3—51 俺史上、初めてのデート

【前回のあらすじ】

 練習をキャンセルした美那から、出場する3x3大会の全国大会開催決定の知らせが届く。ちょっと興奮気味のリユに、今度は香田真由からメッセージ。ふたりからの連続した連絡の刺激か、リユは美那を笑顔にすることが自分の幸せだと気付く。翌日の真由との約束を控え、リユはどう対応すべきか迷う。




 8月10日土曜日。

 ついに来てしまった、土曜日。

 昨晩はかーちゃんに明日は朝からちょっと用事があると告げて、早めに風呂に入って寝た。

 いや、俺的にはお洒落をして出掛けるところをかーちゃんに見られたくなかったから、待ち合わせには全然早いけど、かーちゃんが起きてない確率の高かった8時前には家を出た。

 作戦は成功。

 朝だっていうのに、早くも暑い。待ち合わせの堀ノ内駅までは、エアポート急行と特急を乗り継げば20分足らずで、各駅停車で行っても30分ほど。無駄に1時間以上も早く家を出たことになる。

 時間をつぶすいい案が思い浮かばず、乗り換え駅の金沢文庫で一回降りて、改札前のパン屋のイートインで朝飯を食う。涼しいし。

 それでも約束の30分前には堀ノ内に到着してしまった。まあ、待たせるよりはいいよな。

 と思って油断していたら、10分後くらいに、「森本くん!」という香田さんの声が!!

 驚いてスマホから顔を上げると、駆け寄ってくる香田さんを見て、俺はさらに驚いた。

 え、やば、香田さん。予想通りの白いワンピース。その上に薄い水色のシースルー・カーディガン。

 なにがヤバイって、すげー可愛いっ! それに学校で見るより格段に大人っぽい!!

 このドキドキ感が初デートってやつか⁈

 シルエット的にも印象的にもシャープな美那に対して、香田さんは細身ながら全体的に柔らかい曲線で構成されている。今日の服装はそれが一層強調されている。

「ちょっと早かったなと思ったけど、森本くん、もう来てたんだ」

「あ、うん」

「え、わたし、なんか変?」

 俺は視線をはずすことができずにいたらしい。いや、だって、よく知らないけどティーン系ファッション雑誌のモデルみたいな感じだし!

「あ、いや、なんか学校で見る香田さんとずいぶん違うから、ちょっと驚いちゃって。あ、つまりなんかすごく大人っぽくて、キレイで。あ、学校でもキレイだけど」

 あ、まずい。本心とはいえ、あんまり良く言うと、流れが……。

「え、そんなことないよ。それより、森本くん、なんか印象、変わったね」

「え、俺、なんか変?」

 思わず、香田さんの言葉を反復してしまう。

 この際ちょっと変でもいいんだけど、やっぱり気になる。

「違う違う。わたしはメイクとかちょっとしてみたからだけど、森本くん、ずいぶん陽に焼けてるし、それにちょっと大きくなった? 髪もずいぶんすっきりしたんだね」

「あ、この夏は割と外で過ごしてるからかな……」

 むむ、ポジティブな変化っぽい感じ?

 それとも好みから少しはずれた方向? もし色白、痩身そうしん、ボサボサ頭の文学青年ぽいのが好みだとしたら、だが。

「へぇ。あ、バイトとか?」

「うん、それもあるかな」

 電車がホームに入ってくる。

 香田さんの髪が風に揺れる。

「今から行けば、ちょうど開館時間くらいに着きそうだね」と言って、香田さんが微笑む。

「ああ、うん」

 俺はちょっとどぎまぎしながら答える。笑いかけられるとさらにヤバい。もちろん美那への気持ち(=決断)は変わらないけど、それとは違う次元(=本能)で反応してしまう。

 ふたりで電車に乗り込むと、やっぱり香田さんは他の乗客の視線を集めている。

「なんかちょっと学校で話す時と違う感じだね」

 そう言って、香田さんが俺を見る。美那よりたぶん10㎝近く背の低い香田さんはちょっと見上げてくる感じだ。くりっとした瞳はどこか謎めいている。

「ああ、うん」と、俺はあいまいな返答をする。

 学校外で会うというシチュエーションによる違い(=空間による差異)もそうなのだが、夏休みに入ってから俺の状況がまったく変わってしまっていること(=時間による差異)を考え合わせると、この違いを香田さんはどう感じているのだろう。空間と時間の差異って、俺、だんだん理系脳になってきてる? 単に動揺してるだけ?

