第9話 何故か、嫁取りが決まったっ


 なぜか俺、初めて松永久秀殿を恐ろしいとは感じなかった。

「そう仰らず。

 京の町も諸色高直、我が派も内情は火の車でございます。

 将軍様からのお話を前向きなものと誤解したは、棟梁たるこの源四郎の失態。

 松永殿にお救いいただけるのであれば、ありがたきことこの上なく、伏してお礼申し上げ奉ります」

 口では、そう言いながら……。


 心の中では、「お前を騙すための絵だ。お前が買うのが筋だ」と呟いている。

 積極的に売り込みに入れば、松永殿は逃げる。存外、吝嗇ケチらしい。なら、徹底して売り込んでやろうではないか。


「冗談ではない。

 そのような無駄な金はない。

 茶器ならばまだしも、絵など使いみちがなかろう」

「なにを仰られますやら。

 数々の名器を所有される松永様にて、その目は確かなものと推察いたします。

 また、松永様の多聞山城は、素晴らしきものとお聞きいたしております。我が狩野も、城内に障壁画を何点か描かせていただきました。父の指揮のもとに、高弟たちが描かせていただきましたが、この屏風は棟梁たるこの源四郎の直筆でございます。

 話に聞く美しき多聞山城を、さらに彩るものと確信しております」

 俺はそう言い切る。

 そう言い切れなくて、なにが棟梁か。


 初めて、松永の糞爺の視線が泳ぐのを俺は見た。

 初めて、そう、初めて俺は優位に立っている。

「そういえば、お前の妹はどうした?

 わが屋敷で仕える件じゃ。

 我が殿に泣きついて、けんもほろろに応対されたそうではないか。

 そうだ、絵ではなく妹の方を、このまま連れ帰ってもよいのだぞっ!」

 お、そちらの方から反撃されてきましたか。

 話を変えるのが、少し強引ではございますがなぁ。


「この度、我が妹は縁談が本決まりになりまして、嫁入り支度に余念なきことになっておりまする。

 誠に惜しい話ながら、この話、ご辞退させていただくしかありませぬ。

 ただ、このようなお声がけをいただきました御恩、この狩野源四郎、決して忘れませぬ」

 ふん、忘れない、つまりは覚えていろってことだ。

 ただ、この俺の返答に返す松永の糞爺の問い次第で、直治どのには申し訳ないことにはなる。


「それは重畳。

 で、どこの家に入られるのか?」

 すまぬ、直治どの。

 やはり聞かれてしまった。


 こういうのを、ひょうたんから駒と申すのであろうな。

 もはやこのように決めてしまうぞ。

 この源四郎、直治どのには一年の猶予を与えたのだ。それをもって、許せ。

 直治どのが小蝶に甘味を買い与えている間、それはすなわち、俺も俺なりに心を決める期間ともなっていたのだ。


「この源四郎の嫁にございます」

「よく聞こえなかった。

 もう一度申せ」

 さすがに、そうなるよな。


「狩野派棟梁、この源四郎の嫁にございます」

 俺は、重ねてそう宣言した。

 松永殿とその御家中だけでなく、我が派の面々も俺の背後で息を呑んだのを背中で感じる。


「……どういうことだ?」

「我が妹というのは、我が父の瞞着まんちゃく※1でございました。

 実は、大和絵土佐派棟梁、土佐光元が忌み子※2にございます。

 他ならぬ松永様でありますからお話いたしますが、土佐光元めは絵師ながら武士になりたいと奔放な日々の末、このような不始末をしでかしました。

 その結果、母子して日々の糧にも困る中、我が父が哀れと思い拾い上げたものにございます。

 ただ、若き男が多い派の中に女を入れるは乱れの元。

 ゆえに、妹と内外に偽り申しました」

「ふむ。

 では……」

 と松永殿がなにかを言いかけるのに、俺は構わず自分の言葉をかぶせた。


「引き取りはいたしましたが、狩野の家にとってはまったくのお荷物にて、いくらか扇絵を能くするとはいえ、そのくらいの腕の者は我が派にはいくらでもおり申します。

 過ぐる日の松永様の申し出はありがたかったものの、一度妹として引き取った者を厄介払いができるとあからさまに顔には出せず、また一度妹とした以上、我が家としての体面も整えねばならず……」

