第723話_幸せな痕

 私が身体を洗い終えるまでにはナディアも上がって、一人で浴槽にのんびりと浸かる。

 痕を付けられた場所を確かめるように、手の平で軽く擦った。

 愛する人に付けられた痕はこんなにも幸せだが。よく知りもしない客に付けられるそれは、いつまでも残る気がする感触とかは、どうなんだろう。

 はあ。だけどもう、あんまり引き摺っていても仕方がないな。ナディアにこんなことをさせるほど、気を遣わせちゃ世話ないよ。軽く頭を振って、立ち上がった。

「うーん、美味しい」

「それさっきの五分の一の量だからね」

「ははは」

 カンナが作ってくれたウイスキーのロックを飲んでいたら、リコットが唸るように言った。そんなに沢山入れてたかなぁ。

 勿論、ロックと言っても入れてすぐに飲めばストレートと変わらないが、カンナは少しだけ氷を溶かして馴染ませてから出してくれている。

 ストレートもガツンとして好きではあるものの、このまろやかな感じは実際とても美味しい。

 水のようにグイっと飲んでしまいそうなテンションだったさっきとは違って、ちびちびと、味わって飲んだ。その様子を見て安堵したらしくて、ラターシャとルーイはいつも通りの時間に就寝した。

「子供にお酒を止められるなんて、みっともないと思いなさいね」

 改めてナディアからちくりと苦言を呈されて、すごく小さい声で「はい……」って答えたら。リコットに「ちっさ」と言われた。人間としてのことを言われている気がして、やや傷付く。

 なお、私が無駄に注いだお酒を少し分ける意味もあって、カンナが私と同じものを飲み、リコットとナディアが水割りを飲んでいる。私が二杯目を飲んだら丁度さっきの分は無くなるらしい。頂きます。

 ちなみに水割りは、みんなにとってあまり馴染みのない飲み方のようだ。私の世界でも日本以外じゃ見ない飲み方だったから、さもありなんってところか。それでも私が教えてあげたら、ナディア達は気に入ってくれた。飲みやすくなるものね。

「アキラちゃんって、元の世界じゃ一人で暮らしてたって言ってなかった? こんなに危なっかしいことある?」

「ははは」

「笑い事じゃないのよ」

 リコットとナディアは全然笑っていなくて、目がすっごく真剣だ。うーん、適当に流したら怒られそう。私は肩を竦めた。

「流石にあのまま一気飲みはしないよ」

 一口か二口を呷って、喉から胸の辺りが熱くなるのを感じ、その辺りで気が済んだと思う。水を飲んで、ウイスキーも氷や水で少し薄めて飲み直す。多分そういう結末になっただろう。

「たったの一口のバカも止めてくれるから、みんなが居て助かるね」

 私の言葉に、リコットとナディアは呆れた顔をした。そんな心持ちがあるなら最初から心配を掛けるなと言わんばかりだ。私も本当にそう思う。

「水をお持ちしますね」

 不意にカンナがそう言って立ち上がり、全員分の水を持って戻った。そろそろみんな、グラスが底を突く。寝る前に水を飲んでから寝ましょうと言うことか。細やかな気遣いたるや。グラスが空いたら、ちゃんと飲みました。

 普段はみんなが寝てからのんびり寝支度をして最後に就寝する私だが、今日はナディアに添い寝を依頼しているので待たせるわけにはいかない。みんなと同じタイミングで寝支度を済ませ、一緒に寝室に入る。

 ナディアが髪を結っている間に、愛らしい尻尾と戯れる。ナディアは一瞥をくれながらも何も言わなかった。だけど私が尻尾を抱き締めたままウトウトしたら、「こら」と怒られた。

「そのまま寝られたら私が眠れないわ。尻尾を放して」

「はい……」

 名残惜しいが手放した。尻尾は私の腕から逃れていく。あぁ……。

「添い寝するまでも無く、眠そうね」

 何処か呆れた色をしていたけど、優しい声。微睡みながら、ナディアが腕に抱いてくれるのに身を任せる。上掛けを整えてくれている間はまだ起きていたけど。ナディアが身体の位置を落ち着けた時にはもうほとんど眠っていた。嫌な夢を見そうで、少しだけ怖かった。でも結局は何の夢も見ない穏やかな夜だった。

「――揃ってぐっすり」

「可愛い」

 意識が浮上した時、そんな声が聞こえた。うう。私が身じろいだら、寄り添う温もりも合わせて少し身じろぐ。

「おっと。どっちも起きちゃったかな?」

 リコットの声が続いた。うう。私はまだ唸るだけだ。ナディアは微かに私を抱く腕の力を強めたようだったが、その時間も僅かなもので。次の瞬間には解かれてしまった。

「……この人、の、体温が高いのよ……」

「いや体温はフツーだと思うけどね。でも不思議とあったかいよね、アキラちゃん」

 ナディアが零す言葉に、リコットが笑っている。つまり私が妙に温かくて眠り過ぎたと、ナディアは言い訳しているらしい。つまり私達は眠り過ぎたのか? 今は何時だ。

「ねぼうした……?」

「ううん、そんなに。まだ八時」

 優しいからそう言ってくれるけど。普段ならとっくに朝食の準備が終盤の時間なんだよな。しっかり寝坊です。私がのそりと起き上がったらナディアも怠そうにしながらベッドに座る。

「別に二人とも寝てていいんだよ?」

 リコットの言葉にどうやら私達は同時に首を振ったらしい。楽しそうに女の子達が笑った。

「ポテトサラダを作るから、誰かおイモを茹でておいて~」

「はーい」

 遅れている朝食準備を早める為、起きている子達にお願いしておく。私はナディアより先に洗面所に入った。多分ナディアは着替えてから出てくる。

「よし! メインはフレンチトーストにしまーす」

「わーい」

 ポテトサラダと昨日の残りもののスープとハムを並べ、普通の柔らかなパンも添える。女の子達はフレンチトーストだけで足りるかもしれないが、私が足りないのでね。さておき、卵液に漬けさえすればフレンチトーストはすぐに作れる。さっさと調理を始めよう。

 外は雨模様で、私の気分は今も落ち込んでいる。甘いものでブーストを掛けなければなるまい。そう考え、手早く朝食を準備した。

「あー、アキラちゃんズルい」

「ははは。みんなも欲しいならお好きにどうぞ」

 焼き上がったフレンチトーストに、自分の分だけお手製のチョコスプレッドを乗せていたら、リコットに怒られました。スプレッドは素早く奪われ、リコットから順に女の子達がリレーしています。甘々の食卓だね。

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