第36話 新宿ダンジョンの異常

「どうなってやがるんだ……?」


 下層に降りて数時間歩き続けた浪川さんが、困惑した様子で首を傾げる。


 ボイドに転落した新野と秋篠さんを探すため下層に降りた俺たちだったが、その足取りは不自然なまでに順調だった。中層ではヴァンパイアバットやイービルベアに襲われたが、下層に入ってからというものモンスターとの戦闘は一度も経験していない。


 それどころか、モンスターを見かけてすら居ないのだ。


 おかげで新野と秋篠さんの捜索がしやすくはあるんだが……。


 モンスターが居ないという状況に、口には出さないものの全員が不気味さを感じていた。


 なんとも言えない嫌な予感。それが現実のものとならないことを、ただただ祈るばかりだ。


「……っ! 土ノ日先輩、これっ!」


 不意に立ち止まってしゃがみ込んだ水瀬が俺の名を呼ぶ。近づいた俺に彼女が手渡してきたのは、三日月をかたどったイヤリングだった。


「これ、新野のイヤリングか……!」

「やっぱり。ここ、もしかしたらボイドの底かもです」


 上を見上げると天井がなく、先の見えない真っ暗な空間がどこまでも続いている。どうやら間違いなさそうだな……。


「二人の姿は……見当たらないね」

「まさか、モンスターに襲われたんじゃ……!?」

「いんや、そういう形跡はねぇな」


 周囲をくまなく探しても新野と秋篠さんの姿は見つからない。さらに言えば血痕や衣服の切れ端が残されているということもなかった。


 ……よかった、ひとまず無事だったか。


 いくらステータスによって身体が強化されているとはいえ、この高さから落下すれば大怪我は免れない。最悪死んでいたっておかしくなかっただろう。さすが元魔王、上手く魔法で落下の衝撃を殺せたようだ。


「ったく、あの二人どこへ行ったんだ? ダンジョンで遭難したら動かないのが鉄則だろーが……!」


「おそらくだけど、ここをモンスターの通り道だと判断したんだろうね。私たちが遭遇したヴァンパイアバットはこの縦穴を通って中層に進出した可能性が高い。身の安全を確保するために移動するという判断は間違っていないよ」


「だとしたら一体どこへ行ったんだ? まさか行き違いになってねぇだろうな……?」


「可能性としては否定しきれないね」


 綾辻さんの言葉に「マジかよ……」と浪川さんは頭を抱える。ここへ来るまでの通路も一本道ではなく、いくつものルートがあった。中層よりもさらに視界が利かない下層で、引き返して二人を捜索するは手が折れる。言葉通り暗中模索だ。


 ……ただ、本当に新野と秋篠さんは中層に引き返したのだろうか。


 ボイドに落ちる直前、新野が残した言葉が脳裏に引っかかる。


『土ノ日、待ってるから!!』


 だから何が何でも迎えに来い。そういう意味の言葉だと解釈して、俺は下層へ向かう決意をした。


 待っていると言ったということは少なくとも下層から中層へ向かおうとはしていないのではないだろうか。


 むしろ、俺が必ず来ることを想定して行動している可能性が高いとさえ思える。


 だとしたら、新野だったらどう動く……?


「くそっ、とにかく引き返すぞ。さすがにこの状況で奥に進んだとも思えねぇ。もしかしたらもう中層に戻ってるかもしれねぇが……だとしたらとんだ無駄足だぜ」


「……奥に進むわけがない、か」


 常識的に考えればありえない。だが、本当にそうなのだろうか。


 ダンジョンの構造は確か、基本的に逆三角形のようになっている。上は広く、下に行くほど狭まる。そして最下層は一か所だ。そのような構造からダンジョンを山に例える冒険者も多いと何かの小説か雑誌で読んだことがある。最下層を山頂とするらしい。


 ……そういえば、登山中に遭難したら山頂を目指すほうがいいんだったよな。下手に下山しようとするよりも救助されやすいとかって。


 この話を新野が知っていたら、もしかして最下層を目指すんじゃないか……?


 俺が来ることを信じて待っているとして、新野が下層や中層の中途半端な場所で待っているとも思えない。何か目印になる場所……それこそ、行き着く先が一つしかない最下層で待っている可能性は十分にあるのではないだろうか。


 外れていたら洒落にならないが……、行ってみる価値はある。


「みんな、聞いてくれ」


 俺は最下層を目指す考えを三人に伝えた。浪川さんは半信半疑といった様子だったが、綾辻さんと水瀬が賛同してくれた。


「一見無さそうな選択肢だけど、あながちあり得るかもしれないね」

「行ってみる価値はあると思いますっ!」

「……ったく、仕方がねぇな」


 最後には浪川さんも賛同してくれて、俺たちは揃って最下層を目指し歩き出した。


「ここから先もモンスター共の根城だ。戦おうなんて思うな。少しでもモンスターの気配がしたら息を潜めて隠れろ。わかったな……?」


 下層での活動経験がある浪川さんを先頭に、俺たちは慎重に足を進める。そして何事もなく、ものの二時間ほどで最下層の手前まで到達してしまった。


 モンスターとの遭遇はゼロ。時折気配は感じたのだが、こちらを襲ってくる様子はない。むしろモンスターのほうが息を潜めて俺たちに見つからないようやり過ごしているようだった。


 狐につままれたような気分だな……。


 そしてモンスターを見かけることもなければ、新野と秋篠さんの姿も見つからなかった。ちゃんと最下層に居てくれたらいいのだが……。


「お、おい……なんだこりゃあ!?」


 不意に浪川さんが叫び声をあげる。


 新宿ダンジョンの最下層。そこにあったのは巨大な祭壇だった。


「こんな祭壇、前に来た時にゃなかったぞ!?」


 俺たちが立っている場所から先には広々とした空間が広がり、奥のほうへと両脇に松明が並ぶ。そして最奥には階段の先に巨大な扉があり、その前に人の影がある。


 ……いや、あれは人なのか?


『何をしに来たのです、人間』

「――ッ!」


 聞こえてきたのは聴き馴染みのある、懐かしさを覚える言語。


 この世界で聞こえてくるはずのない、《前世の世界の言葉》だった。




〈作者コメント〉

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