「嘘は許さぬぞ」

 松永殿、ようやく俺の話に口を挟む。


 我ながら、立て板に水を流すように見事に嘘を並べていた。

 口を挟まれるより早く、伝えたいことだけは伝えねばならないからだ。

 だが、もうよい。

 種子は蒔けた。


「どうぞ、お気が済むまでお調べくだされ。

 真実は一つにして、よっくお調べになればなるほど、我が言が真なるものとご納得いただけましょうぞ」

 そう俺は、あえて言を足した。


 小蝶を厄介者という立場にしてしまえば、狩野に対する人質という意味合いを失う。すなわち、俺が守りたいものだから奪いたいのであって、俺が捨てたいものを拾いたいとは、松永殿のような人間は決して思わぬ。


 また、過ぎし日に松永の糞爺に小蝶を寄越せと言われたときの、俺の動転ぶりは見抜かれているはずだ。だから、そこの仕損じたところも補っておく。

 さらに言えば、俺の背後で我が派の者どもが小蝶を嫁にするといったときに驚いたのをも、小蝶の正体は派の中ですら隠していたのだと説明を加えることができた。

 辻褄は合っているはずだ。


 だが、松永殿の目は、相変わらず底光りをたたえて俺の目を覗き込む。

 まだだ。

 まだ騙しきれていない。

「なれば、そのような価値無き娘、なぜ棟梁は嫁に迎えようとするのか?」

 来るだろうと思っていた下問だ。

 むしろ、それを聞くよう仕向けたと言っていい。


 なに一つ聞くことがないほど納得させられると、かえって疑いもしよう。

「自ら疑いを晴らした」と、そう思わせなければ、松永殿のような糞爺は本当に納得はせぬ。


 俺は、顔を歪めて答えた。

「決まっておりまする。

 父の命にてやむなく。

 父は土佐光元めに他に子が無きことをいいことに、土佐派をも取り込もうと。

 とはいえ、棟梁の腰が定まらぬ派など、あってもなくても同じ。価値などございませぬ。ただ、父が若き頃には一定の力のあった派ゆえ、その幻影が父の目を曇らせておるのでございましょう。

 とはいえ、父の言に従うは、子としての孝の道にございますれば」

 今度は、父のせいにしてしまえ。

 もう話の責は、土佐光元でも父でも、どこへでも押し付けてしまえばいい。土佐派だって本当はもっと力があるが、あとから文句を言っては来ぬであろうよ。


「……棟梁も苦労しておるのう」

 松永の糞爺にしても、我が狩野ならまだしも、棟梁不在の土佐派は不要であろう。つまり、小蝶を欲しがる必然はもはやない。

 若い女自体は欲しかろうが、それだけなら、顔も見たことがない嫁入りの決まりし女より、いくらでも他に適当なのが入手できよう。


「お言葉、痛み入ります。

 ですが、棟梁は子をなさねばなりませぬ。どのような女子おなごであっても、そこが成るのであれば、贅沢は言えませぬ」

 松永殿も家の主であれば、子を成せと言われ続ける事情はわかろう。

 子を成すことで、家も派も続き、家中の者や派に属する者も食っていけるのだ。今の世は、そういう仕組みなのだから仕方ない。


「そうか。

 よくわかった。

 では、この松永、婚礼の祝儀を弾もうではないか。

 その屏風、買うとは申せぬが、買い手の仲介くらいはできようぞ。

 それで、この場は許してくれぬか」

「許すもなにも……。

 誠にありがたきお申し出であり、この源四郎、感謝の念に堪えませぬ」

 偉そうに言っているが、自分の懐は傷まぬではないか。

 そう、心のなかで舌を出す。


 やはり、糞爺は糞爺だ。

 煮ても焼いても喰えない。

 つまり、調子に乗って良い相手ではない。

 ここで一つ、折れておかねばなるまい。


「松永様。

 これほどのご厚情をいただけること、ありがたき幸せ。

 せめてでございますが、この扇をばお持ちくださいませ。

 名人との誉れ高かった我が祖父、狩野元信の作にて、はや我が派内でも最後の一本。

 どなたにもお渡しするつもりはなかったのですが、先ほどのようなお言葉にお返しできるとなれば、せめても、と」

 俺は、工房の一画から取り出した扇を差し出し、そう申し出る。


 惜しいが仕方ない。

 だが、祖父の絵自体は、扇絵も含めてまだまだたくさんある。

 あくまで、扇にまで仕立て上げた最後のものがこれだ、というだけである。だが、余計なことを言う必要はない。


「さすがは狩野の棟梁。

 喜んでいただこう」

 松永殿が扇を握る。


 これは、商談成立であり……。

 そして、我が派がひとまず安泰となったということでもあった。



1※瞞着 ・・・ ごまかすこと、騙すこと。

2※忌み子 ・・・ 望まれないまま生まれてきた子

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