第111話 手遅れ
「ああ……どうしてか……我の頭も心もどこかスッキリした……今なら何でも出来そうなこの感覚は……初めてだ! ふふふ……ふはははははははは!!」
変化した自身の肉体の様子を気にすることも無く、口角の鋭く吊りあがった悪魔のごとく邪悪な笑みを浮かべる存在。
「メムス……様……」
人と魔の血を引きつつも、心と体が魔に偏りを見せた姿を現したメムス。
その変貌ぶり、そして寒気のするような空気と笑みに、これまでメムスを家族の一員として可愛がっていた村人たちも言葉を失っていた。
そして、そのとき……
「ねーちゃん……ねーちゃん、どーしたの!?」
メムスの存在によって、村中に漂っていたポルノヴィーチの魔法が解除され、他の者たちと同様に正気に戻ったロウリがメムスの変貌に驚きつつも駆け寄った。
「おお……ロウリ。何でもない。我はいい気分だ……今なら、お前が何を望んでも全てを叶えてやれそうだ」
「ねーちゃん……?」
「そう……ナンデモダ……」
メムスの足にしがみついて、心配そうに見上げるロウリ。そんなロウリに笑みを浮かべながら、メムスは明らかに「普通でない笑顔」を見せながら、ロウリの頬を撫でようとした。
だが……
「ッ!? ば、やめ―――」
そのとき、ジオの心臓が跳ね上がった。
片方だけとはいえ、魔族と化した禍々しい腕となったメムス。
あらゆるものを引き裂き、抉り、刻む鋭い爪。
そして、今になってようやくジオは今のメムスが、「自分の変化した体を気にしていない」のではなく、「正気でないために分かっていない」と気付いた。
だが、ジオが気付いた時にはもう遅く、メムスの爪は……
「いたいっ!?」
「……?」
メムスは、ただロウリの頬を撫でようとしただけだった。いつもやっていることを無意識にやろうとしていただけだった。
そうすることで、可愛い妹は笑顔を見せて甘えてくる。それがメムスは溜まらなく好きだった。
しかし、今は違う。
「「「「ロウリッ!? メムスッ!!??」」」」
「メムス様っ!?」
鋭い爪がロウリの頬にほんの僅かでも触れた瞬間、ロウリは驚いたようにその場で飛びのいて、涙を流し、そして……
「う、うう、えっ……え、……」
「……ロウリ?」
「う、うえうええええええええええええん、、え、うえええええええええん!」
ほんの僅かなかすり傷。だが、それでも間違いなくメムスの爪がロウリの頬に僅かに触れ、ほんの少しの傷を付け、そして血を流した。
痛みよりショックの方が大きく、ロウリはパニックを起こしたかのようにその場で腰を抜かして泣き叫んだ。
「……ろう……り? …………ッ!!?」
一体何が起こったのか分かっていない様子のメムス。だが、目の前で泣いているロウリ。そして、ほんの僅かでも爪先に残っている血を見た瞬間、全身に雷が落ちたかのように驚愕した表情を浮かべた。
「なっ!? なぜ、な……わ、我は、なにを!? なんで、こんな手……ロウリ……あ、あ、な、なんで!? 我は、い、一体!?」
そして、メムスは今のショックでようやく正気を取り戻し、自身の体、そして目の前で泣きじゃくるロウリの姿を見て、激しく動揺して混乱した。
「す、すまな、ロウリ、ほ、頬が……あっ、あああ、わ、我は、な、なにを? ロウリに、な、なにを……」
「うえええええん、ねーちゃんが、ねーちゃんがぁ……」
「ロウリ……」
顔を青ざめさせるメムスは、ロウリを抱きしめてあやすことも出来ないでいた。
そして、救いを求めるように周りを見渡した時……
「メムスちゃん……」
「メムス……」
そこには、自分の兄や姉、弟分や妹分たち、家族として自分とこれまで接してくれた村人たちが、初めて自分に向ける目を見て……
「ちが、みんな、な、や、やめ……て、ど、どうして我をそんな目で……」
メムスは更にショックを受けて全身を大きく震わせ、瞳に涙が溜まっていた。
そして……
「でゅふふふふふ、さあ、特区の人間ども……以前、メムスのことをお前たちは……『メムスは人間だ』、『自分たちの家族は売らない』……そう強調していたな?」
その状況下で、メムスと村人たちの間にポルノヴィーチが入り、そして邪悪な笑みを浮かべて、村人たちに問う。
