第14話 魔王、酒をかけられる

 昼から始まったティアリスの治癒作業はすっかり日が落ちた頃に終了した。いやーえらいもん見させてもらったわ。俺達魔族は何かを壊す魔法は得意だけど、何かを治す魔法は苦手だがらなぁ……単純にティアリスの力はすごいと思った。

 そんなわけで一仕事を終えた俺達はレッドラインでも有名な飯屋にやって来ていた。かなり遅くなったけど夕飯だ。そして、俺はこの時を楽しみにしていたんだ。なんでもここのステーキは絶品らしい。たくさんの物資が流れ込むこの街で、最高の目を持つ料理人が自ら市場に赴き、肉を仕入れてるんだってさ。これは否が応でも期待が持てるってもんだ。リズとのデートじゃジェミニ王国には来れないからこういう機会じゃないと食べられないしな。


「さて……ここでいいかな」


 店の隅っこに空いている席を見つけたのでそこに腰を下ろす。賑やかなのは別に嫌いじゃないが、この街も教会も騒がしかったので夕飯くらいは静かに過ごしたい。ティアリスとお近づきになりたい冒険者達が同じ店ではしゃいでいるのであれば尚更だ。まぁ、ティアリスみたいな美女なら仲良くなりたいのは仕方がない事だと思う。そっちはそっちでよろしくやってくれ。その間に俺はこの熱々のステーキに舌鼓を……。


「同席してもよろしいでしょうか?」

「へ?」


 ナイフでステーキを切り、その一切れをフォークで口に運ぼうとするまさにその時、誰かから声をかけられた。仕方がないのでステーキを口に運ぶ姿勢のまま視線を横に向けると、ティアリスが料理の乗ったお盆を手に笑顔で立っている。


「あの……ご一緒したらまずいですか?」

「あ、いや……そんな事は……」


 おいおいまじかよ。まずいに決まってるだろ。後ろで立ってる冒険者達の顔見てみろって。その中の一人は歯軋りしすぎて前歯が抜けちまってるじゃないか。あっ、元々か。


「それでは失礼します」


 歯抜け達が醸し出す負のオーラになど気づかない様子で、ティアリスは俺の前に座った。はぁ……ゆっくりステーキを味わいたかったのに、どうやらそういうわけにもいかないらしい。とりあえず他の連中は渋々って感じで俺達の近くに座ったけど、四方八方から注がれる嫉妬の視線のせいでこちとら食事どころじゃない。


「今日はありがとうございました。サクさん達に警備をしていただいたおかげで職務に集中する事ができました」

「それは……何よりだった」


 その言葉は周りの連中にかけてやって欲しい。そうすりゃ俺もここまで居心地の悪い思いをせずにすんだのに。


「今日もたくさんの人を癒すことが出来ました。……最初の頃は'大治癒の巡回'などと大仰な名称に気後れしていましたが、今ではこの些細な力でも役に立てる事があると嬉しく思います」

「些細ってレベルじゃねぇだろ、あれは。ティアリスの力は本当に凄いって思ったぞ? 噂でしか聞いてなかったから、実際にこの目で見て心底度肝を抜かれた」

「そう言っていただけると嬉しいです」


 ティアリスがはにかみながらスプーンに手を伸ばす。俺も食べる直前だった肉を口に放り込んだ。やばっ、なにこれ。めちゃ美味いんだけど。舌の上でとろける。


「ゴールドクラウンにいると救える人には限りがありますからね。こうやって他の街までお手伝いに来る事ができると、より一層自分が誰かの役に立てているような気がして充実した気持ちになります」

「ほぉ……ティアリスは根っからの聖職者なんだな」

「はい。私は人の役に立ちたいのです」


 なんとも気高い欲求だ。彼女の性格上、本心からそう言っているんだと思う。そんな事より肉が美味すぎてナイフとフォークが止まらない。やばいやばい。肉が綿菓子並みに口の中で溶けていく。

 と、思う存分肉を堪能してたらめっちゃティアリスから見られてた。なにかしら話題を振らなければならない。


'大治癒の巡回'これはどれくらい前からやってるんだ?」

「えーっとですね……私が十五の時に長司祭に任命されてそれから始まりましたので、今年で五年になります」

「という事は、ティアリスは今二十歳ね」

「そうです」


 なるほどね。同い年で人とは違った力を持つ者同士、リズとティアリスが仲良くなるのは必然だったのかもしれないな。美人同士、一緒にいる時はさぞ絵になる事だろう。そんな事より、今の話で少し気になる事があった。


「ティアリスが長司祭になってから始まったのか」

「はい。その時に大聖堂へ他の街の司祭から是非自分達の街に視察に来て欲しいという要望が集まったそうです。それで一つの街に赴くと不平等になるため、'大治癒の巡回'という形を取るようになったという事です」

