第23話
パンと音がして、咄嗟に伏せた螺厭の頭上に突き刺さる手裏剣。即座に紅の煙玉を投げつつ、口の中に入れたミクロエアーを起動する。
「やはりここか。忍びの郷の警備システムは厳重だからこそ、付け入る隙など限られる」
強烈な突風が吹いて煙玉の煙が一瞬で掻き消える。残されたのは、緊急停止スイッチの前で立ち尽くす黒いフードで顔を隠した螺厭。周囲は既に大量の傭兵に囲まれ、その中央には野戦服に幾つかの忍者ガジェットを装備した深南雲弾がクナイを片手に立って居た。
「真正面から攻め込みつつ、協力者を失ったフリをしてこの緊急停止スイッチを押し、郷の連中を解放する。なるほどなるほど、確かに良い作戦だ。教科書通りで読み易く、防ぎやすい」
無言で立ち尽くす螺厭。弾は目の前の協力者が螺厭とは気付いて居ない。
「表での彼女の暴れっぷりには正直言って脱帽ものだ。ああ全く、若く才能溢れるくノ一だよ。まさか、影すらも倒し、第一陣を突破してくるとは」
飛んできた手裏剣をクナイで弾き、木の影を通って接近してくる紅目掛けて高周波忍者ブレードを投げつける。それは木の幹や岩などでは速度が落ちないほどの切れ味で、防げない事を知っていた紅は空中で体勢を崩してしまう。
「きゃっ…!?」
着地に失敗して背中から落下してしまう紅。すぐさま体勢を整えようとするが、それよりも先に自在手裏剣が紅の首元で静止する。
首元に感じる風と手裏剣が回転する音に、今まさに命を掴まれていると言う実感が湧き、紅は身動き一つ取れない。
「そこで動きを止めてしまう辺り、まだ未熟だな。本物の忍者なら、手裏剣が動きを止めた時点で反撃に出ている」
傭兵達が紅に迫り、その間手裏剣はいつでも紅の身体のどこでも切り刻める様に紅の周囲を飛び回って居た。
「終わりだな。所詮は見習いの子供と、何を勘違いしたのかは分からないが、ただ首を突っ込んで来ただけの民間人。私の計画を止められる道理も–––––––––」
「首を突っ込んだ訳じゃ無い」
「–––––––––––––は?」
「アンタの計画とやら、俺は五年前のあの日からずっと知っていた。ずっと、必ず止めてやると誓った。アンタが寄り付かない母さんの墓の前でな」
「–––––––––––––螺厭?」
「声も聞かなきゃ息子だって事も分からないとはね」
そう言って螺厭はフードを外し、心底軽蔑しきった顔で動揺を隠しきれない父親を前に吐き捨てた。
「螺厭、私の事は良いから、スイッチ押して!!」
「そうはいかない。君の事を死なせたく無いのも勿論だけど、スイッチ押す前に、どうしても確かめたかったんだ。なぁ親父?どんな気分だ?鳩が豆鉄砲を食ったような面してさ。まさか、俺がアンタの計画を知るはずも無いとでも?それとも知ってたとしても止めようとするはずが無いって?どっちだ?」
螺厭の言葉に肩を震わせる弾。隣に立つ傭兵が銃や手裏剣を構えるが、それを震える手で抑える。
「正直言って、両方だ。計画を知る瑠璃子さんがお前を巻き込むはずが無いと鷹を括っていたよ」
「生憎、瑠璃子さんじゃない。家に置いてある親父のパソコンのパスワードは母さんの誕生日だったからな。ロック解除は簡単だったよ。そのあとは瑠璃子さんにも手伝って貰ったけどな」
「…お前が、この計画を知ったとして、首を突っ込んで来るとは夢にも思わなかった。母さんの、未亜さんの仇を討つ為の計画だったと言うのに…」
は、と螺厭がその言葉を聞いて鼻で笑った。弾がその様子に怪訝そうに眉を潜める。
「一体何がおかしいと言うんだ。まさか、螺厭はもうとっくの昔に母さんへの想いを無くしてしまったと言うのか?」
「そりゃアンタだろ。母さんを言い訳に無茶苦茶やりやがってさぁ。母さんはとっくに死んでるんだ。俺はこの目で、母さんが死ぬ所を、死んでいく姿を見ていたんだ。それが嫌で逃げたアンタと違って」
