第2話

「ねえ、愛情確認ゲームって何」


ナツメは教科書を鞄に詰め込んでいた。声を掛けるとその手が止まり、一瞬、怪訝けげんな顔をした後、パンッと手を叩いた。


「ああ!なっつかしい!愛情確認ゲーム!あれでしょ、『自殺するから今すぐ来て』でしょ。ねえ、モナ、覚えてるー?」

「ほぇ?」


教室から出て行こうとしたモナカが呼び止められた。百科事典みたいなのを抱えているから、たぶん図書室にでも行こうとしていたんだろう。モナカは背中のバッグを揺らして、小走りでやって来た。


「愛情確認ゲーム、覚えてるでしょ?」

「あぁ、懐かしいねえ。うん、中学で何人かやってたね」


「一体何なの?」と尋ねると、2人は顔を見合わせた。それから、モナカが手近な椅子に腰かけた。


「カリンはさ、『あれ?私の彼氏って、ちゃんと私のこと大事にしてるのかな?』って思うことあるでしょ?」


モナカの人差し指が彼女の口元に添えられ、ちょっとだけ芝居がかった口調になった。ぷるんとした唇が冷たい蜜柑みかんゼリーを思い出させる。


「知らないわよ、そんなの」

「一般的にね、一般的に」


アタシの仏頂面にナツメがフォローを入れる。そんなやり取りなどお構いなしにモナカは続けた。


「そんな時にメールを送るの。今、自分がいる場所と、これから自殺するよってことを。場所は、相手がいる所からあんまり遠いと助けに来られないから、歩いて15分くらいが良いかな」


なるほど。確かに昨日、オサムがいたのはアタシの家の近所の公園だった。


「初めのメールから3分おきに、相手の居場所を尋ねたり、世間話とかするようにして、助けを待つの」

「それで、自分で教えた場所でひたすら待つだけでしょ?何が楽しいのよ」


モナカが、やれやれといった具合で手を広げた。


「これは実験だよ。彼女のピンチに彼氏は助けに来るのかっていう」

「そうよ。『自分を大切にしろ』とか『俺を悲しませないでくれ』とか言いながら、30分も40分も家から一歩も外に出ないような、そういうサイテーな男だっているんだから」


ナツメの過去に何かあったのだろうか。やけに力が込められていた。


「だから愛情確認ゲームってわけね」

「中学校の時はそれで何人か別れたって聞いたよ」


くだらない遊びだと思って聞いてみたけど、本当にくだらないことだった。


「好きとか嫌いとか、いちいち確かめないといけないものなの?好きって気持ちを持ってるってだけで良いじゃない」


2人の目が丸くなった。それからナツメが口を開いた。


「カリンって、変な考え持ってんのね。女の子はみんな、好きって言われたいのに。ねえ?」


同意を求められたモナカが苦笑いした。


「まあ、いいわ。それで、ナツメは誰に教わったの?」

「愛情確認ゲーム?それなら、モナに教えてもらったかな。図書委員だから流行にも敏感なのよね」

「えへへぇ。図書委員は関係ないよぉ」

「モナは、誰から教わったの?」

「え?ええと……、誰だっけ……」


モナカが口元に指を当てると、ナツメの片眉がぴくりと上がった。


「ちょっとカリン。何するつもりよ」

「決まってるわ。そんな遊び、作った奴を見つけて懲らしめてやるのよ。彼氏の愛情と自分の命を天秤にかけるなんてばかげてるけど、実際にやっちゃう人がいるんだもの。いつか本当に自殺する人だって出てくるかもしれないわ」

「一度流行っちゃったものを消すことなんてできないって」

「それでも、責任は取らせないと」


流行に加担するのは仕方がない。だけど、それを仕掛けた人には責任があると思う。何より怒鳴りつけてやらないとアタシ自身の恨みが消えない。夜中におかしなことをさせられたアタシの恨みが。


突然、モナカが「そうだ」と手を叩いた。鞄を漁って、スマホを取り出す。電話をかけ始めた。



2日後、土曜日。

私とオサムはファミレスに来ていた。テーブルを挟んだ目の前にはモナカと、マミという女の子。モナカの中学時代の友達らしい。濃いめのメイクに真っ黒なロングヘア、指先は紫色で、整った童顔だけど、どことなくヤバ目の印象を受けた。


