だって自分じゃないんだから。分からないから、分かり合いたいんじゃないか。みんな知りたいのは、愛情っていう
涙を拭って、シュンから2人の居場所を聞き出した。どっちも学校から15分くらいで着く。シュンの家からも同じくらいの距離じゃないだろうか。警察には連絡できない。パトカーを見た瞬間に自殺を決行するかもしれない。
「アタシも行く。どっちか選ぶ。だからアンタは、シュンの気持ちを、ちゃんと伝えて」
そう言って無理やり電話を切った。
アタシは走り出した。走っていると、ふつふつと怒りが湧いてきた。ふざけるな。これ以上アタシの身近な人が死んじゃうなんて、絶対に許さない。
ナバリ先生に言って車を出してもらった方が早かったかもしれない。だけど、思った時には自転車に
マミがナツメをたきつけたんだろう。タイムリミットとかあるんだっけ。シュンとの電話は何分くらい経っただったろう。街路樹の枝葉が揺れ、店先のポスターが
信号待ちでぶあっと汗が噴き出して、心臓が大太鼓みたいな音を連続して鳴らしている。
三方向をマンションに囲まれた新しい公園。歩道に自転車を倒して、そこに駆け込む。センサーの照明が思い出したように灯され、3つの洗面台が目に入った。広くてきれいなトイレだ。
彼女らしい、となぜか思った。一番奥の個室、扉が閉まっている。その扉を思いっきり叩いた。
「ナツメ!」
個室の中からガタガタと音がして、
「ナツメ!」
「なんで、カリンが来るのよぉ……」
涙声とも呼べないような、潰れた声が聞こえた。違う人みたいだ。
「住良木君が、なんか、アタシに隠し事してると思ったら、やっぱりそうだったんだ!」
「違う!聞いてよ!」
「やだ!」
扉が激しく揺れた。中から
「聞いて!」
「やだ!」
個室の中からスマホが放り出されて、その破片が足元に飛び散った。アタシは思わず叫んだ。
「聞けよ!!」
ナツメがシュンのことを苗字で呼ぶのは久しぶりだった。二人が付き合う前のことだ。
「シュンはナツメのこと大事にしてるんだよ」
「してない!」
「男って、好きとか嫌いとか、あんまり言わないじゃん。そんな言葉なんかで、死ぬとか、遊びにもなってないよ」
「遊びでも、だって、シュンは――」
その時、アタシのスマホが振動しているのに気が付いた。通話ボタンを押して、耳に当てる。
「ナツメに電話がつながらないんだ!ナツメは?」
シュンはマミの方に向かう。なぜかそう確信していた。
「早くさ、ナツメにアンタの声、聞かせてあげてよ」
スピーカーモードに切り替えて、音量を最大に上げる。
「ナツメ、聞いてるか?」
個室からはすすり泣く声だけが聞こえる。
「マミちゃんも、一緒に聞いてくれ」
良かった。マミもまだ生きてる。
「俺、ダメな奴でさ。今から酷いこと言うかもしれない。それで人が死ぬかもっていうのは怖いけど、それでも、やっぱりこれしかないんだ」
死という言葉が出ても不思議と恐怖は感じなかった。
「2人は本気になって、気持ちを伝えてくれたんだろ。だったら、俺ができることってさ、2人の気持ちに応える、本当の意味で応えることが、ちゃんとするってことだって思ったんだ」
そこら中にピンとした糸が張り巡らされているような感覚がした。
「ナツメ。本当は面と向かって言うべきだけどさ、足りない分は明日も、明後日も、これからずっと、ちゃんと言うようにする。今日、この後だっていい。格好つけないように、俺の本当の気持ちを口に出すようにするよ」
息を呑んだ。指先さえ動かせない。
「俺、ナツメのことが好きだ。だからマミちゃんとは付き合えない。初めからはっきり言えば良かったんだ。本当にごめん」
そしてアタシの右の耳と左の耳に、2人それぞれの感情が聞こえてきた。スマホからは小さな子供のように大泣きする声と、個室からはそれを
しばらくすると扉は開かれた。可愛いキャラもののタオルを握りしめて、少し幼い顔のナツメが出てきた。アタシは彼女を抱きしめた。首には何も巻かれていない。カッターナイフも、薬だって持っていないだろう。死ぬつもりなんてなかったのかもしれない。だけど本気だった。シュンも、マミも本気だった。それで十分だ。
「今度はちゃんと会って、気持ちを伝えないとね」
そう言うとナツメはこくりと頷いた。
人通りもまばらな住宅街で、一人家路についていた。自転車が壊れている。公園の前で倒した衝撃か、漕ぎ始めたらすぐにチェーンが外れた。モナカに電話してマミのことを任せて、ナツメを家の近くまで送り届けた直後だった。
夜空を見上げて目を凝らしながら、今日の観測会が中止になったことを少し残念に思っていた。
路上駐車の黒いワゴン車の横を通り過ぎようとした時、中から男の人が降りてきた。
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