「それは違う!父さんは、あの時未亜さんを救う最後の手段としてここを…」
「そうじゃ無い。そう言う話じゃ無いんだよ。アンタが逃げたのは、母さんの死に際じゃない。母さんがいなくなった事実から逃げたんだよ。じゃなきゃ、この五年間何でアンタは母さんの墓参りの一つもしなかったんだ?」
螺厭が聞いたその言葉に弾が怯む。これまでのここに居るはずのない息子を前にした動揺や、その息子が自分を否定している事への動揺が霞む程に、弾の呼吸が乱れた。
確かに弾は未亜の墓参りを避けていた。何度か行こうと花を買い、墓地の前まで行った事はあった。だがそこからどうしても足が前に進まなかった。理由は弾自身もあやふやだったが、墓の手入れを螺厭がしている所を見て、自分が行かなくても大丈夫だと安心してしまった。そして結局この五年間墓参りは出来なかった。
「いつか、仇を討ったら。そう、思っていた」
「そりゃ傑作」
「未亜さんの仇を討つのは、父さんの夢だった!生きる糧だった!」
「ほらな。アンタは母さんを言い訳にして、アンタ自身の怒りをぶつけて回ってるだけだ」
「違う!未亜さんは、無念だった筈だ!!お前を置いて逝く事に、納得なんて彼女がするものか!!例え彼女が復讐を望んでいなくても、その無念を晴らさなければ、私は…!!」
弾の手に力が篭り、取り押さえられていた紅の肩を掴んで無理矢理立たせる。紅が微かに呻くのを聞いて螺厭が眉をひそめた。
「親父、俺はアンタの事、昔は尊敬してたよ。アンタ一人で会社作って、母さんとも仲良しで、穏やかで、優しくて」
「状況に応じて変わって行くのが人間だ。状況と、必要に応じてな」
「その変化なんてモノは必要だったのか?俺とアンタは、母さんの残した意思そのものだろ。もう居ない母さんの事を、俺たちが汚して良い訳無い」
「汚してきた無い。そう思っているのはお前だけだ」
「本当に?」
微かに弾の視線が揺れる。紅も、傭兵達もまた、この親子の会話に視線が集まって行く。親子でありながら、同じ経験をしていながら、向かい合う二人は正反対。しかし一切揺るがない螺厭と違い、弾は動揺を隠しきれないのが側から見ても分かってしまう。
なんとか息子を説得しようと必死に頭を回転させる弾。しかし言葉が見つからず、口元が震えるばかり。それを見て螺厭が心底不愉快そうに口元を歪めた。
「本気でそう思ってるのかよ。心の底から」
「ああ、そうだ」
「だったら俺の目を観て言えよ。ずっと目を逸らしてさ」
「…なに?」
「本気で母さんの為に、家族の為だって言えるんならさぁ…俺の目を見てもう一回同じ事言ってみろよ、このクソ親父…!!」
螺厭の言葉に弾の身体が震えた。心臓が不規則に揺れ、脳が茹で上がる程に頭に血が昇る。
「お前に俺のなにが分かる!?お前だって、俺をずっと避けて来た!!俺が未亜さんの死から逃げたと言うなら、お前も俺から逃げた!!そうだろ!?」
堪え切れず叫ぶ。頭のどこかで大人気ないと分かって居ても、弾は叫ぶしか無かった。
思えば昔から螺厭は一体なにを考えているのか分からなかった。未亜が生きていたころからずっと、弾には理解出来ない形で未亜と通じ合っている様な言動を見せていた。
だけどそれは違うと弾は信じていた。本当に未亜を知っているのは、理解しているのは自分だけだと。
なのにそれは違うと螺厭は言い切った。弾の言う未亜は、弾が都合良く解釈している妄想だと。
そんなはずはない。もしもどちらかの信じている未亜が妄想なら、たかが十年程度の未亜しか知らない螺厭に負けるはずが無い。
「もう良い。今、お前と話す事など無い。俺とお前の決着は、全て終わらせてから改めて付ける」