「改めて問うのだ。ここに居るメムスは……『人間』で『家族』か?」
その問いに対して、体を震わせる村人たち。目の前の光景にショックだったのか、すぐに言葉を発せないでいた。
そして、そんな様子の村人たちを見て……
「う、うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
メムスは叫び、耳を塞ぎ、そして泣き、その背にあった翼でその場から離脱し、山へと向かって行った。
「ッ、しま、メムスッ!?」
「ま、まって、メムスちゃん!」
「違うんだ、メムス! 待て、ちょっと驚いただけだ!」
「そうよ、メムスは……メムスは私たちの――――」
メムスはもう何も聞きたくないとその場から逃げだした瞬間、ハッとした村人たちが慌てて叫んで追いかけようとする。
だが、もうその声はメムスには届かず、ただメムスは逃げだした。
「……ッ……ポルノヴィーチ……貴様ぁぁぁあ!!」
悲痛な顔をしてメムスの後を慌てて追いかける村人たちを尻目に、傷付いた体を引きずってカイゾーがポルノヴィーチに掴みかかった。
だが、その怒りを受けても、ポルノヴィーチの笑みは変わらなかった。
「でゅふふふふふ、何を怒っているのだ、カイゾー? わらわはただ……メムスの本当の姿を、あやつの家族たちにも見せてやりたかっただけなのだ。家族の間で隠しごとはいけないことなのだ~!」
「ふざけ、るな! ふざけるな! なぜ、なぜこんなことを! ただ、……ただ、ささやかな幸せを望んでいたメムス様を、どうして!」
「でも、笑えるであろう? お前のことをゾーさんなどと言って、見た目も間違いなく化け物のお前を受け入れながらも……ちょっと邪悪な本性を見せただけで、今まで家族同然だった娘に恐怖する……人間とは本当にいい加減なものなのだ♪」
カイゾーが怒りにまかせて拳を振り下ろす。だが、ポルノヴィーチはするりとその横を通り抜け、軽々と回避しながら、尚も笑う。
「しかし……わらわは、こんな薄情な村人たちと違い、たとえメムスがどれほど凶悪な力を持とうと、決して差別しないのだ。保護し、受け入れ、そして色々と教えてやり、可愛がってやるのだ」
「黙るゾウ! それは……メムス様の存在を利用すること前提だろう!」
「利用ではない。役目なのだ。村で野菜を作る仕事をしているように、ただ、わらわたちと共に理想国家建国の仕事を手伝ってくれさえすれば……わらわたちはあの娘を決して裏切らないのだ。同胞として。仲間として。家族として」
村人たち、人間たちと違って、自分ならこんなことにはしないとポルノヴィーチは断言する。
メムスの存在を利用することは否定しないが、それでも自分の仲間として大切にする。
そんなポルノヴィーチの言葉を聞きながら……
「……メムス……」
ジオはただ、メムスが飛び去った山を眺めながらそこに立ちつくしていた。
「……なんとまあ、これが狙いじゃったか……」
「確かに、自分たちですら目を見張る魔力と禍々しいオーラ……村人たちが竦むのも無理はない……」
まさかこんな展開になるとは思わず、ガイゼンもマシンもジオの隣に並んでそう呟いた。
村の外に広がる森に一斉に入る村人たちを眺めながら、ジオ達はただその場で眺めるしかなかった。
「……まぁ、本人はずっと自分が人間だと思っていたから……自分が本当は人間じゃないと……妹を傷つけたと……それによって、初めて向けられた視線……その全てにショックを受けちまったんだな……」
「リーダー?」
「……それを、受け止めろってのも……酷な話ではあるな……だから、逃げだしたくなる気持ちは……俺も分からなくねえ……」
異端の存在であることを自覚し、自らに向けられる視線に耐えきれずに逃げ出してしまうメムス。
その気持ちが、ジオは何となく分かってしまった。
自分と重ねて思えてしまい……。
「なら……もう、手遅れか? リーダーよ」
そのとき、隣に居たガイゼンがジオにそう訪ねた。
「メムスはもう……手遅れか? どこかの半魔族の目から見て……」
ガイゼンは「お前の目から見てももうメムスは手遅れか?」その問いにジオはすぐには答えられないでいた。
ジオ自身はもう手遅れであり、だからこそ帝国と決別して今ここに居る。
ならば、メムスはどうか?