 待ち合わせの駅からは二駅ふたえきなので、あっという間だ。駅からは歩いても行けなくはないけど、ちょっと遠いし、ちょうどバスも来たのでそれに乗る。

「あ、海だ」

 車窓から外を見ていた香田さんが小さく声を上げる。

 この間、横須賀で海を見たときの美那とは、全然違うタイプの反応だ。当たり前かもしれないけど……てか、あんときも美那はちょっと甘えモードだったのかもな。

「森本くんは、今年は海に行ったの?」

「海水浴には行ってないけど……」

「けど?」

「用事のついでに行ったというか……」

「へぇ。森本くんって結構活動的なんだね」

「なんか、最近ね」

「ふぅーん」

 あ、ヤバい。香田さんの「ふぅーん」っていうの、終業式の日もそうだったけど、メチャ可愛いんだよな。しかも今日は一段と……。

 それにしても最近アクティブになったのは事実だけど、ほとんどが美那がらみなんだよな。

 今までバスケのこととかバイクのこととか香田さんに秘密にしてたけど、むしろちゃんと言っておいた方がいいのか? 学校でもバスケをすることになっちゃったし。その際は美那と一緒にバスケをやってることを話さざるを得ない。でも話した方がいいよな?

「森本くんって、割と一匹狼タイプだよね? あ、いい意味で」

「え、俺? 一匹狼というより〝はぐれ狼〟?」

「そうなの? でもあえて誰かとツルまないって感じなんでしょ?」

 なんか俺のこと、えらく好意的にとらえてくれてる? だけど最近は美那と連みまくりだからなぁ。

「いや、なんていうか、自然にしてたらそうなちゃったというか……」

「ふぅーん。わたしはそうできずに、いつも誰かと話すようにしてる」

「確かに香田さんって、いつ見ても、誰かと楽しそうに話してるよね。C組は隣だから、前を通る時、ちらっと見たりすると」

 俺がそう言うと、香田さんがすっと微笑む。あ、やばい、香田さんに好意を抱いていると誤解されてしまう。いや、誤解じゃないんだけど、夏休み前とは状況がまったく違う。こうしていると香田さんはますます魅力的な女子なんだけど、でももはや俺にとっては美那が絶対的存在なんだ。

 そう、美那は絶対的な存在なんだ。だからむしろ今まで見えなかったのかもしれない。

「森本くんはいつもマイペースって感じだよね。ひとりの時もあるし、たまに誰かと話してる時もあるし」

 う、やっぱ、美那が言ってたことは本当だったのか? B組の前を香田さんが通る時、俺を目で探しているって言ってた、あれ。てか、俺を探す香田さんに美那が気付いていたってことは、美那は俺と香田さんの関係を気にしてたってこと?

「まあ、そういう性格というか」

「でもそうできるのって、わたし、カッコいいと思うな」

「そんなことないでしょ。むしろ、ちゃんと周りに合わせられる方が俺はすごいと思うけど」

「そうかな? なんか、森本くんって、強いって気がする」

 なんだか、お互いの距離をさぐりつつ、〝め〟のジャブを応酬している様相ようそうだ。こういうのが、初デートの定番なのかもな。でも、それはそれで、マズイという気がする。有里子さんの、香田さんがデートのつもりで誘ったという判断は、どうやら正しかったようだ。

