一人百物語
考作慎吾
第1話 もしもし
これは僕が以前働いていたバイト先の先輩の話です。
その先輩とはシフトがあまり被らず、会えば挨拶をする程度の関係でした。
……僕が前のバイトを辞めたのはその先輩のせいなんですよね。いえ、パワハラとか先輩の性格が悪くて合わなかったからではないんです。先輩はどこにでもいる普通の方でしたよ。
たった一つの悪趣味な事を除けば、ですが……。
僕がバイトを辞めるほど嫌だったのは、先輩のスマホの着信音でした。大音量でバンド曲が流れたり、幼児アニメのOP曲が流れる方が何倍もマシでした。
最初に聞いたのはバイトリーダーが先輩に連絡している時でした。
帰ってしまった先輩に用事があったバイトリーダーが、スマホに電話を掛けた。
「もしもし」
バイトリーダーが電話を掛けた数秒後、先輩のロッカーからそんな声が聞こえて僕はギョッとしました。
「もしもし、もしもし、もしもし、もしもし、もしもし」
その声はひたすら「もしもし」を繰り返しているます。しかもその声は、目の前で電話を掛けているバイトリーダーのものでした。目を見開きロッカーとバイトリーダーを交互に見ていると、バイトリーダーは大きく溜め息をつきました。
「あいつ、また忘れてやがるな」
バイトリーダーが着信を切るとロッカーの声がピタリと止まりました。
「バ、バイトリーダー? 今のはいったい……」
「ああ、アレはあいつのスマホの着信音だよ」
恐る恐る尋ねる僕にバイトリーダーは自分のスマホを軽く振りながら言いました。
「ちゃ、着信音?」
「そう。あいつ誰からの連絡か分かるように着信相手の声を着信音にしてるんだとよ」
「そ、そうなんですか」
「あいつ、変わっているよな〜」
バイドリーダーはそう言ってけらけらと笑っていましたけど、僕にとっては薄気味悪くて仕方がありませんでした。
それから度々、先輩のスマホから色んな人の『もしもし』という着信音を聞きました。
先輩によく似た中年の女の声や、若い男の声がスマホから流れていた。
そんな着信音を聞き続けた数日後、今度は僕が先輩に電話を掛けることになりました。
先輩に貸していた漫画を今日返してもらう予定でしたが、タイミングが合わず帰ってしまったのです。
僕はバイトリーダーから先輩のスマホの番号を教えてもらい、自分のスマホから連絡しようとしました。
そこでふと、数日前のやり取りと色んな人の『もしもし』と録音されている着信音を思い出しました。今、先輩がスマホを忘れていて、もしもしを繰り返す着信音を聞いたら嫌だからです。しかし、僕が先輩に電話を掛けるのは今日が初めてです。今掛けても僕の声の『もしもし』が着信音になることはあり得ません。
そう安心した僕は着信ボタンを押しました。
「もしもし」
先輩のロッカーからあの言葉が聞こえました。
……その声は紛れもなく僕の声でした。
「もしもし、もしもし、もしもし、もしもし」
ロッカーを見たまま硬直した僕は、繰り返す自分の声を呆然と聞いていました。
その後は最初に話した通り、あの着信音に耐えられなかった僕は漫画を受け取らずにバイトを辞めました。もうあの先輩に関わりたくないですから。
今考えれば、バイト先での電話対応をしている際に録音したのかもしれませんね。
その時点で僕にとっては気味が悪くて仕方がありませんが。
え? 面白そうだから、そのバイトを紹介して欲しい?
別に構いませんが、そこに先輩がいる保証はありませんよ?
確認方法はある? ……僕がバイト先に行って電話を掛けて来いって?
そんなの絶対嫌です。バイト先は紹介しますから、自分の目で……いや耳で確かめてください。
まだ先輩がいるのであれば、先輩のスマホから貴方の声で『もしもし』の着信音が流れるかもしれませんよ。
終わり
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