第867話

 ケヴィンの喉が震えた音がした。真後ろでずっと女王を見守っていた彼だから、穴が開いてすぐに気付いたのだろう。悲鳴を上げる寸前の喉の戦慄わななき。だがそこから音が放たれるより早く、私が叫んだ。

「――生体再生リジェネレイト!」

 状況を判断して私が叫ぶまで、一秒も無かった。

 同時に、微かな魔力を辿り、逆方向へと攻撃魔法を放つ。

 確認対象として脇に控えていた女中らしい姿に命中するが、手応えは無かった。だが気配はまだそこにある。追撃をしようとした瞬間――私と女王を中心に、結界が展開された。

 内から外へ膨れ上がるような展開方法が取られた為、私達以外の人間は全て外側に押し出された。

 それは西門の方まで届くような、長くて大きな結界だった。

 私達を守っていたウェンカイン王国軍は左右に分けられるようにして追いやられ、西門は結界に押し破られて崩れている。

 遠く、森らしい影の傍に、魔物らが整列するように集まっているのも見えた。

 つまりこれは、森から王宮まで何の邪魔も無く真っ直ぐに侵入できる道でもあるのだろう。まだ魔物らに動きは見られないが、魔族からの指示があれば、あの大群が王宮まで雪崩れ込むことになる。

 私の結界内に居たカンナとケヴィンも、遠くに弾き飛ばされてしまった。

 魔族が使ったのはあくまでも結界魔法であり、『攻撃』と見なされなかったことで、私の結界を容易く通り抜けた。まさか魔族が、結界まで扱えるとは思っていなかった。

 カンナには守護石もあり、本人の身体能力もある。かなり遠くへ飛ばされたものの、ダメージなく着地したようだ。結界に阻まれ私の方に来られないことを焦っている気配はあるけれど、身体的な無事は確認できた。

 ケヴィンの方は分からないが。立ち上がっているので受け身は取れたのだろう。それ以外の人までは確認する余裕が無い。

 私に攻撃されて倒れていた女の身体から黒い影が飛び出す。それは踊るように空中で一回転してから、私と女王の前に姿を現した。

「ウフフフ、これは見事」

 歌うようにのたまうが、声にはノイズのような、本能的に不快と感じる音が混じっている。人語を真似ているだけで、本来の『鳴き声』が隠し切れていない。

 姿も人に近く、頭が一つ、四肢もある。それでも、人でないことが一目で分かるおどろおどろしい姿をしていた。背は異様に高く、三メートルを悠に超える一方で、高さに見合わぬほど細く、まるで骨に皮を巻き付けたかのようだ。それが、あり得ない角度で身体を曲げ、楽しそうに私達を見下ろしていた。

 日本に生まれ育った私からすれば『魔族』ではなく『妖怪』とでも呼びたくなる不気味さだ。

「もう治してしまわれた。一枚目で殺せる可能性も高いと思っていたのに。ウフフフ、流石は救世主殿」

 耳に入れるだけで不快な声に、反射的に眉を寄せる。

 そう、女王の傷はもう治した。最初のショックで気を失ってはいるようだが、息はあるし、命は助かっている。

 何かあった時にすぐに対応できるようにと、王都に近付く頃から身体の中で高濃度の魔力を既に練っていたから、即座に発動し、最高効率での魔法になった。

 その事前準備と、ウェンカインの王妃を治した時より更に私の魔法能力が向上していた為に出来たことであって、少し前までの私なら、女王が絶命するまでにあの穴を再生することは難しかった。ほんの少しでも発動が遅れていたら。または、焦って発動に失敗していたら。考えるほどに恐ろしい。

 しかし此処までのことを私がやってのけても、女王が助かっていても。魔族には悔しさも焦りも見られず、ニタニタと笑っている。

「まだ終わりではない、お分かりですね、ウフフ、救世主殿、助けられますか? あなたはその小さな女王を救えますか?」

 元より女王の呪いは、三重掛けだった。

 一つ目が発動しても、どうやら呪いは終わらない。トリガーは解呪だけじゃなかった。前の発動を終えた場合に次が動き始めるという、性格の悪すぎる仕組みになっている。

 たった一度助けただけでは、ダメなのだ。

 二つ目の起動を感じ取った私は、魔族の声を聞く傍らで既に解呪を試みている。

 魔族の魔力を女王の体内から押し出す結界を張り、横槍を防ぎながら。一つずつ、呪いの魔力を女王の魔力回路から引き剥がす。

 新たな魔力の注入は弾いているにも拘らず、二つ目は起動している。一つ目のトリガーを引いてしまえば後はもう、魔力を封じてもお構いなしらしい。必ず、発動までに解かなければならない。

 女王の意識が無くて幸いだった。呪いを引き剥がす作業は、意識がある限り痛みが伴うから。痛みによって暴れられたら、もしくは私が少しでも処置を躊躇ったら間に合わなかったかもしれない。

 何とか、発動前に二つ目を解呪した。二つ目以降は一つ目ほど複雑な掛かり方をしていない為、三十秒と掛からず、剥がすことが出来た。

 多少の傷は構わないつもりでスピード重視に剥がしていることもあるし、私が日頃から魔力制御を練習して、以前よりずっと繊細に扱えるようになっているからでもある。

 だが何より、一つ目の発動から次の発動までに、数分足らずではあるがのが一番大きい。私は奥歯を噛み締める。

 当然のように三つ目が起動して、即座に解呪に取り掛かった。魔族の高笑いが辺りに響く。

「救うのですか? 救うのですね?」

 魔族は最初に出現した場所から少しも動かず、魔物らに王都を襲わせるようなこともせず、ずっと私の解呪を『見学』している。

「ウフフ! 救ってしまうのですね!」

 三つ目の解呪が進む。一つ目の発動、二つ目の解呪、そして今試みている、三つ目の解呪。……それと同時に組み上がる『新たな術』には、気付いていた。魔族が、私をわらっている。

「――そうすると貴女は、死んでしまいますよ?」

「黙れ……!!」

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