 香田さんのリードもあって、会話は途切れないまま、バスが目的の停留所に到着。そこから2、3分も歩くと美術館が見えてくる。

 これが元山先生の設計した美術館か。ガラスと白い壁で構成された建物は、シンプルながらシャープなデザイン。ただ、パッと見た感じでは、あの超開放的な別荘のようなインパクトはない。

 美術館では絵本作家の展覧会をやっていた。

「どうする? 展覧会、観る?」と、香田さんがく。

「そうだなぁ……せっかくだから、観ようか」

「うん」

 こういう場合、男子が出すんだよな、と思って、窓口で高校生ふたり分を購入。1600円だ。今日に備えて、昨日アウトレットのATMで2万円を引き出しておいた。

「はい、これ」

 香田さんが千円札を差し出す。

「え、いいよ」

「でも、わたしが誘ったんだし……」

「バイトしたから、このくらい」

「あ、うん。じゃあ、ありがとう」

 あ、しまった。これじゃ、好印象? 香田さんの顔がそう物語っている。

 会場をゆっくり歩く。ふたりの距離は常に30㎝くらいに保たれている。遠いのか近いのか、俺には判断できない。ときどき、この絵面白いね、とか、これ可愛いとか、この絵見たことあるかもとか、香田さんが呟く。俺はそれに、そうだねとか、ほんとだとか、相槌あいづちを打つ。

 美術館は基本静かなので、あまり話さないですむのは助かる。

 2時間ほどして一通ひととお観終みおわるとちょうどランチタイムだったので、美術館に併設されているカフェ・レストランに入った。大人な値段だけど、こういうところはそういうものなんだろう。それでも軽井沢の朝食セットに比べればマシだ。

 レストランの窓際の席からは、スロープになった芝生の広場の先に、タンカーや貨物船がう東京湾が見渡せる。その先に見える房総半島の木更津きさらづ辺りには積雲が浮かんでいる。

 こんな小洒落こじゃれたレストランで香田さんと食事とか、普通なら夢みたいな出来事だ。

 だけどもちろん俺の心は晴れない。明らかに香田さんは俺に好意をいだいてくれているっぽいから。なんか、すげー矛盾むじゅんしてるけど。

「夏休みはどんな本を読んでたの?」

 珍しく俺の方から話しかける。

「あ、割とヒットしたのかな? 今までそういうのはあんまり読んでなかったから」

「へえ。たとえばどんなの?」

キミスイ『君の膵臓をたべたい』とか、あと辻村深月さんの『かがみの孤城』とか、テレビドラマにもなってたカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』とか」

「へえ。最後のやつ、俺もドラマで観た」

「結構、重いテーマだよね」

「だよね。そうかぁ、俺も今度読んでみよう」

「うん。結構、おすすめ。森本くんは夏休み、どんな風に過ごしてたの? バイトばっかりとか?」

 あー、この際、色々正直に言っておいた方がいいよな。ただ美那との関係はぼやかしておくしかないか。ただまったく触れないわけにもいかないし、逆にしっかり触れておいた方がいいかもしれないし、加減がわからん。

「バイトは、夏休みに入って割とすぐ1週間くらいかな」

「知り合いのお手伝いで、肉体労働系とか言ってたよね? まさか工事現場とかじゃないよね。それで陽に焼けてたくましくなったとか?」

 なんだか香田さんの話し方がいくぶん親しげになってきたような。でも、ま、向こうから見れば、俺はそれほど突出とっしゅつしたところのない同学年男子だし、これだけ話せば少しは馴染なじむのが普通か。俺から見た香田さんとはちょっと違うはずだもんな。

 工事現場とかだったら、ちょっと評価が下がるのかな? でも表情を見るとそうは思えない。ただの好奇心という感じだ。

「ちょっと変わったバイトでさ、カメラマンの助手というか使いっ走り?」

「ウソ! え、すごいね。カメラマンの助手とか。森本くんって、写真部とかじゃないよね?」

「違うよ。たまたま知り合った人がカメラマンで、俺がちょうど条件に合っていたらしくて、それで頼まれて」

「へえ、そうなんだ。どんな仕事なの?」

 香田さん、結構食いついてくる。

「そのカメラマンが建築を専門に撮っている人で、まあ俺がしたのは主に予備のカメラとかレンズとか三脚とかの機材を運ぶ役。建築物の撮影だから移動距離が結構あって、機材も重いからちょっとしたトレーニングって感じ」

