第869話_一撃
結界の外側へ追いやられた多くは、その衝撃に動けなくなった。即座に動けたのは受け身に間に合った精鋭の戦士達と、コルラードによって守られたベルクとケヴィン。そして守護石で守られたカンナだけ。
非戦闘員は勿論のこと、魔術師らは受け身に間に合わずに負傷してしまった者の方が多かった。
そのような怪我人に対応しつつ、動ける魔術師を集めて結界をどうにかしようとコルラードは奔走する。リュクレースは自らの部隊の者と共に、何度も結界を攻撃した。
カンナは結界に寄り添うようにしながら、ずっとアキラを見つめている。どんなに駆け寄りたくとも、コルラード達に壊せぬ結界をどうにかできるほどの力を彼女は持たない。しかし主の元へ向かいたいと望む思いだけは強く。結界に付いている手は、強く押し付けられているせいで血の気を失くして白くなっていた。
だが今、誰もそんな彼女を気遣う余裕は無い。
コルラードは、ケヴィンの腕の中でぐったりしている女王の傍に駆け寄り、診察している衛生兵に声を掛けた。
「女王陛下の容態は?」
「気を失っているだけのようです。体温、呼吸、脈拍、血圧、全て正常です」
医療担当の衛生兵らは隊列の後方に位置していた為、結界による影響を受けずにすぐに動き出すことが出来た。最優先で女王を確認させたが、彼女に異常は無いらしい。
「では他の怪我人を確認してくれ。ただし、結界が解かれた際には最優先でクヌギ様の治療に当たれ」
「はい!」
衛生兵が慌しく道具を掻き集めているのを一瞥してから、コルラードはケヴィンに視線を向ける。
「側近殿。護衛は残すが、しばし女王陛下をお願いする。何か異変があれば声を上げてくれ」
「はい、お気遣いに感謝いたします」
応えるケヴィンの声は今なお震えていたが、腕の中に温かな女王が、傷一つ無く、五体満足で居るのだ。動揺は少し落ち着いているように見えた。
魔術師らも懸命に結界へアプローチをしているものの、今のところ目立った成果は無い。
ただしリュクレースの部隊の方は、攻撃を繰り返すほどに僅かに結界が歪む。魔族も時折、煩わしそうにそちらへ視線を送っている様子を見ると、破る可能性があるとすれば彼女らの部隊だろう。
ふと、アキラが何かを呟いたような音を拾った。コルラードとベルクが振り返る。魔族もそれに興味を取られた様子で、身体を彼女の方へと傾けようとしていた。
その直後。
目を
同時に鳴り響く、王都全体を揺らすほどの轟音。まるで、その場所に数十本の落雷が発生したかのような音だった。
アキラは雷魔法と特に相性が良かった。攻撃魔法を全力で放ちたいと考えれば自然とその属性になるのだろう。
突然の光によって視界が定まらない者が多く、音と光が消えた後も、状況確認には時間を要した。
周囲は、静まり返っていた。
魔族の気配が消えている。結界も破壊されており、影も形もない。
「こんなにも……圧倒的なのか」
静かなその場に、リュクレースの呟きだけが落ちた。コルラードは忙しなく周囲を見回し、声を張る。
「魔族はどうなった!? 追えた者は居るか!?」
彼と同じく、周囲を警戒しているのは、魔術的な素養の低い者だけ。リュクレースや、魔術師達は何処か無防備に、立ち尽くしている。次に声を発したのは、コルラードから程近い位置に立っていた魔術師の一人であり、今回の隊に編成されている中で最も優れた魔術師だった。
「消滅した、と思われます。直撃し、魔属性が潰える気配を感知いたしました」
目を見張ってコルラードが振り返る。こんな状況で嘘を吐く者が居るはずもないし、本人も「まさか」と思って何度も魔力探知を行った末の結論だろう。食い入るように魔術師の目を見つめた後、コルラードは確かめるようにリュクレースの顔を窺った。
視線を受け止め、リュクレースは無言で頷く。つまり彼女も同じ感知をしており、その上で、先程の呟きだったのだ。
しかし、リュクレースや魔術師達の顔に浮かんでいたのは歓喜の色ではない。『恐怖』だった。
リュクレースはアキラからの威圧を受け、彼女の圧倒的な力を直に、言葉通り「身をもって」知ってはいた。
だが、『魔族』という存在――リュクレースが何度も対峙し、仲間から多くの犠牲を出しながら辛勝してきた強力な敵を相手取って、あれだけの重傷を負った状態から、たった一撃。
アキラの前方はもう、何も無くなっていた。
地面は抉れ、門は消え、遥か遠くに見える森も、一部が欠けている。接したと思われた部分から発火したらしく、少し煙が上がっているのも見えた。
それを齎した、圧倒的という言葉すら生易しいと思わせる救世主の姿を。誰もが呆然と見つめていた。その時。その身体が、ゆっくりと傾く。周囲がハッとした。
後方に倒れ込んでいき、地面に接する寸前、全速力で駆け込んだカンナがその身を受け止めた。コルラードもようやく我に返って、息を吸い込む。
「――衛生兵! クヌギ様の治療が最優先だ! 急げ!」
呼ばれた者達は他の怪我人の処置の為に少し離れていたが、『最優先』と元々指示のあったことだ。他の処置を切り上げるべく動き始める。その様子を見守ってから、再びコルラードが前を向いた。
「リュクレース! 西門よりも前方に兵を展開し、魔物の侵入を警戒しろ!」
「はッ! 白騎士団総員、前へ!」
周囲の兵らが忙しなく動く気配で、ベルクも我に返ったらしい。カンナに続いて前に――アキラの方へ駆け寄ろうとしていたが、コルラードがそれを制止する。
「殿下。安全確認は完全でありません。後方指示に徹して下さい。何より、女王陛下の護衛をお願いします」
何を言われているのか分からない様子でベルクは目を瞬いた。まだ、動揺が拭い切れていないのか、反応が遅い。コルラードにも急く思いがあったものの、この不安定な王子を放置して、事が大きくなるのを看過できずに辛抱強く待つ。数拍の後、ようやく、ベルクが頷いた。
「あ、……ああ、分かった。クヌギ様を頼む」
「全力を尽くします」
ベルクが留まったことを確認してから、コルラードは勢いよくアキラの方へと駆ける。衛生兵はまだ来ないが、止血など、コルラードにも出来ることはあるはずだ。いつか彼女の座布団にした立派なマントを、走りながら取り外した。
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