「つまり、みんなティアリスの力にあやかりたいって事ね」

「……皆さん私の力を必要としていただき、嬉しい限りです」


 ティアリスがぎこちない笑みを浮かべる。なるほど、本人はちゃんと理解しているようだ。純粋にティアリスの力を必要としている連中がどれだけいるのやら。


「初めは戸惑う事ばかりでしたが、やって正解だと今では思っています。大聖堂だけでなく、他の教会を見ることで問題点もわかってきました」

「問題点?」

「治療を求める方に比べ、教会の人員が少なすぎる事です」


 ティアリスの表情に陰が差す。人員不足か。どこの業界でも、その問題は抱えているんだな。うちだって……いや、うちは別に困ってないわ。


「今日だってあんなにも多くの患者達が教会に集まって来たのですよ? あれではとても回しきれません」


 それを殆ど一人でさばいていたティアリスに言われてもなぁ……。とはいえ、眉間にしわが寄っているのを見る限り、彼女は真剣に悩んでいるのだろう。


「今日あんなに集まったのは他に理由があるかも知れないぞ?」

「他に理由ですか?」

「あぁ、例えば……」


 俺はフォークをティアリスに向けながらニヤリと笑みを浮かべる。


「美人すぎる長司祭様を一目見に来ただけ、とかな」

「まぁ……!」


 俺の発言に目を丸くするティアリス。だが、すぐにくすくすと笑い始めた。


「だとしたら、邪魔をしに来てしまったかもしれませんね」

「あぁ、野次馬をたくさん引き連れてしまったからな」

「ふふっ、そうですね」


 魔族である俺にとってティアリスの悩みなどどうでもいい事だ。でも、自分の大切な人の親友が悩んでいたら、見て見ぬ振りなんてできない。とはいえ、俺にできる事なんて、冗談を言うくらいが関の山だ。まぁ、それで少しでも気が紛れてくれたのであれば御の字かな?


 バシャッ!!


 一瞬、何が起こったのかよくわからなかった。とりあえずはっきりしているのはなぜか俺の体が濡れているという事だけだ。


「サ、サクさんっ!!」


 ティアリスが慌てて立ち上がる。俺は床に転がっているジョッキを見てから、ゆっくりと顔を上げた。


「わりぃわりぃ! 女とイチャついてる所を見てたら手が滑っちまった!」

「おいおい! 酒がもったいねぇなぁ!」


 俺の視線の先に立っていたのはお世辞にも育ちがいいとは言えないような二人の男。この街の冒険者かなんかだろう。特徴は……うん、ハゲとチビだな。


「大丈夫ですかサクさん!? ……わざとやりましたね?」


 俺の体をハンカチで拭きながらティアリスが怖い顔で二人を睨みつける。うーん、酒臭い。びしょびしょの俺の姿を見て歯抜け達がニヤニヤ笑っているところを見ると、仲間の冒険者か?


「おおっと! 聖女様のお怒りだ!」

「そんなカッカすんなって! 美人が台無しだぜ?」

「そうだそうだ! わざとじゃねぇんだ、許してくれよ!」

「あなた達……!!」


 徐々にティアリスの表情が険しくなる。そのまま詰め寄りかねない彼女の肩を、俺はぽんぽんと優しく叩いた。


「向こうさんもわざとじゃないって言ってんだ。そう目くじらを立てる必要もねぇだろ」

「え……?」

「それにたかだか酒をかけられたくらいだ。別に怒ることでもねぇよ」


 俺が笑いながらそう言うと、ティアリスは少し驚いた顔を見せる。そして、なぜかハゲとチビも驚いていた。いや、何でお前らが驚いてんだよ。


「酒をかけられたくらいって、お酒ですよ!? なんの前触れもなく突然かけられたのですよ!?」

「前触れありでかけられること何て殆どないぞ。まぁ、手が滑ることなんて誰にでもあるし、悪いと思ってんだからもうそれでいいだろ。浴びるくらい酒を飲みたいって願望も叶えられたしな」


 そもそも酒をかけられたところで何のダメージにもならない。故意だろうと事故だろうと、気にする必要など皆無だ。マルコキアスとか、手が滑ったとか言って弱い魔物なら一瞬で消滅するような強酸とかかけてくるからね。それに比べりゃ酒なんて可愛いもんだ。


「……サクさんって大人なんですね」


 何故かティアリスから尊敬の眼差しを向けられてしまった。意味が分からん。


「わかりました。でも、服が濡れていると風邪を引いてしまうかもしれません。ご飯を食べ終わったらさっさと宿に戻りましょう」

「あー、うん。そうだな」


 この程度で風邪なんか引いてたら魔王なんてやってられないけど、余計な事は言わない方がいいよな。本当はもう少しステーキを楽しみたいんだけど、そういうわけにもいかねぇよなぁ……なんたって酒をかけた張本人を含め、歯抜け達が親の仇を見るような目でこっちを見てるんだよ。これ以上、ティアリスと会話しようもんならあいつら発狂しかねないだろ、マジで。

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