「っ……みんな、どーしちゃったの……ひっぐ、ねーちゃん、どーしちゃったの?」
そのとき、泣いていたロウリが、村の年寄りたちに介抱されながらそう呟いた。
「だい……じょうぶじゃ……メムスは……」
「ねえ、ねーちゃんは? ねーちゃんどーしちゃったの?」
ようやく切られた頬の痛みやショックは落ち着いてきたものの、姉がどこかへ行ってしまったことに不安な顔を浮かべるロウリ。
そんなロウリの言葉におばばや年寄りたちは何も言えない。
「ねえ、ゾーさん! ねーちゃんは? ねーちゃんは!?」
「……ロウリ……」
「ねえ、ねーちゃんは!?」
姉がどうなってしまったか。姉が今この場に居ない。そのことに悲しくなるロウリ。
そんなロウリ、そして自分たちの一瞬の恐れと躊躇いがメムスを傷つけてしまったと後悔する年寄り、そして必死にメムスを追いかけようとする村人たちを見て、ジオは……
「たとえ……自分を追いかける奴らが居たとしても……追いかけられる側の本人が……もう、手遅れだと……もうこいつらと一緒には居られないと思っちまったら……どっちにしろ手遅れだ」
「リーダー……」
ジオにもまた、自分を追いかける者たちが居た。
だが、もう一緒に居ることを心が許さない。だから、自分はもう手遅れだ。
なら、メムスは?
「でも、あいつが……本当はまだここに居たいと思っているなら、……それなら手遅れじゃないと思うぜ?」
もう帝国に居たくないと思った自分。それに対してメムスはどういう気持ちなのかは、本人に聞かないと分からない。
ならば……
「なら、リーダーよ。ちょっくら、聞いてみてやるんじゃな」
「……はっ?」
「泣いているオナゴを放置するのはワシの主義に反するが……あやつの痛みや苦しみを分かっていないワシが半端な同情で接しても意味は無い……あやつの気持ちを理解できるものでなければのう」
そう言って、ガイゼンは笑みを浮かべてジオの肩を組んだ。
「って、ちょっと待てよ。何で俺がそんなことすんだよ! どうするかはあいつの勝手だろうが!」
「ぬわははははははは、そうか? リーダーが行きたそうにしていたのは、気の所為じゃったか? このままでは、自分と同じになるとかうんたらかんたら的な?」
「……気の所為だよ……つか、俺はそんなお節介じゃねーし」
からかう様に告げるガイゼンに、ジオも居心地悪そうにソッぽ向いて認めようとしないが、それについてはガイゼンはどっちでもよかった。
「そうか。なら……ワシの寝覚めが悪くなるから、行ってくれい、リーダー。ワシからのお願いなら良いじゃろ?」
「うっ……な、……」
ジオがひねくれるのなら、なら自分からのお願いだと頼むガイゼン。
初めてのガイゼンの頼みごとに、ジオも驚いてたじろいだ。
「なんでだ?」
「ん?」
「テメエを封印した大魔王の娘だぞ?」
「……ぬわははは、それを言うなら、リーダーを地獄に落とした大魔王の娘でもあるな!」
「…………」
「だろう? オナゴの涙の前には、取るに足らぬ小事じゃな」
細かいことは気にするなと豪快に笑うガイゼンに、何だか言い訳して動かなかった自分が小さく感じてしまったジオは溜息吐いた。
「ったく……じゃあ、ちょっと聞いてくるだけな?」
「おお。では……」
仕方ないから行ってやる。そう告げたジオに、ガイゼンは笑顔で頷いて後ろに回り込み……
「ん? おい、ガイゼン? ちょ、おい!?」
ジオを肩に担いで持ち上げて……
「マシン。あっちの方角じゃな」
「……北北西……間違いない」
そして、マシンも気にする様子も無くメムスの立ち去った方角を示し、
「リーダー追撃砲!!」
「ぎゃあああああああああああああああああああああっ!!!!」
ガイゼンはジオを飛び去ったメムスの向かった方角目掛けて、ぶん投げた。
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