誰が為の異端審問か。

月白ヤトヒコ

『吸血鬼に死を』



 ――――霧のけぶる深夜。


 石畳を、とろみを持つ液体がゆるゆるとって行く。辺りの冷たい風に混じるのは濃厚な、鉄錆びにも似た匂い。その中心には、苦悶の表情を浮かべ、胸を押さえた男が倒れている。男の胸には白木の杭。男が息絶えているのは明白だ。


 傍らに『吸血鬼に死を』というメッセージが添えられて――――


※※※※※※※※※※※※※※※


 翌日の新聞。


 『吸血鬼に死を!』本日未明、金融業を営む男性の遺体が発見されました。


 男性は、白木の杭を胸に打たれて殺された模様。また、遺体の横には『吸血鬼に死を』というメッセージが残されており……


 警察に拠る捜査が……


※※※※※※※※※※※※※※※


 市立図書館。


 壁を覆うようにずらりと整列する本棚にはぎっしりと詰まった本の数々。

 薄暗くてひんやりとした空気に漂うのは、少しの埃っぽさと紙、インクの入りじった匂い。


 高い本棚の連なる奥まった静かな通路を、数人の少年達が連れ立って進む。


 人気の無いその奥には勉強できるよう長机があり、分厚い本を読んでいる子供が一人で席に着いていた。


 目深に被ったハンチングから零れる長めのくすんだ金髪に白い肌。気怠けだるげな表情でページを追っていた瞳が、やって来た少年達をチラリと見上げる。


「翻訳を頼みたい」


 少年のうちの一人が言い、少年達が教科書とレポートを取り出して子供へと見せる。


「ふぅん……初顔が二人といつもの。常連は知ってると思うけど、とりあえずこれだけは言っとく。オレは読み書きの専門。外国語は話せないよ。あ、ドイツ語は無理。読めねぇし。できんのは英語、フランス語、イタリア語、あと簡単なスペイン語とラテン語。そっちのドイツ語は自分でやんな。ちなみに、やるのは翻訳だけ。ああそれと、課題はちゃんと自分で書き直しなよ? そのまま出して筆跡でバレても知らん」


 ドイツ語の課題を持って来た少年は、がっかりした顔をする。


「ンで、代金は前払いのみ。後払いは認めない。払い戻しも不可。現物支給でもいいけど、代金が安過ぎたら受けないし、気が向かなくても断る。あと、課題の評価が悪くても苦情は受け付けない。以上。質問は?」


 よどみなく言いつのるハスキーなアルトに、ムスっと返事をする少年。


「そんなことは知っている」

「アンタ達じゃなくて、後ろの新顔に言ってんだよ」


 この場の誰よりも小さい十歳前後の子供は、自分よりも大きい年上の少年達に囲まれても全く物怖じする様子がない。

 くすんだ金髪に薄いアイスブルーの瞳。愛らしいと言っても過言ではない顔立ちに反した粗雑な口調は、その容姿にそぐわない。


「オレは金額を決めない。幾ら出すかは自分で決めなよ。その課題の価値を、ね? 現物なら、紙、ノート、筆記用具、インク、レターセット。教科書や辞書、本でも可。他は……蝋燭ろうそくや裁縫道具、制服や体操着のお古も可。あとは食料品なんかでもいいけどね。で、幾ら出す?」

「蝋燭?」

「筆記用具?」


 怪訝けげんな顔をする新顔の少年二人。


「夜に書き物するとき、灯りは必須。ンで、当然紙とペンとインクもな。学生なら、現金より払い易いって奴もいるし」


 親が小遣いをあげなくても、余程苦しい家計の家以外は筆記用具がなくなれば子供に買い与えて補充する。そして、家計が苦しいなら、報酬を払ってまで課題を他人に任せたりはしないだろう。


「ああ、ランプでもいいぞ? くれるなら喜んで貰うが。ま、さすがにランプは高いからな。やっぱちょろまかすなら蝋燭のが手頃だろ」

「わ、わかった」


 頷く少年達。うち二人が新品のノートとインクを年下の子供へ差し出す。


「OK。そっちの二人のは引き受る。勿論、返品は不可だ。で、アンタらは?」

「俺のはフランス語」

「僕のはフランス語の手紙」

「手紙はなに? 英語をフランス語にってンなら、原稿は自分で書けよな。そこまではやらん」

「いや、フランス語を英語に翻訳だ」

「OK。期限は?」

「できれば。今日中に頼みたい」

「僕のも、今日中に」

「なら、閉館時間までだな。一応やるが、途中になったらそこで終了。これは返さないが、それでいいか?」

「わかった」

「それでいい」

「ンじゃあ、閉館十五分前の知らせが鳴ったら取りに来い。五分前まではやる。そっちのはどうすんだ?」


 交渉を終えた子供……コルドは邪魔な少年達を追い払い、彼らのレポートへと取り掛かる。外国語から英語への翻訳。


 コルドは物心付く前から頭が良かったらしい。だが、学校へは通えない。

 身寄りの無い、それもいわく付きの孤児だからだ。


 学生相手に有償で課題をやるのは、コルドの稼ぐ手段の一つだ。


 普段は文盲の人相手に手紙の代筆、代読などをすることが多い。子供だからと舐められることもなくはないが、数ヵ国語を翻訳できるコルドには固定客もそれなりにいて、沢山稼げるというワケではないが、ある程度の定期収入はある。


 コルドは学生の課題……レポート代行に値段は決めない。課題の価値は学生本人に決めさせる。対価が安いと思ったときや、相手が気に食わない場合は引き受けないことにしている。


 紙やインク、筆記用具、蝋燭など、学生が当たり前に消費する品物は、彼らが考えているよりも案外高価だ。それを惜し気もなく与えられる学生は、そのことを知らない。考えもしないのだろう。だからコルドは、それらを頂くことにしている。


 コルドは今、元孤児院だった建物で兄妹達と暮らしている。全員が孤児で、誰一人として血が繋がっていない。そして、一番下の妹以外の全員が……それぞれいわく付きだ。


 元孤児院なのは、院長が数年前に死んでしまったからだ。孤児院としては、もう機能していない。孤児の受け入れは勿論していないし、引き取り手を探しての養子縁組みもしていない。そして、面倒を看てくれる大人もいない。だから、自分達で稼ぐ。


 幸い、孤児院の土地と建物の所有者の老女は、コルド達を追い出すつもりがないようなので居座っている。


 世話をしてくれる大人はいないが、地主の老女はコルド達が最低限暮らして行けるくらいの仕事を回してくれる。コルドは裁縫が苦手なので、その仕事を受けるのは専ら、最年長の兄とすぐ下の妹なのだが。


 基本、裁縫組以外の兄妹達は各個人が自分にできる仕事をしている。


 コルドは残念ながら裁縫自体があまり得意じゃないし、彼らのように手先が器用でもない。二番目の兄やすぐ上の兄妹がやるような犯罪や荒事も無理だ。代読、代筆屋が性に合っている。


 そうやって、生活をしている。

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