第四章 命を選択する覚悟
第52話 いい運動
「ヒャッハー!!
今夜はイノシシ鍋だー!!!」
鬼気迫る気配を垂れ流しながら、イノシシは迫り来る恐怖から全力で逃げる。
そんな相手へ全身全霊を込めて追いかける女性に思うところはあるが、そんな彼女を見て溢れてきた言葉の波長は随分と穏やかなものだった。
「今日も楽しそうだな、ヴェルナさんは」
「……俺はあいつに目を付けられた"獲物"が可哀想に思えるがな……」
呆れながら彼女を視線だけで追いかけるサウルさんだった。
ハールスを出て2日。
俺たちは西の町"パルム"を目指していた。
次の町に何かがあるわけじゃない。
俺の目的はその先にある国境線の、さらに向こう側だ。
アウリスさんから教えてもらった情報によると、パルムから7日ほど西に向かうと国境線となる検問所が置かれているようだ。
そこはもう他国となるので、他国の騎士が武装した状態で入国審査をするらしいが、あくまでもこの国"ラウヴォラ王国"の中枢が一方的に敵視しているだけで、実際にはそれほど警戒されているわけでもないと聞いた。
特に商人や冒険者を含む一般人は、それほど厳しい審査がされるわけでもなければ、そこで何時間も束縛されるようなことはまず起こらないそうだ。
実際、不審人物と思われるやつは聴取されるし、ご禁制の品を持っていればすべて没収された上に入国を拒否するケースもごく稀だがあるらしいが、俺には当てはまらないだろうな。
なんせ道具らしい道具を持ち歩いていないからな。
あるのは剣が一振りと、水を含む非常食くらいなものだ。
トルサの薬師テレサさんから購入した薬は、残念ながら俺には効果がなかった。
これは恐らく異世界人の中でも"無能"と認定された者だけなのかもしれないが、少なくとも疲労回復薬と言われるスタミナポーションの効果を感じられるほど劇的な変化はないように思えた。
元々栄養剤の類には大したものが入っていないと聞いたことがある。
ビタミンやら良く分からない成分が瓶の裏に並べて書かれているが、その主な効果はカフェインと砂糖によるものらしいからな。
砂糖の甘さからドーパミンを脳内で分泌させ、疲労感を和らげる。
カフェインの効果で眠気も感じにくくさせる効果があるそうだが、どちらも疲労を解消させるわけじゃない。
結局は気の持ちようで、どうとでもなるんだろう。
プラシーボ効果の影響も大きいのかもしれない。
"病は気から"、なんて言うくらいだからな。
だが、この世界には未知の力と言える魔力がある。
科学文明が発達した地球とは明らかに違う部分だと言えるだろう。
それでも俺に魔法的な効果は得られなかったことを考えれば、魔法薬と分類される即効性ポーションの類はすべて不要だろうな。
特質的な体に思えることに違和感がないわけじゃない。
この世界に立っているんだから、できれば同じような体であれば良かったと思うが、こればかりは愚痴ったところで改善されることはないから諦めるしかないな。
……そういえば、一条はどうなんだろうな。
勇者としての技能が凄まじいようだから、俺とは違って魔法も使えるのか。
まぁ、潜在的な能力と言える力を今のあいつが使えるとも思えないが。
「ふぃー!
いい運動したぜ!」
ずるずるとイノシシを引きずりながらヴェルナさんは馬車に戻って来た。
清々しい表情からは想像もつかないが、彼女の戦闘スタイルは中々に個性的だ。
……というか、追いついたんだな、全力で逃げるイノシシに……。
いったいどんな脚力と持続力を持ってるんだ、ヴェルナさんは……。
好戦的。
一言で表現すれば、これに尽きる。
しかし、あの表情はまさしく世紀末に遭遇するゴロツキにしか思えない。
その瞳からも窺える強烈な敵対心は、魔物だろうと全力で逃げ出すほどだった。
それでも彼女は目に映った相手を根こそぎ狙うようなことはしなかったし、発せられた気配はとても楽しそうな気持ちを感じさせるものだった。
狩った直後は憑き物が落ちたような満面の笑みを見せることから、恐らくは彼女のストレス発散になっているんだろうなと思うことで俺は思考を落ち着かせた。
実際、馬車の旅には肉体的なものはもちろん、精神的な疲労が溜まりやすい。
特に彼女のような体を動かしたがる傾向の強い冒険者からすれば、こうして鬱憤を晴らすことも大切なプロセスなんだろうと俺は思っている。
息抜きの仕方は人それぞれだからな。
それを他人がとやかく言うのは間違ってるし、彼女は先輩冒険者だからそういったことも熟知している。
"自分のことは自分が良く分かる"
そんな言葉もあるくらいだからな。
他人が口を出すべきことじゃない。
だがそれでも、サウルさんは一言伝えなければならないことがあったようだ。
それについては俺も考えていたものではあったが……。
「……お前なぁ……。
直進しながら全力で逃げるイノシシを追いかけるとか、何考えてんだよ。
その強烈な威圧感を抑えれば、向こうから自然と襲ってくるもんなんだぞ……」
「つまんねぇこと言うんじゃねぇよ!
アタシは"追いかけっこ"して遊んでただけじゃねぇか!」
……捕まったら食われる"命がけの鬼ごっこ"は、さすがに嫌だな……。
俺は本心からそう思ったが、それを口に出すことはしなかった。
まるで青空のような清々しさを感じさせるヴェルナさんの笑顔と高らかに響き渡る豪快な笑い声は、どこまでも澄み渡る空に溶けていった。
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