第五話の11

 怪獣を倒し、自分でユイを助けに行く。アキにはもうその道しかなかった。

 時間はかかるだろうが、ジローたちの力を借りれば何とかなるかもしれない。監視の男を脅したのが今頃は効いて、すでにユイを探し始めている可能性もある。

 レッドカイザーがアキの要求を呑まない以上、怪獣教が彼女に危害を加えないという話を信じるほかない。

『やろう、レッドカイザー。俺の手でユイを助けるよ』

『よし』一息つくような間があって、レッドカイザーが返事をした。

 頭を支配していた一つの固定観念から解放されると、アキは自分のやるべきことをしっかりと見定めた。

 液化地帯は怪獣を中心に広がっているのだろうが、レッドカイザーからみるとそれがどこまでの範囲なのかは分からない。どこも一見すれば異国の田舎町としか見えないのが厄介だ。この下位世界の存在が液化範囲に入り込めば、たちまちその一部にされてしまうだろう。水に浮くレッドカイザーが足まで沈んだのは、上位世界のエーテルを持っているからだ。この性質は以前アキが見た液化能力にもあったものだ。

 液化した足場から無数に泡が立ち上っては爆発を伴って破裂し、今なおレッドカイザーをその場に縛り付けている。アキは足を抜いて、液体の上に乗るようにした。軽量なレッドカイザーは、エーテルの操作も合わせて液面に立つ。

 爆風に磔にされながらも、なんとか前進を試みた。しかし、ようやくの思いで半歩踏み出すと爆発泡の発生地点も半歩ずれる。

 おそらく、常に動き続けてさえいれば容易に躱すことができただろう。威力がある分追従能力や発生速度は低い。怪獣として現界するエーテル生命は、レッドカイザーと違い送れるだけのエーテルを下位世界に送り、それが収まる器を即席で作り上げる。それでも本体から比べれば力が限りなく希釈された状態であるから、レッドカイザーと同じように力の配分を変えている節がある。

 レッドカイザーはがむしゃらに腕を振った。立ち上る泡は腕に当たるとただちに爆発する。この威力の攻撃に長時間さらされるようなことは、八年前では耐えられなかっただろう。自分から攻撃に当たりに行くような行動などとてもできなかったはずだと、アキは自分で思う。

 レッドカイザーの頭上まで移動してから破裂していた泡がなくなると、爆発の勢いに押されて赤い巨躯は弾けるように空中に飛びあがった。

 素早く空中で態勢を整えると、レッドカイザーは見えない坂を滑るように一直線に怪獣へ向けて降下した。

 怪獣のすぐ目の前に着地、いや着水する。

 足元が泡立つ。

 レッドカイザーは再び跳んで、怪獣の頭を飛び越えた。

 そのまま後ろ向きに繰り出した右脚の蹴りが怪獣の背中を覆っている殻のようなものを破り、深々と胴体へ食い込んだ。

『着地気を付けろ!』

『分かってるッ』

 跳躍の勢いそのままに、レッドカイザーは怪獣のすぐ背後に左足だけで降りた。手を付きそうになったがなんとかバランスを取り堪える。攻撃のため右足にエーテルを振り分けた状態の今、右足を付けば体は沈んでしまうし、上半身でエーテルの混ぜ込まれた液体に触れば恐ろしい損傷を得る危険があった。

 一拍待つと、エーテルが全身に再分配される感触があった。アキが振り返ると、怪獣が徐々に崩壊していくところだった。街の様子は変わらない。広範囲で液化していたものは元の物質に戻っただろう。土は土に、木は木に。しかし、人や動物などが巻き込まれていれば、肉体は戻っても意識は戻らない。怪獣の現界に巻き込まれたのと同じような状態だ。如何な医学でも決して元には戻らない。

 アキの駆るレッドカイザーは大地を駆けだしていた。この空は明るいから、最悪半日の時差があるところまで来てしまっている。アキが現界をする前、街は暗かったのだ。自分の町に帰るまで時間がかかる。

 軽い跳躍をして、レッドカイザーの巨躯は空気の抵抗も受けないで簡単に雲を越え、みるみる空が暗くなっていき、やがて成層圏に達した。地上を見下ろし、知っている地形を探して、自分が今どこにいるのかを考える。五年前に怪獣が海外に出現するようになって以降、アキは世界地図を暗記してこの方法で帰るようになった。天気の悪い時はかなり移動する必要があったが、この日はついていた。

 アキは移動方向を微妙に修正して、空中を超音速で滑り落ちる。大気の影響を受けないよう調整されたレッドカイザーの体は、衝撃波も断熱圧縮も起こさない。飛行機に当たろうものなら大事故だが、アキは見たこともない。

 地表に近づいたら徐々に空気抵抗を発生させていき、この軽量さで着地ないし着水しても問題のない速度まで減速する。そして、そこからまた飛び上がって同じことをする。

 それを三度ほど繰り返して、一時間とかからないうちにアキは幾度となく見た自分の国の遠景を発見した。




 ジローは肝を冷やしながら街の三つの関門の一つ、南関門へ向かった。現在は封鎖して、関係者以外が通れないようになっている。理由はレッドカイザーだ。

 レッドカイザーは海外での戦いが終わったあと、徒歩等で帰還する。ただ、普段は直接街へ帰るのではなく、近海にある軍事拠点の一つで現界を終了し、そこから船と陸路で街まで帰還する手はずになっている。レッドカイザーの現界に関する情報は決して公にしてはならない機密で、人が変身するということは知られてはいけないし、その個人が国家の庇護を受けているという事実を諸国へ知られるわけにはいかないのだ。

 それを、アキは南関門に直接帰ってきてそこで現界を解いたのだ。この責任問題はジローが負うことになるが、制御不能の不発弾を扱うようなその仕事を今更ジローから取り上げる者はいないし、外されたら外されたで彼はむしろ幸運だと思えるだろう。

 ジローが恐れているのは降格や職を失うことではなく、アキがなぜ南関門に降りてきたのか、その理由を知っているからだった。

 レッドカイザーが現れた以上、国家の危機と大袈裟に唄って武装車や戦闘員が周囲に展開されている。実際に危険がないことを知っているのはわずかな人間だけだが、そんな階級の人間は現場に出ないから、火器を携行している戦闘員たちの表情は張りつめている。

 周囲を警戒し脅威が確実に去ったと言えるようになるまで、便宜上あと二時間はこの状態が続く。

 かわいそうに。ジローはそう思い、誰か俺のことも哀れんでくれと願いながら、関門のすぐ内側に停めてある頑丈な指令車両へと乗り込んでいった。周囲には無数の武装車両があるほか、警察車両がランプを回して緊急時であることを明示していた。

 通信機器やレーダー情報の映るモニターが並ぶ車の中に、アキがいた。レッドカイザーはすでにショルダーバッグに仕舞ったあとだろう。管制員の椅子に座っている。

 ジローはアキを見張っていた兵士二人に声をかけて退出させた。付近にいた不審人物と称してアキを捕えさせたが、なぜこの車両で保護するよう通達させられたのか、彼らには分からなかったろうし、これからも教えることはない。

 ジローよりも早くに到着していた事情通もいたはずだが、理由をつけてアキには会っていないらしい。

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