第930話 信頼の証
「苦境は変わらんなあ」
挨拶もほどほどに、バーキリキが言い放つ。
同席しているアビィティロの顔に変化は無い。一方で、パラティゾの笑みは少し硬くなったように見えた。
「現在、アレッシアは三戦三勝。被害も少なく、士気も高いように私の目には映っておりましたが、不肖の身にもわかるように説明していただいてもよろしいでしょうか」
パラティゾが声音はやわらかくして言った。
バーキリキはちらりと目をやっただけで、無礼なまでに短く息を吐いている。
「お前も評判は良かったな。適正価格を知っていて、ぼったくりには引っかからないが不当に安く買いたたきもしないとな。しかもオーラ使いが多いアレッシアに於いても薬の重要性を理解している。だが、戦はてんで駄目。そこらの有象無象と同じだな。良くて副官どまりか。あるいは、優秀な武官を手に入れるか」
パラティゾの顎が僅かに引かれた。
バーキリキから見れば首の多くが隠れただろう。手にも淡い力ではあるのだろうが拳ができている。瞳孔も大きくなっていた。
「良く理解しております。ですので、マルハイマナ戦争の時にはマシディリ様やグライオ様に頼り、昨年の戦いではテラノイズの補助を受けておりました。ルカッチャーノ様には軍団長の交代を進言されてもおります」
「で?」
バーキリキが短く言う。
「これからも私は優秀な人を頼るでしょう。ですが、執政官を目指すアレッシア人としては、このまま終わるつもりもありません。後学のために、是非とも話す機会の少ないバーキリキ様の見解をお聞きしたいのです」
それでも、パラティゾの声音はほとんど変わらなかった。
真っすぐに伸びた背筋もそのままである。
「エスピラ・ウェラテヌスの二戦は快勝だった。アレッシア人にほとんど被害を出さず、使い潰したのも東方諸部族だしな。
マシディリの一戦目も快勝だ。ただし、アレッシア人にも被害が出ている。その上、イパリオンの指揮官級にほとんど被害が無い。
二戦目、三戦目になるにつれ、今度は一般兵の被害も減っていった。安い勝利しか得られなくなってんだよ。
アレッシアは、依然としてエスヴァンネのような大敗の危機があるのにな」
概ね納得は致しますが、とパラティゾが口を開く。
「バーキリキ様がおっしゃられているのは、中途半端なお話です」
アビィティロが、そのパラティゾから続きを奪った。
「今は仲間じゃなかったのか?」
バーキリキが左の口角を上げた。
アビィティロが表情を変えないままバーキリキをしっかりと瞳に映す。
「理由の全貌を語らないと言う点に於いては同じではありませんか?」
「知らんなあ」
くつくつと笑い、バーキリキがアビィティロから視線を外す。
「ボワーバゲチト攻略戦の結果次第では大きく戦況が変わりかねないことをバーキリキ様は危惧しているのです」
二人ではこれ以上進まない。
マシディリは、それではパラティゾが不憫だと思い口を開いた。
「それに、アレッシアは遠征軍。包囲戦で冬を迎えると、こちらの方が弱る可能性もあります。物資の不足も、こちらの方が早いでしょう」
「攻城兵器を燃やした奴が良く言うよ」
バーキリキが片側の口角を上げ、肩を揺らした。
どこか楽しそうでもある。
「作ろうと思えばすぐに作れますから。それに、イペロス・タラッティアも解放できそうですしね」
「余裕の真似事か?」
「私は、統治するために来ているのです。決して打ち負かすだとか壊滅させるために来たわけではありません」
「傲慢だな」
「傲慢な振る舞いも時には求められるモノだと思っております」
「へえ」
「多くの死体を積み上げて、私達は今の位置まで登ってきたのです。そんな人たちが寛容性を謳ったところで、受け取り手によっては傲慢以外の何物でも無いとは思いませんか?」
「そもそも、此処までアレッシアが首を突っ込んでくることが傲慢以外の何物でもないと言う話もある」
