ふたりの青年
……………………
──ふたりの青年
アロイスは久しぶりにフリーダム・シティを訪れた。
護衛はマーヴェリックのみ。夜の楽しみもマーヴェリックのみ。
「こうしていると新婚旅行って気分がしないか?」
「しない。あたしは結婚って奴が大嫌いだ。お互いでお互いを束縛して、自由をなくして何が楽しいのか理解に苦しむ」
「それは言えている」
アロイスもマーヴェリックも自由主義者だ。
政治的にリベラルというのとはまた異なる自由主義者だ。政治的リベラリストは極度の反共思想に陥ったりしないし、無実の民間人をテロの巻き添えにすることに同意しないし、そもそもドラッグを認めているわけではない。彼らはドラッグカルテルの収入源を減らそうと合法的なドラッグを、管理された体制で使おうと提案しているだけだ。
それにアロイスもマーヴェリックも今の反共保守政権を支持している。
アロイスはブラッドフォードが現在の地位に留まり続けるために。マーヴェリックは反共主義者だから無条件に。彼女に言わせると、“国民連合”内のリベラルな人間は全て共産主義者の手先らしい。
自由万歳とアロイスは思う。
“国民連合”の自由な姿勢はドラッグビジネスをよりやりやすくしてくれる。そして、マーヴェリックは男女構わずパートナーが選べる。宗教的に厳格な中部の自由都市ザルトラントにいったら、ふたりとも神の敵として縛り首にされるだろう。
だが、そんなところにはアロイスたちは寄り付かない。
ザルトラントに何の価値がある? 神を敬虔に信じるものたちの集まり。金のない貧乏ハイエルフたちが南部と似たような政治観、宗教観で都市を運営している。ドラッグの厚生施設は両手の指で数えきれないほどあってもドラッグの需要はゼロに近い。
いや、ドラッグの需要はどこにでもある。
更生施設に通うヤク中に再びドラッグを勧めるという悪魔染みた商売があるのだ。それで稼いでいるドラッグの売人がいることをアロイスは知っている。
そういう罰当たりな売人がどうなろうと知ったことではない。末端の売人が誰を商売の相手に選ぼうとアロイスは口出ししない。“国民連合”は麻薬取締局が評するところのドラッグクライシスにある。明日の生活すら分からない車暮らしのヤク中から、映画界のスターたち、フリーダム・シティの証券業界に勤める証券マンに至るまで、ドラッグは売り捌かれ続けている。
そして、その莫大な利益はアロイスたちとヴィクトル、チェーリオたちが頂戴する。
ヴィクトルともこの間、会って話した。親父を殺した件、カルテルの中の裏切者を排除した件と、カルテル内の裏切者を処分した件についてそれとなく伝えた。
ヴィクトルは満足そうだった。またしてもアロイスが男らしい決断をしたためだろうか。アロイスの行った決断と言えば、ブラッドフォードに電話し、ドミニクに話をしたぐらいなのだが。
それでも信頼を失わなくてよかったとアロイスは思う。
この商売は信頼で成り立っている。お互いにヘマをしない。裏切らない。下手な証券マンよりも信頼を大事にしている。証券マンはヘマをしても首になるだけだが、このドラッグビジネスでヘマをすれば物理的に斬首だ。
全く以て利益とリスクが釣り合わない商売だとアロイスは思う。
証券マンはドラッグカルテル並みに稼ぐ大富豪がいるが、リスクは小さい。対するドラッグビジネスは証券マン並みに稼いでも、リスクはあまりに大きい。
アロイスは将来の夢として製薬会社に勤め、新薬を開発し、多くの人の命を救うことを夢見てきた。そして、製薬会社で引退を迎えた日には故郷であるノイエ・ネテスハイム村で小さな薬局を開くことが夢だった。
大金も暴力も権力も必要のない夢だった。
だが、クソハインリヒのせいで全ておじゃんになった。
そのクソハインリヒも今やお空でくたばった。そして、アロイスは望もうと望むむまいとヴォルフ・カルテルのボスになった。今では誰もがアロイスに跪く。『皇帝陛下万歳! 帝国に永遠に繁栄あれ』と。
もちろん、これをドラッグカルテル風に言っている。
「いらっしゃいませ、フリーダム・シティへ。ミスター・ファウスト、ミズ・マーヴェリック。ご案内いたします」
「ありがとう」
今回、アロイスがフリーダム・シティを訪れたのはこれから本格的に取引相手がアロイスになるということを伝えるためだった。電話で済ませてもよかったのだが、チェーリオが是非とも祝いたいというのでパーティーに参加することになった。
アロイスはこれを麻薬取締局の罠なのではないかと疑っていた。
チェーリオが自分を裏切ったとは考えたくないが、わざわざフリーダム・シティまで招待してパーティーをやるというのは大げさすぎる気がしていた。
パーティー会場のウェイターは麻薬取締局の覆面捜査官で、チェーリオは盗聴器をつけていて、あちこちに隠しカメラが設置され、アロイスを待ち伏せているのではないだろうかという被害妄想染みた考えに憑りつかれていた。
そうであってほしくはないが、運命の女神というのは時に惨たらしいことを平然と行う。アロイスは敵に警戒し、それでいて信頼を示さなければならないのだ。
まだチェーリオが黒と決まったわけではない。そもそもチェーリオが黒なら、アロイス=チェーリオ・ネットワークは今まさに崩壊しているだろう。
「何か悩み事?」
「ちょっとね。チェーリオが裏切っていないかどうか」
「裏切るはずがない。麻薬取締局がどんな飴玉をちらつかせたって、チェーリオは裏切らない。チェーリオはこのあんたとの取引にファミリーの全てをつぎ込んだ。それが失敗に終わったとなれば、チェーリオも親父さん同様に通り魔に消されるだろうね」
「そうであると願いたいところだ」
やがて、車はホテルの前に停まる。チェーリオが買収したホテルだ。
「ようこそ、我が親友!」
「ああ。会えて嬉しいよ、チェーリオ」
チェーリオが腕を広げて出迎えるのにアロイスも彼を抱擁した。
「今日は楽しんでいってくれ。口の硬い人間ばかりでのパーティーだ。気楽にやろう」
「そうだね」
畜生。今の俺にできるのはチェーリオが裏切っていないことを祈るだけだ。
「それで、親父さんの件は残念だったな」
「むしろ、これでよかった。親父は鬱陶しいだけだった」
「それもそうだな。俺も同じ気持ちを味わった」
残念だった? 嘘はよくないな、チェーリオ。あんたも俺も親父を殺して、のし上がったんだ。あんたは権力のために。俺は平穏のために。
「もしかして、俺があんたを嵌めようとしていると思っているのか?」
「いいや。まさか」
「そうか。だが、気持ちは分かる。俺たちは裏切者に囲まれているからな。誰がいつ俺たちを売るのか戦々恐々としている。このビジネスはいくら儲かっても、人間不信という不利益を被ることになる」
「まさしく」
カールは裏切った。俺は親父を裏切った。潜入捜査官はドミニクを裏切った。
裏切りのオンパレードだ。この世は腐ってる。
「それでも俺たちはお互いにヘマをしない。裏切らない。そうだろう?」
「そうだとも」
アロイスとチェーリオはシャンパンで乾杯した。
パーティーに麻薬取締局の特殊作戦部隊が突入してくることはなかった。
……………………
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます