+グリーンローズ 11


    八


 事の発端は十二年前にさかのぼる。ローズマリー・シェリー――もといアマンダ・ラーソンが九つの歳のことである。




 アマンダはカリフォルニア州サクラメント市の北方の町で生まれ育った。農業と農産物加工が主要産業という昔ながらの田舎町だ。彼女が生を受けたのは、その町では比較的新顔の小麦農家の元だった。


 彼女はそこで恵まれた幼少期を過ごした。特別に裕福だったわけではない。望む物を何でも買い与えられたり、数えきれないほどの友人に囲まれていたこともなかった。ただ、真面目で勤勉な両親と、視界一杯の麦畑という最高の遊び場とに恵まれたのは事実だ。


 アマンダの父母はともに責任感が強く、彼ら自身の仕事に並々ならぬ情熱を注いでいた。繁忙期には外から人を雇い入れることもあったが基本的には家族経営で、二人は朝方から夜遅くまでほとんど働きづめの生活を送っていた。


 そういう二人を見てきたからか、アマンダは自然に内向的な性格に育っていった。あれこれと問題を起こして両親を煩わせたくなかったのだ。


 むろん、そうしてアマンダが父母の背中を見つめる以上に、彼女の両親は愛する一人娘のことを気にかけていた。夫婦そろって仕事人間だからこそ、努めてアマンダを気遣うよう心がけていたのだ。


 しかしながら前述の暮らしぶりでは気にかけるにも限界がある。かといって誰かの手を借りようにも頼れる親類はおらず、また乳母を雇うほどの経済的な余裕もなかった。手間も費用もかかるペットなどはもってのほかだ。


 そうしたわけで結局、親子三人はそれぞれにもどかしい思いを抱えたまま日々の生活を送るのであった。




 そんなラーソン一家に転機をもたらしたのは、近くの町で農家を営む同業者仲間の男だった。故障のために働けなくなった労働用ロボットを破格の値で譲ると申し出てくれたのだ。


 当然のこと動作は不安定で、表情の豊かさも共感性もコミュニケーション用の機種には遠く及ばないが、それでもこの申し出はラーソン夫妻にとって大いに喜ぶべきことであった。言わずもがな、幼いアマンダにとっても。


 かくして農場に新しい仲間がやってきた。最初期型の作業従事用ロボットにしてアマンダ嬢の遊び相手。ほっそりとした骨格模型のような身体にテレビモニター状の頭部を備えた、寡黙で風変りな友人が。


 彼は、彼自身が新たに忠誠を誓うこととなった新しい主人――小さな手をした九歳の少女――の意向によって〈ミスター・エバンス〉と名づけられた。「どうしてその名前にしたの?」と母親が訊ねると、アマンダは「もし弟ができたらその名前にしようと思ってたの。それか子猫を飼ったら!」と答えた。


 ミスター・エバンスは一見、さほどフレンドリーなタイプには見えなかった。発声モジュールが故障しているのか言葉を発するのは稀であったし、身体全体のバランスも悪いのだろう、家の中を歩くにもよたよたと足元がおぼつかず、往々にして周囲の人間を不安がらせた。


 それでも、アマンダはすぐに彼が気に入った。それも尋常でないほどに。


 なんといってもミスター・エバンスはどんな時、どんな場合であっても、アマンダが望めば必ずそばにいてくれたのだ。


 お人形遊びの時も。ビデオゲームをする時も。いたずらをして親に叱られている時も。学校の友だちと過ごす時も。つまらない宿題を片づける時も。自室の窓に浮かんだ夜空の雲が、恐ろしいモンスターに見えてしまった時にも。


 彼はいつでもそこにいた。アマンダが頼みさえすれば、それこそ一晩中でも話し相手になってくれた。決して多くを語らず、ただじっと黙したまま、辛抱強くわがままに付き合ってくれた。さみしがりやで遊び盛りの幼い少女のわがままに。


 ミスター・エバンスが見せたこの献身は、このころのアマンダにとって最高の贈り物と呼ぶに相応しいおこないだった。


 一つ面白いのは、そうしてアマンダ嬢の面倒を見ているうちにエバンスの側にも変化が現れてきたことだ。


 子守りに関する彼の手際、こと子どもの遊びにかかわる分野での技量は、はじめのうちはそれこそ目も当てられない有様だった。ゲーム――アナログにせよデジタルにせよ――では手加減ができない。細かい作業が苦手で絵も上手に描けない。冴えたジョークは言えないし、髪も編めないし、あげくにはアマンダのお気に入りのおもちゃを駄目にしてしまう始末だ。


 これにはアマンダも閉口した。悲しんだり怒ったりするよりも、呆れる気持ちが勝ってしまったのだ。


 ところがよくしたもので、エバンスも次第にコツを掴みはじめてきた。


 子どもの遊び道具をトラクターや耕運機と同様に扱ってはいけない。ありとあらゆる動作に繊細さが含まれていなければならない。遊びに効率を求めすぎるのは良くない。時として子どもは怖いもの知らずになる。あまりに危険な場合には行動を制限してやらなければならないが、その際には本人が納得できるまで理由を説明してやらねばならない。「お化粧ごっこ」のために母親のメイク道具を持ち出してはいけない。


 覚えることは多かったが、彼は時間をかけて一つひとつ着実に学習していった。彼はきわめて熱心だった。そういうふうにプログラムされていたのもあるだろうが、アマンダから見た限りでは、エバンスは彼自身でも少なからず面白がっている様子であった。


 そういう姿勢が功を奏したか、ミスター・エバンスがラーソン家の仲間入りをしてから三か月が経ったころには、彼は早くも一人前の子守ロボットへと成長を遂げていた。


 そうした彼の変化に引っ張られるようにして、アマンダもまたエバンスとの上手な付き合い方を覚えていった。なんせ古びた部品の集合体だ。少しでも無理をさせるとすぐにどこかしらおかしくなる。彼と上手くやっていくためには、思いやりとデリカシーとが必要不可欠なのだ。


 そういうわけで彼女らが出会ってから半年も経つと、両者は無事、気の知れた友だち同士になっていた。一年後には息の合った相棒になったし、そこからさらに季節が一回りすると、ふたりはお互いを無二の親友と認めるようになっていた。


 エバンスは四六時中アマンダの後ろをついて回り、アマンダはことあるごとにエバンスに語りかけた。この時分のふたりにとってその関係性は、空気のように当たり前のものだった。


 ところがそうして月日を重ねるうち、エバンスに奇妙な変化が現れはじめた。基本的に感情に乏しい労働用ロボットであるはずの彼が、芸術の機微を理解するようになったのだ。


 などと言ってしまうと大袈裟になるが現実にはそう大層な話ではない。要するに、彼にも「お気に入りの時間の過ごし方」ができたということだ。


 より具体的に言えばエバンスは時折、アマンダにちょっとした頼みごとをするようになっていた。彼はアマンダの歌を聴きたがったのだ。


 この要求はアマンダにとってもまんざらではないことだった。元々歌を歌うのは嫌いではなかったし、幼いながらにも「それこそが自分の特技だ」と自負していたところがあったからだ。


 実際、彼女の歌唱力は十歳かそこらにしては堂に入ったものだった。声が澄んでいて高音にも低音にも強い。生まれ持った才能だろう、彼女は誰に教わることなく基礎的な技術を身に着けていた。


 惜しいのはその特技を披露する場と相手に恵まれなかったことである。まあ、その問題は彼女の親友が解決してくれたが。

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