「へえ。たとえばどんな建物?」

「長野県にある、有名な建築家が設計した公共の建物とか、教会とか、美術館とか、そういうの」

「長野県? じゃあ、泊りがけ?」

「ああ、うん」

「よくそんなバイト、ご両親が許してくれたね」

「あ、うち、母親だけだけど、まあ理解のある親かな、そこは」

「へえ。ひとり親なんだ。いていいかわからないけど、お父さんは?」

「離婚。ちゃんと養育費は払ってくれてるから、たぶんまだどこかで生きていると思う」

「全然、会ってないんだ」

「うん」

「あ、ごめんね。詮索せんさくみたいなこと……」

「あ、全然大丈夫。香田さんのとこは? なんとなく厳しいイメージがする」

「わかる? バイトとか絶対に許してくれなそう。わたしもしたいとか言ったことないけどね。門限も9時とか」

「でもわかるな。香田さんみたいな娘を持ったら、親も心配だろうし」

「わたしみたいなって?」

 あれ、変な意味に取られた? ちょっとマジ顔だ。

「あー、つまり、まあひとことで言うと、魅力的というか……」

 あ、これは普通のデートならOKだけど、今はまずい一言ひとことかもしれない。

「えー、うれしい。森本くんにそんなこと言ってもらえるなんて」

 う、香田さん、満面の笑み、ってやつじゃん! あー、ヤベー、今まで見た中で最高の笑顔じゃん!! やっぱちょっと迂闊うかつだったかぁ。

「あ、このあとどうする?」

 香田さんが笑顔を残したまま訊いてくる。

「美術館の建物を見て回ってもいい?」

 元山先生の作品だから、見逃みのがすわけにはいかない。それに入り口付近は割と普通だったけど、中の作りはかなり凝っている印象だ。

「バイトでいろいろ見たから、興味あるんだ?」

「あ、うん」

 元山先生の名前は出さない方がいいよな。しっかし、有里子さんに相談した時とはまったく正反対のシチュエーションになってるし。ほんとは香田さんに「えー、すっごーい」とか言ってもらって、ちょっと尊敬の目で見てもらうはずだったのに……。

 ランチは値段なりの美味おいしさだった。俺が払おうとしたけど、さすがにちょっと高いからと香田さんが言い、結局、別々に支払うことにした。


 美術館の建物は基本3階建てらしいんだけど、思った以上に入り組んだ作りで、何階にいるのかよくわからない感じの、不思議な立体構造をしている。

 やっぱ、元山先生の作品だ!

 内部構造まで見えるようになっている部分もあるし、ランダムに丸くくり抜かれたような窓からは、東京湾やら入館してくる人やら、美術館のいろいろな表情が見えたりする。同じ位置にいるのに、見る窓によって、景色がまったく違うのだ。

 屋上に出てみたら、建物の一部が丘の裾野に埋め込まれたような構造になっていて、屋上なんだけど地上とつながっている。そして、水平の屋根面は、淡いエメラルドグリーンの半透明の素材を広い面積で使っていて、それが海と溶け合うように感じられる。

 思わず、香田さんそっちのけになっていた……。

 それに気付いて慌てて香田さんを見ると、意外にも穏やかな表情だ。

「ごめん。なんかつい夢中になっちゃって」

「え、謝ることないよ。建築を夢中で見られるなんてすごいなと思った」

「いや、そんな大層たいそうなことじゃないけど」

「そんなことないよ。なんか素敵だった」

 え? 素敵? 想定外の反応だ。

 それにこの瞳が揺れるようなかなり好意的な微笑。やばい、はからずもポイントアップしちゃった?

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