第527話 再び戻った聖国の執務室……そこに座るオペラは(前編)

 


「全くもう、一体いつまで待たせる気よ……」


 空中回廊の遥か上にある執務室……ふんわりと香るのは世界樹の花の匂い。

 高度がラヴィーンよりも高い聖国は年中肌寒く、ただ雨雲ははるか下な為、日年中当たりがよく暖かい。

 喧騒が遥か世界樹の下だった頃の聖国は静かで瞑想が出来るほど神聖で過ごしやすい地……だったはずなのだが、今は増え続けたカップル達のイチャイチャラブラブペチャクチャと飛び交うハートがオペラの執務室にまで届いて苛立ちを増長させるのであった。


(わたくしだって……わたくしだって……)


 カップルの数に比例して仕事の減らない聖国の女王オペラ・ヴァルキュリアは平行するイライラのあまりペンを折りそうになる。

 どこぞの愚か者のせいで楽しみにしていた×マスや誕生祭などの恋人たちのイベントさえ潰され、更にはその恋人関係すら謎の危機に見舞われていたのを何とか回避出来たものの……違う方向から来た厄介者のせいで国はてんてこ舞い……

 全員纏めてブラックリストに入れたい所であるが、まずは聖国の現状を何とかせねばと仕事を続けるばかりだった。

 国内の整備は何とか起動に乗りそうではあり、後はこのキャパオーバーな人の流れを落ち着かせるのみ。

 後者の厄介者が一体何を考えて聖国に大量の人の観光客を送り込もうとしたのかは謎であるが、あの薄ら笑いを思い出すと、1つ1つが未来を先読みしての悪巧みだとしか思えてならないのだ。

 聞いた話では、ナスカはナーガと接点があったらしいのだが……何かの悪い方向に人を動かそうとしての悪巧みを行っている、とは完全には思えなかったものの……


(そもそも害悪とかなんとかって事自体、誰の判断よ……)


 結果としてロストとの関係が良くなったのだが、それは結果論であり……現にルーカスとの時間を奪われて聖国をあらぬ方向に混乱させたのは事実である。些細な悪戯も過ぎれば迷惑なのだ……


「考えるのは辞めましょう……時間の無駄よ」


 思い出せば思い出すほどイライラが募るだけである。解決していない問題が山ほどある中で、考えるだけ無駄だと悟ったオペラは頭の上で手を振り、チラつくナスカの顔を霧散させた。


「……解決していないといえば……」


 手の方を見れば、やはりいつまでも残っている指輪。ルーカスに貰った指輪の横で燦然と輝く紫と緑色の宝石はもうずっと嵌めているので妙に馴染んでしまってすらいた。


「はぁ……だから、結局何なのよ」


 ナスカに焚きつけられて指輪を突っ返しに魔王領に行ったが、その先ではトラブル三昧な上に他国まで連れ去られてしまう始末。そうまでしても結局突っ返す事は出来なかった。

 帝国に帰って来てからも大変で、それ所ではなく……更には――


(結局……アレは何だったのよ)


 思い出したオペラはボワっと顔が熱くなるのを感じていた。

 親切過ぎると思っていたが、もしかして、もしかしなくともアークは――


(いや、そんな事は絶対に無いでしょ!! まさか……だって、何処に??? そんな要素が???)


 口に出して何とは言えないが、そう考えると思い当たる要素は沢山あり過ぎる。何せ、わざわざオペラの為に東国まで来てくれた事……

 恨んでも仕方のない事を沢山したはずなのに、何がどう間違ってそんな事を考えてしまうのか……オペラにはそれが納得いかなかった。

 そもそも、あんなにも聖国から嫌われていたはずなのに、争う気持ちを一切持たない魔族達。自分が同じ立場ならば、絶対に許さないだろう……


(……)


 オペラは、ルーカスからも、当然アークからも帝国と魔の国がどうやって和解したのか。先代魔王とルーカスがどういう約束を交わしたのか……それすら聞いたことがなかった。

 オペラが魔の国に1人で行ったあの日に見た光景……それしか知っている事は無い。

 途端に、シュンと肩が落ちて気が重くなる。自分が騙されて散々迷惑をかけたルーカスにも、何度も助けられたアークにも、ゆっくりと話を聞く機会など無かったのだ。


「はぁ……何を考えているのかとか、それ以前に……まずはそこからちゃんと話を聞かないと、駄目ですわよね」


「……聞きたいのか?」


「ええ、聞きたい事は山ほどあるのだけれど、まずは目の前の問題を片付けないと――」


 はたりと、言葉と手を止めてオペラが見上げれば、執務室の椅子に座るオペラを覗き込む紫の瞳があった。

 聖国の空気が辛いのか、マスクで口を覆ってゴホゴホと咳き込む姿は、どう見ても魔族で……


「いいぞ、お前の疑問……全部答えてやるよ。だがその前に……」


 と、真剣な眼差しに何も言えないオペラの首筋に、アークは手を伸ばした。



 ――――――――――――――――――――――――



「長かった……」


「やっと戻って来られたッスねー」


 漆黒の騎士団長ジェド・クランバルと三つ子の騎士の1人ガトー、聖国の女王オペラの兄ロストは、良い新婚旅行先を探しに世界樹の裏側ダークエルフの地へと散策に出かけていた。

