第9話 変異体ハンターの女性はベジタリアンである。
懐かしさはいい。その時が当たり前だったころの良さを知ることができる。
電気自動車の電池残量を示すメーターが、全体の3割を切った。
「先輩、そろそろ充電した方がいいんじゃないですか?」
助手席に座っていた太めの男性……大森は、ハンドルを握っている女性に知らせる。
「わかってるよう。この辺りにガソリンスタンドに向かっているところだからあ」
晴海はけだるそうに返事をする。もはや、この言い方は彼女の癖なのだろうか。
空には青空が、道路の脇の地面には赤茶色の大地が広がっている。その道路を、電気自動車は一直線の道路の上を走っている。
「あれ、ない……」
「すみませえん、大森さん、補充お願いできますかあ?」
「わかってますよ。ちょっと待ってください……」
大森は手元のリュックサックから袋を取り出す。
袋についていたファスナーを外し、中身の
「どうもお」
晴海は紙コップをカップホルダーにセットすると、スティックニンジンをつまみ口に運ぶ。
「それにしても、先輩って変わってますよね」
「それは承知の事実じゃないのお?」
「そうじゃなくて、ニンジンの食べ方ですよ。普通、マヨネーズかドレッシングをかけて食べません?」
「料理の時はドレッシングをかけるよお。でも野菜単体はかけないで味わう方がおいしいって、勝手に決めつけているだけえ」
「そうなんですか。それにしても、もうすぐお昼ですよ? 昼飯が食べられなくなりません?」
「ニンジンは別腹だよう」
「先輩は相変わらずベジタリアンっすね……」
気にせずニンジンに手を伸ばしていく晴海を横目でみながら、大森は苦笑いしながら資料の用紙を取り出す。
1枚目は、とある事件の新聞記事だった。ここ最近、20代の若者が男女関係なく失踪するという事件だ。
そしてもう1枚は……今回の仕事の依頼書だ。依頼書に書かれている目的地は、車が走っている方向と一致していた。
依頼書によると、そこで怪しい人影が現れているというウワサが広がっている。目撃証言の中には、変異体を見かけたという。
このふたり……変異体ハンターは、依頼をこなすために目的地に向かっているのだろう。
車は、近場のガソリンスタンドに入っていく。
「なんだか古くさいですね、特にそこの給油機。世界中の自動車の90%が電気自動車となっているこのご時世に、ガソリン車用の給油機があるなんて……」
「古くさいのは給油機じゃないみたいだねえ」
晴海先輩が指さした方向を見てみると、張り紙のようなものが貼ってある。
“本店はフルサービス方式です。給油を求める方は店員をお呼びください”
「フルサービス方式? どういうことだ……?」
「お客が自分で給油する方式がセルフサービス、店員が給油してくれる方式はフルサービスって言うんだよう。給油している間は、窓ふきなんかも一緒にしてくれるんだってえ」
「ふうん……でもなんでわざわざ店員が給油する必要があるんですかね? 人件費とかかかるのに」
「これはいわゆるシャレってやつだねえ。昔を懐かしませる、いわゆる自己満足でやっている店なんだよお」
車は、充電スタンドの横で停車した。
“本店はフルサービス方式です。充電を求める方は店員をお呼びください”
「充電スタンドもかーい!」
「……面白いですかあ?」
「……」
電気スタンドに貼っていた張り紙に無理にツッコミを入れた大森には、晴海からの冷ややかな視線が送られた。
「それにしても、人ひとりも見えないですよ?」
「シャレでやっている店だし、中でのんびりしているんだろうねえ」
晴海はシートベルトを外し、車から降りる。
大森も降りようとすると、店内から誰かが出てきた。
「おお、久しぶりのお客さんですな」
この男、話し方とは不釣り合いなほど、肌が若い。これまた古そうなジャケットを着込み、右腕には包帯を巻き、目は黒サングラスでおしゃれしている。
「店員さんですかあ?」
晴海の受け答えに、男は白い歯を見せて笑う。
「いえ、あたしは店長なんですよ。もっとも、従業員はあたしひとりなんですけどね」
「それでしたらあ、充電お願いしますねえ。これ、電気自動車ですからあ」
「そうですか……そういえば、もうすぐお昼ですなあ」
店長と思われる男が腕時計を確認し始める。ついでに大森も腕時計で確認してみる。
グヴウウウウウウウゥゥゥゥゥ
……時計を見るまでもなかった。
ガソリンスタンドの店内は、飲食スペースになっている。
テーブルとイス4つというシンプルな席が複数並んでガラス窓付近に設置されている。壁際にはパンやラーメンといった、食品を売っている自動販売機が、これまた古くさいデザインで並んでいる。
「あれ、先輩は何も食べないんですか?」
晴海は席についてスマホをつついていた。大森はプラスチック容器に入ったラーメンをこぼさないようにテーブルを置きながら尋ねてみる。
「野菜がないと食欲が落ちるんだよう」
「……確かに、自販機には野菜関係のものがなかったですからね」
大森は自販機をちらりと見ると、ラーメンの麺を口に運んだ。
カップ麺とは食感が違っており、特にしょうゆスープに浸したベーコンがうまい。若干ふにゃふにゃしているのがスープを含んでいる証だ。
「スティックニンジン、持ってきたほうがよかったですか?」
ガラス窓には、充電している車の窓掃除をする店主が見える。
「別にいいよお、あれは運転するときに食べるものだからあ……んっ!!?」
ガタンッ
と……突然、晴海が座っていたイスを蹴飛ばす勢いで立ち上がった。
「……どうしたんっすか?」
「ちょっと町に行ってくるよう!!」
スマホを持ったまま晴海先輩は出口の扉まで走って行く。
「町って……ここから15分も掛かりますけど!?」
「往復30分で諦めるわけがないよう!! 野菜の詰め放題、売り切れる前に買いにいかないとお!!」
出口の扉を乱暴に開け、晴海は走り去っていった。
大森は、特に止めようとはしなかった。
彼のまぶたは下がり、頭を不安定に動かす。
やがて、イスから落ちた。
大森は起き上がることもなく、静かないびきをかきはじめる。
大森の頭に、男の足が現れた。
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