第21話 聖女、悲しみに暮れる

 うー……。なんだかすごい体がだるいんだけど。目を開けるのもしんどい。昨日の夜、リズに酒を飲まされたっけ……? ここまでの二日酔いは今まで経験した事ないぞ。どれだけ飲まされたんだ、俺。ってか、早く起きないとマルコにどやされる……!

 なんとか気力を振り絞って俺は目を開けた。……あれ? 俺の部屋の天井ってこんなんだっけ?


「……お目ざめになられましたか?」


 ん? この声は……。俺はぼーっとする頭で声のした方へ顔を向け……向……向かない!? 顔が動かん! それどころか体も動かん!! っていうか、なんだこの俺の周りを覆っている嫌な感じの光は!?


「申し訳ありませんが、サクさんの周りに結界を張らせていただきました」


 結界? この光か? どうりで体の自由がきかないわけだ。そして、俺に結界を張っているという事は……。


「……その聖なる結界の中で体の自由がきかないとなると、やはりあなたは魔族だったのですね」


 ……まぁ、そうなるよな。少しずつ記憶がはっきりしてきた。インディゴートの街の人達から逃げるためにこの建物に飛び込んで、傷ついた俺を癒すためにティアリスが光魔法を使ったんだった。

 俺が寝ているベッドの横まで近づいてきたくれたおかげで辛うじて見えるティアリスの顔が悲しみで満ちている。いや、待てよ? やはりって事は、光魔法を使う前からその疑いがあったって事か?


「リズからあなたを紹介された時、微かに魔の気配を感じたのです。ですが、勇者であるリズの知り合いが魔族なわけがない、その時はそう思いました」


 初対面の時にとは恐れ入った。俺の右手にあるアーティファクトの指輪の効果で、あのリズですら違和感を抱く事もなかったというのに。流石は長司祭と言うべきか。


「ですが、万が一という事もありますので、この旅の間は私自らがあなたを監視しよう、と考えたのです」


 なるほど。だから、馬車も俺と一緒に乗ったし、それ以外でも近くにいようとしていたのか。


「それで監視を続けた結果……あなたはとても素敵な人物だとわかりました。魔族である事を疑っていた自分が恥ずかしくなり、私はあなたを信じようと思ったのです……ですが、まさかこんなに早く裏切られる事になろうとは思いもしませんでした」


 ティアリスの声の端々に失望の色を感じた。ちょっと待ってくれ。確かに俺は魔族だが、この街には何もしていない。そう言いたいけど、結界のせいで上手くしゃべる事が出来ない。


「あなた単独で行った事なのか、他に仲間がいるのかはわかりません。ですが、長司祭としてあなたにはこれ以上好きにはさせません……!!」


 ティアリスは最後に険しい表情で俺を睨みつけ、さっと背を向けて歩いて行く。


「……残念です、本当に」


 そう囁くような声で言うと、彼女はこの部屋から出ていった。一人残された俺は天井を仰ぎながら思わずため息を吐く。


 どうすっかなぁ……これ。



 サクの部屋を後にしたティアリスは、扉の前で涙が零れそうになるのを必死に堪えていた。今は泣いている場合ではない。そんな事は分かっているが、自分の感情にはどうしても逆らえなかった。


「サクさん……どうして……?」


 自分の親友が突然連れてきた得体の知れない人。下級騎士と言いながら騎士らしい振る舞いは一切見せなかった不思議な人。自分が心に溜め込んでいた老廃物を、真正面から優しく受け止めてくれた人。そんな人に、自分は確かに惹かれていた。異性に惹かれる事など今まで一度たりともなかった自分が。

 堪えきれずに零れた涙がティアリスの手の甲を濡らす。結界など用いなくても自分の光魔法をもってすれば、サクを滅することくらい容易に行えた。もしかしたら、それによって町の人達が正気に戻る可能性だって十分にある。だが、出来なかった。それをしてしまえば馬車でのことがまやかしだったと認めてしまう。あの温かさが演技だとは思えない、思いたくない。