 散策……なんていうレベルの話では無かったが……

 世界樹の裏、西側の森であるダークエルフの地は確かに良い場所である。

 飲める程に綺麗過ぎる湖を中心に広がる森は土地も広く日当たりもまぁまぁいい。これから開拓すれば別荘地としても住めるし、観光散策地として整備したり美容や花の可愛らしく咲く憩いの場所も出来る予定だ。困っているオペラの助けとしては良案だろう。


「ここに登るまでにもひと悶着ありましたが、アレのおかげか多少人の入りが緩和されているっぽいですし、怪我の功名ってやつッスかね」


「アンタの厄介ごとも役に立つ時があるのね……」


 エレベーターゲートの謎スライムが何故か俺のせいになっているが、アレに足止めされているカップル達のおかげで世界樹の上の混雑は確かに緩和されていた。カップル達は甘い思い出と共にスライム投げを楽しんでいるらしい。俺がスライムを巻き散らかしたわけでもないので俺のせいにされるのは心外なのだが……解決に役立っているならば俺の成果でいいや。俺がやりました。


「……いや、得意げな顔をしている所悪いのだけど、君がやったんじゃないでしょう。というか……あのスライム、何だったんだろうね……」


 皆が良かったムードで空中回廊へと歩き出している中、1人だけ浮かない顔をしているのは陛下だった。

 帝国最強の色男、オペラの恋人であるルーカス陛下は何故かお忍び(のつもり)で女装までして乗り込んできている。

 女性もののローブから覗く美しい太陽の色の髪と瞳は憂いを帯びていて人の目を惹きつける……うん、忍べてはいない。むしろ目立ってるよ陛下……


「野良スライムの発生なんてどこにでもあるじゃないッスか。聖国の建材だってホワイトスライムを使っているんスよね? そこから漏れて大量に分裂したとか……」


「……怖い事言うんじゃないわよ」


「まぁ、その可能性も無い訳じゃないけど……そうだとしたら建材の不具合だからしかるべき場所に対処して貰わないとね。何にしても、聖国の問題がいい具合に解決してるとは言え、異変の原因を探らないとね」


「異変……かぁ。大量発生といえば、来る時に帝国のトンネルにも変な花が大量発生してましたよねー。アレにも足止めされましたけど、まさか誰かが俺達を足止めしようとしてるとかーははは、なーんて」


「俺達を足止めして何になるんだよ。というか全然足止めになってないし……」


 言われてみれば確かにそう思えなくも無いが、普段から悪役令嬢に足止めされている身としてはあれしきの障害、屁でも無い。普段から大量発生する悪役令嬢は障害物なのか……?


「ガトー、その花ってどんな花なんだい?」


「え? ああ、幻魔草とかいう幻覚を見せて惑わせるやつで、あれのせいでトンネルの入り口と出口がどっちか分からなくなってたんスよね」


「幻魔草……魔王領によく生えてる……」


 ガトーの話を聞いた陛下は更に顔を強張らせた。……どうしたんだろう?


「……陛下?」


「いや……とにかく、オペラが待っているんだろう? 急いで戻ろう」


「アンタ、その格好で会うつもりなの?」


「え?」


 ロストが突っ込む通り、陛下は今女子の姿をしている。陛下も自分で変装して来た事を忘れていたのか、はっと我に返りローブのフードで顔を隠した。


「わ……私の事はルーカスの遠い親戚だと……思ってくださいませ……」


「……分かりました、ええと……ルー子で良いですかね?」


「団長のネーミングセンスどうなってんスか」


 ルーカス改め、遠い親戚のルー子は俺達の後に控えめに付いて歩き出した。ロストは嫌そうに陛下の事を見ていたが、諦めて歩き出した。



 世界樹の頂上の庭園から聖国に入り、空中回廊へ至る鏡のゲートの前に立つ俺達。

 かつて、聖国に来た時に散々苦しめられたあのゲートであるが……今は魔塔により安全装置が改良され、どんなに聖気を注ぎ込んだとしても暴走することは無いらしい。


「聖国人の案内はいらんのか?」


 この間来た時は聖国人職員にゲートを開いてもらったが、ロストがふふんと笑いゲートに手を当てる。掌から出た少量の白い光がゲートに嵌る聖石に吸い込まれ、鏡が光りだした。そう言えばロストは羽が少し生えて聖気が戻ったんだったな。


「まだちょっとしか生えてないけど、ゲートを動かすくらいなら出来るわ。とっととあの子の執務室に戻るわよ」


 と、足早に鏡の中に消えるロスト。俺達も慌てて後に続き鏡の中に手を入れると、水のような薄い膜に一瞬触れたと思ったら先の景色が部屋の風景へと変わった。

 仄かに匂う世界樹の花の香りの先、執務室の椅子に座っていた灰色の長い髪の女性。

 彼女は俺と目が合うと一瞬ぎょっとしたと思ったが、直ぐに咳払いをして薄く微笑んだ。


「……お、お帰りなさい、遅かったじゃないの」


 オペラ・ヴァルキュリアは出てきた時の不機嫌そうな顔を忘れたかのように上機嫌を通り越して、いつもはしないような微笑を俺達に向けていた。

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