「防衛戦争です。先にアレッシアの朋友を殴ってきたのはマルハイマナ。そのマルハイマナからもらい受けた土地を殴り始めたのはイパリオン。それは、事実ですよ」
「そう言っておこう」
丁度良く、食糧保管場所の入り口に到着する。
バーキリキが適当な手つきで粘土板を一枚取り出した。パラティゾが受け取り、残りもアレッシア兵が受け取る。その粘土板を元に、確認が始まった。
「マシディリ・ウェラテヌス自身がいることは無い、と他の者は言っていたなあ」
バーキリキが差し出された酒を躊躇いなく傾けた。
相変わらず、容器の天辺を親指と人差し指で縦に挟むように持っている。
「私にだって忙しい時とそうでない時ぐらいありますよ」
バーキリキの口角が持ち上がる。
「てっきり口説きに来ると思っていたんだがなあ」
「私がどれほどバーキリキ様を欲しがっているかは、口にせずとも伝わっていると信じております」
「そう来るか」
「バーキリキ様の口の悪さも、変に構えない、誤解を恐れずに言えば上下など関係ないことを示しているようで、東方諸部族の皆々様との関係構築に役立つと考えております」
「ほーお」
バーキリキが容器を奴隷に返した。
中身は、空になっているのだろう。奴隷が中を見て、少し驚いた顔をしていた。持ち帰り方も、中身をさほど気にしていない運び方である。
「では、東方諸部族との関係構築にと期待されている身から言わせてもらうが。
イペロス・タラッティアと繋がれば、もう食糧供給は不要か?」
飄々とした態度は崩れず。
適当な態度も崩れない。
しかしながら、目の奥の光は深く沈んだようにも見えた。
「あって困るものではありませんよ」
何も気にしていないように返す。
「価値を聞いている。財物が豊富な者に財物を渡しても、必要としている者に渡した時よりは喜ばれないだろう?」
「処理能力は上がりましても、イペロス・タラッティアは半年近く包囲されていた街です。すぐに三万もの大軍を養えるだけの量を受け入れる態勢は整いませんよ。これからも、東方諸部族の皆さんを頼りにしております」
「アレッシアは喜ぶとだけ伝えておこう」
「ありがとうございます」
「冬も来るしな。此処でも現地調達はままならなくなる。欲しいだろう?」
「ええ。とても。そして、信頼の証だとも思っていただければ幸いです」
「お前が裏切ると思っている奴はいないよ。尤も、そこにいる忠臣は易々と食糧事情を話すべきでは無いと咎めたいみたいだがな」
アビィティロが両眼を閉じる。
マシディリは、言葉を選んだ。それを口にしようとする前に、バーキリキの手のひらが目の前にやってくる。
「気にするな。正しい反応だ。そういう男の方が好感が持てる。いない方が、アレッシアが泥船に見えてきたかもな」
「お心遣いありがとうございます」
「アビィティロへの賛辞の言葉だ」
鼻で笑い、バーキリキが二歩三歩とふらふら歩いた。
散歩がしたい。監視を付けろ、と隠しもせずに言い放ってくる。
マシディリも、それに快く応じた。
「アビィティロ様に変化は無かったように、私からは見えていたのですが」
パラティゾがこぼす。
「バーキリキ様も同じことを考えていただけですよ。だからこそ、私からの信頼も伝わっていると信じております」
マシディリは微笑みながら返した。
「どのような事情であれ、エスピラ様暗殺未遂の実行犯はバーキリキです。油断されませんよう」
アビィティロの表情が初めて思いっきり硬くなる。
マシディリは、そんなアビィティロに対し、柔和な笑みを向けた。
「だからこそ、この信頼を裏切ることはできないと思いませんか?」
「食糧と言うこちらの生命線を握らせるのは如何なモノかと思います」
アビィティロは、絆されてくれない。
マシディリは、笑みを少しだけひっこめた。苦笑も混ぜつつ、護衛のアルビタに顔を向ける。肩もすくめた。
「物資の一部は北回りの山道に隠してもらうつもりです。完全に渡しはしませんよ」
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