「……長司祭失格ですね」


 ティアリスが自嘲じみた笑みを浮かべる。あの男を手にかける事が出来ないのであれば、せめてこの街を蝕む毒は浄化しなければならない。だけど、もう少しだけ……涙を流す時間が欲しい。


「ティ、ティアリス様!!」


 この場にしゃがんでしまおうかと思った時、階段の下から自分を呼ぶ大きな声が聞こえた。ティアリスは慌てて目元を拭う。


「ティアリス様! あ、兄貴は!?」

「……まだ目を覚ましていません」


 何かから逃げて来たかのように汗だくのトゥースがサクの事を聞いてきたので、ティアリスは曖昧な返事をした。彼ら冒険者がサクを慕っている事は知っていたので、彼らにはサクが魔族という事は伏せている。


「まじっすか!? ど、どどど、どうしましょう!」

「落ち着いてください。何があったんですか?」

「じ、実は……!」


 答えようとした瞬間、トゥースがティアリスの後ろを見て大きく目を見開いた。反射的に後ろを見たティアリスもはっと息を呑む。


「皆さん……!」


 そこにはこれまで護衛として自分を守ってくれていた冒険者が、他の町民同様正気を失っている姿があった。


「に、逃げますよ!!」

「え……?」


 呆然としているティアリスの腕を掴み、トゥースが空いている部屋に駆け込む。そして、窓の前に立ち、ティアリスの方に向き直った。


「ここから外に出ます! 俺におぶさってください!」

「わ、わかりました」


 遠慮がちにティアリスが乗るや否や、トゥースは何の躊躇いもなく窓を割りながら外へと飛び出した。背中に乗っているティアリスはしっかりとトゥースの体を掴み、硬く目を閉じている。


「そんな……!」


 そんな彼女の耳に絶望にも似た声が聞こえた。ゆっくりと目を開くとまず飛び込んできたのはトゥースの背中、次に地面。そして、最後は自分達を取り囲む無数の人達だった。


「あ……」


 人間、あまりにも絶望を感じると言葉が出なくなるらしい。誰もがそうかどうかは分からないが、少なくとも自分は今、その状態に陥っている。

 自分の背中で途方に暮れているティアリスを、トゥースが優しく地面におろす。そして、彼女を守るように前に立ち、腰に差していた剣を構えた。


「トゥースさん……?」

「へへ、約束しましたからね。……兄貴がいないときは俺が聖女様を御守りするって!」


 そう言うと、トゥースは表情を引き締め、一歩前に足を出した。


「おい、てめぇら!! 操られてるからって調子に乗ってんじゃねぇぞ!! ちょっとでもティアリス様に手を出してみろ!! 一般人だか何だか知らねぇが俺が全員ぶった切ってやる!!」


 こんなにも大勢の人間がいるにもかかわらず、静まり返ったインディゴートの街にトゥースの声が木霊する。当然、その声に応える者などいない。


 ……パチパチパチ。


 そう思われていた町民の中から乾いた音が聞こえた。突然の事に二人が眉をひそめる中、集団がサーっと割れていく。その中心を手を叩きながら悠々と歩いてくる色白の男を見た瞬間、ティアリスはぞくっと身震いをした。


