第130話 灯台下暗し

 翌朝。俺は宿泊先の旅館のエントランスにあるソファに座って、新野と秋篠さんが準備を終えて降りてくるのを待っていた。これから明日の琵琶湖ダンジョン攻略作戦に参加する冒険者たちとの顔合わせ、そして最終ミーティングが行われる。


 旅館の窓から見える琵琶湖の景色に目を向ける。天気は快晴で、水色の湖面が波打ってキラキラと日光を反射させていた。その水面の奥底に俺たちの目指すダンジョンが眠っている。


「振り向かずに聞いてくれるかな、土ノ日くん」

「――っ!?」


 背後から聞こえてきた声に、俺は体を硬直させた。今、ここで聞こえて来るはずがない声だ。ここには冒険者協会の関係者も大勢宿泊している。言わばその声の主にとって敵の本拠地に他ならない。


「……随分と大胆なんだな、上野」


「灯台下暗しというやつだよ。それから、今のぼくはゼノ・レヴィアスだ」


「俺や、神田たちにとっては上野純平だ。これからも、ずっと」


 背後に人の気配は確かにある。声に機械を通したような違和感はない。上野は振り向いたすぐ先に居る。


「振り向いてはダメだよ。ぼくらは今すぐここをダンジョン化し、モンスターを解き放つ用意がある」


「ソフィアも来てるってわけかよ」


「恐山ダンジョンではお世話になったみたいだね。ぼくらの計画のために一肌脱いでくれたと聞いているよ」


「随分と皮肉の効いた言い方だな。……何のためにここへ来た? あまりにもリスクがデカすぎるんじゃないか?」


「それに見合うだけの価値はあると思う。ぼくは君を仲間に誘いに来たんだ」


「……それは」


 随分と買い被られたものだ。そして、甘く見られている。


「俺が仲間になると本気で思っているのか?」


「君だって元は僕らの世界の人間だ。ぼくらの世界の危機に、まさか何も思わないわけがないよね?」


「…………」


 俺の前世、レイン・ロードランドは命を賭して前世の世界を守るために戦った。その記憶がある以上、上野の言うように何も思わないというわけじゃ当然ない。


 だが少なくとも、上野達に協力したいとは思わない。


「戦争を引き起こそうとしている連中に協力できるわけがないだろ」


「……そうだね。だから君に提案を持ってきた」


「どういう意味だ……?」


「アクリト様から許可はまだ貰ってないけど、話し合いで解決できる余地があるとぼくは思っているんだ。君にも協力して貰いたい」


「話し合いで解決だって……?」


「そう。君が望んだ、平和的な解決法だよ。滅びに瀕したぼくらの世界からこちらの世界への移住計画。それを日本政府や他の国々の協力を得て実現するんだ」


「本気なのか、上野」


「そうじゃなきゃ、こんな危ない真似はしないさ」


 上野は俺に、移住計画の概要を語って聞かせた。


 まずは異世界と行き来できるゲートを開き、住民を段階的に移住させる。居住地としてダンジョンを活用することで土地問題を解決し、食料に関しては異世界側の農作物をダンジョン内で栽培し可能な限りの自給自足を行うという。


「本当に可能なのか、慎重に検討する必要もあると思う。ダンジョンでの居住には危険が伴うし、決して快適な生活を送れる環境にはならないはずだ。それでも、多くの人の命を救うことができるとぼくは信じているんだ。戦争をするよりも、遥かにね」


「……ああ、そうだな」


 仮に上野の計画が可能であれば、話し合いの余地は十分にあるだろう。ただ、秋篠唯人が言っていたようにこちらの世界も一枚岩じゃない。どこの誰が反対するかもわからないし、何が障害になって立ちはだかるかも予想がつかない。


 それに何より、


「アクリト・ルーシフェルトはその計画に賛成するのか?」


「アクリト様ならきっとわかってくれるはずだよ」


「……どうだかな」


 アクリト・ルーシフェルト。彼女の目的が向こう側の世界の人々を救うことなら、上野の計画にも賛同したかもしれない。だが、新野はアクリトに別の目的があるんじゃないかと怪しんでいた。


 そして何より、彼女が大塚さんを傷つけ、新野をいたぶり、結ちゃんを殺そうとした。


 その事実がある以上、俺はアクリトを信用することができない。


「上野。お前が本気で平和的な解決を望むなら、アクリトの元を離れて俺たちの所へ来るんだ。アクリトには何か、別の目的があるかもしれない。そんな気がするんだ。だから、下手をすればお前が危険に曝されることになる」


「……ありえないよ、土ノ日くん。アクリト様は栄光戦争で両親を失った幼いぼくを助けてくれた。その上、新聖勇者としての使命まで与えてくださった。君がアクリト様をどう思っても勝手だけど、ぼくがアクリト様の元を去るなんてあり得ない。それに、アクリト様は聖女として全ての人々を救うために活動されているんだ。別の目的なんて、そんなの……」


 どうやらアクリトは部下の人心掌握を徹底しているらしい。ただ、上野にも思うところはあったようで、段々と声のボリュームは尻すぼみになっていった。


「上野。平和的な解決法を考えてくれたことは嬉しいよ。だけど、今ここで答えを出すことはできない。俺はどうしても、アクリトを信じられないんだ」


「……どうして、そこまでアクリト様を嫌うんだい?」


「それはアクリトが――」


 大塚さんたちを傷つけたから。そう言おうとした矢先、エントランスのエレベーターが開いて新野と秋篠さんが降りてくるのが見えた。二人は俺の方へ近づいてきて、不思議そうに首を傾げる。


「どうしたのよ、そんな怖い顔しちゃって。もしかして機嫌悪い?」


「つ、土ノ日くん。大丈夫……?」


「二人とも、俺の後ろに誰か座ってるか?」


「へ? 誰かって、誰も居ないわよ?」


「う、うん。さっきまで座ってた人は外に出て行っちゃったし……」


「……そうか」


 上野は二人の接近を察知して撤収したようだ。その気になれば今からでも探せるけれど……やめておこう。おそらくブラフだったとは思うが、本当にダンジョン化されてモンスターを解き放たれたら厄介だ。


「土ノ日、何かあった……?」


「いいや、何でもないんだ。それより行こうぜ。顔合わせに遅れたら気まず過ぎる」


 俺は二人に上野が居たことを秘密にして外に出た。真夏の容赦ない日差しが降り注ぎ、セミの大合唱が鳴り響く。今日も真夏日になりそうだ。

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