「それで、マミちゃんもほかの同級生から聞いたっていうの?」

「うん。モナから愛情確認ゲームのこと聞いて、この遊びを始めた最初の人まで連絡をつないでるよ」

「ホント?助かる!」

「私が最初に考えましたっていう人が居たら、その人の名前が私のところまで戻ってくるように、頼んでる」


このマミという子、なかなかに優秀だった。



それでしばらくおしゃべりしながら待っていて、面白いことが起きた。

モナカのスマホが鳴った。ナツメからの電話だった。モナカがオーバー気味のリアクションをして、電話はすぐに切れた。


「えっと、私とマミちゃんとナツメちゃんの同級生で、ソラちゃんっていう子がいるんだけど、その子が教わったっていうのがナツメちゃんからで、その……」

「ちょっとちょっと、何言ってるのか分かんないわよ」

「一周回っちゃった」


要約すると、モナカの前にマミがいて、その前に数人か十数人かいて、その中にまたナツメとモナカが入っているということ。そういう話だった。

伝聞が輪になって、その輪が閉じてしまっている。ゲームの発案者が輪の中にいなければありえないことだった。だけどその不可思議な現象はいとも簡単に解明された。


「それじゃあ、お姉ちゃんかなあ……」


モナカが呟きながらスマホをいじり、耳に当てた。そういえば彼女にはモニカという不良大学生の姉がいると聞いたことがある。


「あ、お姉ちゃん?ちょっと良い?愛情確認ゲームって覚えてる?」


噂なんてものがリレーみたいに一直線に広まっていくはずがない。流行はネズミ算式に、網目のように複雑に拡大していくのだろう。


私もオサムもマミちゃんも初対面同士で、気まずくなった私は外に目を向けた。

スーツ姿のオジサンが通りかかる。土曜日なのにご苦労様です。

あのカップル、炎天下で手なんかつないじゃって暑くないのかしら、って――。


「あっ、バカ、来るんじゃないわよ!さっさと通り過ぎなさい!シッシッ!ああ、もう、ほら睨んでるじゃん!」


マミちゃんとオサムが不思議そうに私を見ている。


「どうしたんだよ。知り合い?」

「どうしたもこうしたもないわよ!」


ファミレスの入口に2人が立った。ナツメとシュンだ。


「ひゅー!やっぱ中は涼しくて天国だな!おーい!」


シュンがばかみたいに大声出して、手なんか振って。アタシはテーブルにひじを突き、頭を抱えた。


「お前ら集まって何してんの?この子誰?」

「あ、その、モナの友達で、マミって言います……」


マミちゃんの顔が赤くなった。まあ、シュンは顔だけは良いから。


「ちょっと。ナツメとデート中でしょ?どっか行きなさいよ」

「はあ?ひどくね?せっかく休みの日に友達に会えたのに。一緒に遊びたいよなあ、ナツメ?」

「べっつにー。ちょっとお昼ご飯食べに行くだけだったしー」


嘘つけよ。めっちゃメイクしてんじゃん。気合入ってんじゃんよ。シュンはちゃんと見てやれよ。マミちゃんもゆでだこみたいになってんじゃないよ。モナカはいつまで電話してんだよ。



6日後、金曜日の昼休み。お昼ご飯は保健室で、モナカとナバリ先生と一緒だった。

モナカがお弁当箱用の手提げを仰々しく持ち上げている。指で挟み込んだ四つ折りの紙をピッと取り出した。


「ふっふっふっ。わが社の優秀な調査員によって極秘の文書を手に入れることができたのだ」


その紙は先生の机の上に広げられた。


「これ、もしかして愛情確認ゲーム?」


A4サイズのルーズリーフが2枚、セロハンテープでつなげられている。書き込みは新聞の文字くらい細かくびっしりと。一番右下に小さくモナカの名前を見つけた。「女子高生、17」と書かれているから、年齢と肩書きなのだろう。全部の名前が矢印で結ばれている。下から上に向かって書かれた変な家系図みたいだ。


「全部で何人分くらい書いてあんの?」

「うーんと、60人くらいだったっけ。モニカお姉ちゃんは100人まで目指すって言ってたんだけど、どうしても途中で止まっちゃって」


モナカの名前からスタートして、矢印をさかのぼるように指でなぞる。姉のモニカが来て、大学生、大学生、アパレル店員、教師、ゲームセンター勤務、居酒屋店長。ナバリ先生の名前を見つけて顔を上げると、先生は恥ずかしそうにはにかんでいた。


「途中で止まったっていう意味が分かったわ。そういうことね……」


矢印は何本も枝分かれしており、ぷっつりと途切れているのがほとんどだった。これは恐らく、「誰から教わったのか忘れた」というものだろう。辛うじて残っていたルートも、最後は年配の人の名前が書かれ、そこで矢印が終わっている。すでに亡くなっていて確かめようがないのだ。

アタシはそこを指差したまま言った。


「おかしいわ、これ。愛情確認ゲームってメールでやりとりするんでしょ。アタシたちより上の世代だとスマホとかないじゃない。流行りようがないわ」


するとナバリ先生がペチッと指を鳴らした。


「橘、するどい。けどよく考えてごらんなさいよ。噂話ってのは尾ひれと背びれが付くものよ。つまり原形があるってこと。スマホの前は携帯電話、その前は家の電話、その前は……手紙とか?とにかく、そういう風に時代とともに変化してきたってことよ。きっと」


いつの間にかモナカが本をめくっていた。彼女はいつも違う本を抱えていた。今日は色あせた分厚い本。金文字で「日本の遊び」とタイトルが書かれていた。

モナカの手が止まった。


「この前、『愛情確認、遊び、男女』とか、そういうキーワードでネット検索かけてみたの。それで気になることがあったから、図書館で詳しく調べてみたんだよ」


姉といい妹といい、調べ物には嬉々として取り組む性格みたいだ。感心しながらモナカの指先を目で追う。


「なになに、『古い時代の中国で行われていた遊びが日本に伝わったものと言われている』。へえ、そうなんだ」

「カリンったら、違うってば。その次だよ」

「次?ええと……『現代日本では一般的に子供の遊びとして普及しているが、かつては山に隠れた女性を男性が探しにいくという男女の遊びという側面もあった』」

「ね?似てない?」


アタシの肩をモナカがポンポン叩いた。

確かに似ていた。「男女の遊び」というくらいだから、そこに恋愛感情も絡めていたんだと思う。女性が待つ、そこに男性が行く、愛情を確かめる。まぎれもない。愛情確認ゲームだ。


「じゃあ愛情確認ゲームって、つまり――」

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