「いやぁ、とても感動的でーす! 体を張って姫を守るナイトといったところでーすか! ……ナイトにしては少々高潔さとおつむが足りなさそうな気がしまーすが」

「なんだと!?」


 いきり立ったトゥースの腕をティアリスが掴む。振り返ったトゥースにティアリスは冷や汗を垂らしながら首を左右に振った。


「トゥースさん……あれは魔族です」

「あ、あれが!?」


 驚くトゥースを見てニヤリと笑みを浮かべた色白の男は、芝居じみた仕草でゆっくりとお辞儀をする。


「……やはり、聖女様の目はごまかせませーんか。お初にお目にかかりまーす、ワタシの名ーはパズズ。以後お見知りおーきを」

「パズズ……だと?」


 トゥースが震えた声でそう呟きながら剣を取り落とした。あぁ、そうか。どうして毒魔法で町民が操られている時点で気づかなかったのだろうか。


「……"劇毒げきどく"の魔王」

「これはこれは……ワタクーシめの二つ名までご存知とーは、光栄の限りでありまーす」


 魔王にはそれぞれその特徴をもっともよく表した二つ名が付けられている。"劇毒"というワードから分かる通り、パズズは毒魔法のエキスパートだ。


「ま、魔王がこんな所にいるなんて……だがっ!!」


 トゥースは落とした剣を拾い上げながら自分を無理やり奮い立たせる。


「相手が魔王だろうと関係ねぇ!! 俺にはティアリス様を守るという使命が……!!」


 言葉の途中でトゥースの体がティアリスの横を猛スピードで吹き飛んでいった。何が起こったのかわからなかったティアリスが振り返ると、トゥースが建物の瓦礫の下に埋まっている。


「トゥースさん!!」

「邪魔者にはさっさと退散していただきまーす。なぜだかあのおバカさんには毒魔法が効かなったのでーす。聖女様であれば納得できるのでーすが……不思議でしかたありませーん」


 不思議そうに首を傾げるパズズをティアリスがキッと睨みつけた。


「……あなたの軍とジェミニ王国の騎士団が刃を交えている、とお聞きしましたが?」

「その通りでーす。まぁ、刃を交えるというのはいささか語弊がありまーす。ワタシが自由に動けーるよう、そちらの優秀な騎士団を引き付けーている、と言った方が正しいでーすか? 特にそちらの国にはおっかなーい勇者様がいまーすからねぇ」

「リーズリットの目から自分を逸らすために戦いをけしかけた、と……目的は何ですか?」

「あなーたでーす」


 パズズの笑みが深まる。一瞬、ティアリスは言葉の意味が理解できなかった。


「ジェミニ王国を侵略するにあたって最大の障壁が二つあるのでーす。一つは最強の勇者、リーズリット・ローゼンバーグの存在。彼女のあの戦闘力は魔王のワタシから見ても脅威でーす。ですが、彼女よりも危険な存在がいまーす。それがティアリス・フローレンシアでーす」

「……私が危険?」

「リーズリット・ローゼンバーグは確かに強力無比でーすが、ありとあらゆる策を巡らーせば、倒すことは不可能ではありませーん。しかし、苦労してあの勇者を打ち倒したところで、あなたがいればどうなりまーすか? 勇者だろうと騎士団だろうと、あなたによって瞬く間に復活させられてしまえば、ワタシ達に勝ち目などないのでーす」


 くねくねと体を揺らしながらパズズは不気味な笑みを浮かべ、人差し指をピンっと立てる。


「それともう一つ、あなたの光魔法は他の魔族のけん制に使えまーす。まぁ、逆もまた然りという事で、他の魔王に利用される前にこちらが確保しておこうという腹積もりでもありまーす。……という事で、ワタシと一緒に来てくださーい!」

「……拒否すればどうなるんですか?」


 ティアリスが抑揚のない声で尋ねると、パズズの立てた指から出た黒い煙が、髑髏どくろの形を作り出した。


「もちろんあなたを殺しまーす。味方にならない以上、生きていられても迷惑にしかならないのでーす」


 ご飯を食べる、くらいの気軽さで殺すと言われた。これが魔王……皆が恐れるのも頷ける。自分だって叶うのであれば今すぐにここから逃げてしまいたい。


「……ですが、あなたは拒否しないでーす。なぜなら皆が愛する聖女様はとてもお優しい方だからでーす」

「どういう事でしょうか?」

「こういう事でーす」


 パズズがニコニコと笑いながら手を上にあげる。すると、石像のように固まっていた町民達が、持っている武器を自分の首にあてがった。それを見たティアリスは諦めたように目を瞑る。


