ある女性の死
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──ある女性の死
ノルベルトはアロイスにスノーホワイト農家を案内し、どうやってスノーホワイトからホワイトグラスやスノーパールが生成されているかについて教えた。
アロイスにしてみれば知っていることだけだ。二重の意味で彼は知っている。
ひとつは1度目の人生でスノーホワイトを扱ったことによる経験。もうひとつは2度目の人生のスノーホワイトの構造式と精製過程における化学反応を学び、それによってここで行われている作業について知っているという点。
スノーホワイトは1年中いつでも薬効成分を採取できる。だが、1年の全てにおいて全ての薬効成分を採取することはできない。季節によって花、種子、葉から得られる薬効成分は異なり、極上のスノーパールを得られるのは大体3月から6月の間だ。
アロイスはスノーパールの精製過程を眺める。
「もっと機械化を進めた方がいいな。品質も均一にできるし、人件費も削減できる」
アロイスは農家とは違う、スノーパール精製のために雇われた科学者──とは言っても、機械的作業を行うだけの知識も経験もいらない仕事をする人間だが──たちを眺めてノルベルトにそう言った。
「しかし、そういう投資は利益になるのでしょうか?」
「どんなビジネスにも言えることだが、重要なのは信頼だ。客は金を払って商品を買うと同時に信頼を買っている。それはスニーカーや車、そしてドラッグも同様だ。今のような手作業が多い精製過程は品質に乱れが生じる可能性がある。そして、外れを引いた客からは信頼を失う。そして、そういう負の噂は瞬く間に広がるものだ」
アロイスは1度目の人生で自分がボスの座を得てから改革を行った。それがドラッグ精製の機械化と品質の均質化だ。
「ドラッグにもブランドが必要だとは思わないか? 女たちは高級ブランドの洋服や靴、バッグを喜んで買う。それはブランドがいい品質を保証すると同時に社会的ステータスを満足させているからだ。俺たちはドラッグでそれを成し遂げる。ヴォルフ・カルテルブランドの高級スノーパール。一発で天国に行けるブランド。金持ちで、刺激を求める連中が高い金を出して買い求め、貧乏人は女房を質に入れてでも買い求める」
「確かにそれは大きな利益になりそうですね」
「ああ。いいビジネスになる。ヴォルフ・カルテル製の高級ブランドドラッグ。ブランドの名前がついているだけで、金が取れるんだ。品質さえちゃんと維持すればいい。それだけで今の5倍、10倍の利益が得られるかもしれないんだぞ」
ヴィクトルは高級ブランドのドラッグを扱いたいと要望していた。アロイスとしてはいいアイディアだと思い、なるべくそれに応えたいと思っていたのだ。
今のアロイスにはとにかく金が必要だった。金がなければ暴力は手に入らない。暴力がなければ権力は成立しない。そして、アロイスにはその権力こそがもっとも必要だった。ハインリヒの過ちを止めるために、自分が生き延びるために。
もはや、アロイスがドラッグビジネスに頭のてっぺんまでどっぷり浸かっているのは否定の仕様もなかった。彼は新しい密売ルートを開拓し、そこから富を得て、今はドラッグの品質改善のために動いている。
大学でホワイトグラスを売り捌いていた時とは違う。本格的なドラッグビジネスに足を踏み入れているのだ。
あの夏の日から引き返せないことは分かっていた。どうあってもドラッグビジネスはアロイスの人生を滅茶苦茶にして、一生付きまとうのだ。ならば、迎え撃ってやろうではないか。自分にできる限りのことをして、1度目の人生の結果をひっくり返す。
それしかもう選択肢はないのだ。今からヴォルフ・カルテルのハインリヒが死に、シュヴァルツ・カルテルのドミニクが死に、キュステ・カルテルのヴェルナーが死に、グライフ・カルテルのカールが死んで、“連邦”の全てのスノーホワイト畑が焦土と化さない限り、アロイスはドラッグビジネスから逃げられない。
いや、4つのカルテルのボスが全員死に、“連邦”が焦土と化しても、西南大陸で生産されているドラッグの密輸という商売のために、ドラッグカルテルの残党たちがしのぎを削るだろう。そうすればアロイスも必然的にドラッグビジネスに巻き込まれる。
クソッタレのドラッグカルテルめ。クソッタレのヤク中どもめ。
全員地獄に落ちやがれ。地獄の業火で焼かれろ。こんな世界だ。天国はなく、神はおらずとも地獄ぐらいはあるだろう。
アロイスはドラッグビジネスを憎みながらも、ドラッグビジネスのために動くという自分の矛盾した状況に怒りと理不尽と虚しさを覚えていた。
「機械化と品質管理が問題だ。それから原価は多少上がってもいい。農夫たちには十分な給料と買取金を払ってやれ。農夫がいなければこの商売は成り立たない。農夫たちが最後に頼るのは俺たちだという状況にしておきたい」
“国民連合”が枯葉剤を撒いた後に、農夫たちが頼るのがシュヴァルツ・カルテルやキュステ・カルテル、グライフ・カルテルでは困るのだ。スノーホワイトの生産を維持するためには、農夫たちを味方につけておかなければ。
農夫と言っても男の農夫は少ない。女性が労働力になっている。この貧しい“連邦”では女子供も働かねばならず、そしてスノーホワイトの生産は農家にとって大きな利益を生み、家族が食べていける命綱であった。
アロイスは卒論作成のためにある程度で視察を切り上げ、帰宅した。
ドラッグデリバリーシステムについての研究はかなり進んだ。抗がん剤をがん細胞のマーカーとなる薬品を目印に反応するような実験がモルモットではある程度成功した。問題はその薬品が完全にがん細胞をマークできないことと、やはり抗がん剤の副作用が完全に消せるわけではないということだ。
だが、アロイスの研究はきっと後進の研究者たちにヒントを与えるだろう。自分は薬学史に少しだけ名前を残せる。それだけでアロイスは満足することにした。
本当なら製薬会社で本格的な研究を行いたかったが、それはドラッグビジネスという呪いが許さない。アロイスの夢はこれでお終いだ。
残念な人生だとアロイスは思う。
もっと誇れる仕事がしたかった。人の役に立つ仕事がしたかった。
けど、何もかもお終い。
アロイスは失意の中、アパートメントに帰宅した。
マーヴェリックが押し掛けてきたのは帰宅してから1時間後のことだった。
「卒論、進んでるかい?」
「いいデータが取れてる。けど、これを基に実用的な薬剤を作るのは難しいだろうね」
「表もドラッグ、裏もドラッグ。あんたの人生はドラッグで満ちてるね」
「できれば誇れる仕事がしたかったよ」
ビールの蓋を開けて、ふたりでビールを飲み干す。
「そういや、ニュースは聞いた?」
「ニュース? 何の?」
「あんたが一時期ご執心だった女。エルケだったけ。あの娘についてだ」
「ああ。それがどうかしたのか?」
「死んだよ。ドラッグでハイになったまま道路に飛び出してトラックにはねられた」
エルケが死んだ。
それを聞いて、アロイスは過去を思い返した。
アロイスには絶対に手に入らないものを手に入れようとしていた女子学生。アロイスが妬ましく、そして好ましく思っていた女性。手に入れるためにドラッグを使い、その身を破滅させた女性。
それが死んだ。ドラッグが間接的にかかわって。
「人間は案外呆気なく死ぬものなんだね」
「ま、そんなもんだよな」
アロイスにエルケを思う心は、もう欠片も存在しなかった。
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