「なるほど……私に選択肢はない、という事ですね」

「慈悲深き聖女様に感謝でーす」


 覚悟を決めるようにゆっくりと息を吐き出すと、ティアリスは一歩ずつパズズの元へ近づいていく。まるで処刑台に進む囚人のような足取りに、パズズは愉悦の笑みを浮かべた。


「安心してくださーい。あなたの故郷であるこの国にはすぐには手を出しませーん」

「…………」

「あなたがいなくなると言ってもやはり勇者の存在は大きいでーす。今回、ジェミニ王国と一戦交えましたが、彼女は強すぎまーす。陽動にもかかわらず、ワタシの配下が全員そっちに出払ってしまったので、ワタシ一人であなたを迎えに来るハメになりまーした」

「…………え?」


 下を向いて歩いていたティアリスがピタッと足を止める。それを見てパズズが首を傾げた。


「どうしまーした?」

「……あなた一人で来たのですか?」

「そうなのでーす! 魔王なのに下っ端のように働いて大変なのでーす! 労って下さーい!」


 パズズの言葉を聞いてティアリスの頭は真っ白になる。てっきり彼は自分の動きをパズズに報告するためのスパイだと思っていた。だが、パズズは一人で来たと言っている。嘘をつく意味もないのでこれは恐らく本当の事だろう。ならば、彼は一体何者だというのだ?


「……あまりのんびりしている時間はありませーん。それに焦らされると思わず命じてしまいそうになりまーす。……この街を血の海にしたくないでーすよね?」

「…………」


 再び俯き加減で歩き出すティアリス。今更彼の正体など気にする必要もない。なぜなら、彼が誰かわかったところで自分が待つ運命は決まっているのだから。この街の民を救うためにこの魔王についていき、異国の地で自ら命を絶つ。聖職者としては許されない行為ではあるが、このまま魔族に利用されるくらいならそうするべきだと思う。


 パズズの目の前までたどり着いたティアリスはその場で立ち止まり、顔をあげる。その表情には一切の感情はない。そんな彼女に、パズズは笑いながら手を差し伸べた。


「それでは新しい世界にご案内しまーす」

「…………」


 パズズの出した手に向かってゆっくりと自分の手を伸ばす。その手に触れれば全てが終わってしまう事など分かっている。だが、どうすることもできない。自分のせいで駒にされたこの街の住人達を見殺しにする事はできなかった。

 十分生きた、とはお世辞にも言えない。思い返せば辛い人生だったと思う。それでも、最後に今回のような旅ができた事は素直によかったと思う。こんな形になってしまったが、それまでの道中はこれまでやってきた'大治癒の巡回'の中でも一番楽しかった。それもこれも全部彼のおかげ。


 ……もし魔族に攫われるのであれば、あの人に攫われたかったな。


 これまでの日々に別れを告げるように、ティアリスはスッと両目を閉じた。


 フワッ。


 その瞬間、体が浮遊感に襲われる。まるで風に連れて行かれたかのような感覚。

 驚いたティアリスが慌てて目を開けると、そこには無数の羽が空を舞っていた。天使のような光り輝く純白な羽では断じてない、闇を思わせる漆黒の羽。あまりに幻想的な光景に、思わず魅入ってしまう。


「――悪魔の甘言に唆されるのは聖女として関心しねぇな」


 ハッとした。

 鼓膜を震わせるのは自分に安らぎを与えてくれた声。

 自分を抱き上げている腕から感じる温もり。

 高鳴る鼓動を抑えつつ、声のした方へとゆっくり顔を動かす。


「あの結界は中々に骨だったぞ?」


 背中さら真っ黒な翼を生やした男が、少しだけ伸びた犬歯を覗かせながら優しく笑っていた。その笑顔を見ているだけで安堵の波が押し寄せてくる。


 どうやら神様は自分の最後の願いを聞き入れてくれたようだ。今日初めて、聖職者として祈りを捧げ続けて良かったと心の底から思えた。

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