螺厭はその言葉に失望感を隠しきれない顔で目を閉じた。弾は右手のクナイのスイッチを入れながら螺厭目掛けて早足で近づき、左手で螺厭の首を掴もうと伸ばし––––––––––––その手がすり抜けた。
「は?」
「え?」
誰しもが言葉を失っていた。弾が恐る恐る螺厭の足元を見れば、そこには映像投射口以外を土に埋めた空間映像投射装置。
「だから言ったろ?ちゃーんと俺の方向いて話せって」
次の瞬間空間映像投射装置が爆発を起こし、吹き飛ばされた弾は背中を強かに地面に打ち据える。その場の全員が混乱する中、今度はあちこちから煙玉の煙が吹き出し、傭兵は愚か紅ですら予想外の煙に巻かれて紅への警戒が薄れた。
「分身の術…アンタ、いつの間にスったのよ!!」
慌てて飛び起き周囲の傭兵を蹴り飛ばす紅。そして忍び装束の忍者ガジェット保管ポケットを探れば、病院の病室で調べた時は確かに全部あったはずの分身の術用の空間映像投射装置が一つ無くなっていた。
「いやほんと、忍者ガジェットってのは凄い技術だよなぁ。ちょっと離れたところから小声でマイクに喋ってただけなのに、声量とかぜーんぶこっちで調整出来ちゃうし。あ、これってもしかしてあの蝶ネクタイ型変声機が元ネタ?」
ケラケラ笑いながら聞き覚えのある声が近づいて来る。もう呆然とするしか無い弾と、走って来た紅の目の前で螺厭が心底呆れた表情で尻餅を付いた弾を見下ろす。
しかしもうなにも言うことも無いのか、無言でコンパスを指で押し込んだ。
「ま、待て…」
警告音が響き、それ以上の事はその場では起きない。
しかしその時忍びの郷では忍者達を拘束していたありとあらゆるシステムが一斉にダウンし、即座に忍者達は状況を把握し動き出す。牢の電子キーが外れ、飛び出した忍者達が傭兵達や裏切り者の忍者に飛びかかっていく。例え忍者ガジェットで装備していても、忍者の人数で多数派の忍びの郷側の方が圧倒的に有利だった。
「止められなかった?そう。やっぱり鈍ってたんじゃない」
真っ暗になったモニター。非常電源用の灯りを残して消えた電灯。触っても全く動かないタッチパネル。司令室の椅子の背もたれに体重を預けて、宣風は口に咥えていたタバコを灰皿に押しつけ手持ちの端末のスイッチを入れる。こっちは外部電源だから各所に設置したカメラの映像を見れば、奪った忍者ガジェットすらも取り戻した忍者達が傭兵を倒し非戦闘民の救出を既に完了させていた。宣風には今更そんな事に感じ入る筋合いも無いが、無事な子供達を見れば微かに胸につかえていたものが溶けていくのを感じた。
「弾。もうこっちは無理だよ。ま、だけどね、やるだけはやってみせるさ」
もう司令室の外には忍者達が迫っている。まともに戦って勝てる相手ではない。宣風はせめて、この司令室を吹き飛ばしてやろうと隠し持っていた爆薬全ての起爆コードを自分の端末に繋げて起爆スイッチに指を添える。
『助けてくれと頼んでおいて、今更だが…まさか、お前が協力してくれるとは思わなかった』
『私もびっくり。なんでだろうね?いきなり出てったアンタを、思い出すことも無かったってのにさ』
思い出すのは一年前に再開した弾の姿。ちょくちょく外の世界に任務で出ていくこともあった宣風は、弾が外の世界で成功している事は把握していた。
会いたいとは思わなかった。ただ気紛れで遠巻きに顔だけは見ておこうと2MCの本社ビルの近くに足を運んだ時、弾はすぐに宣風に気付いた。気付かれたと察した時、なぜ姿を消さなかったの宣風自身にも分からなかった。足早に追いかけて来た弾を、なぜガジェット使い撒こうとしなかったのか。
結局声をかけられ、そして気がついたときには弾の計画に協力すると自分の口から言い出してしまった。
幼馴染みの腐れ縁を惜しんでしまったのか、弾の境遇に同情したのか。それとも…
爆破スイッチを入れようと指に力を入れたその時、宣風の背中に何かが当たった感覚があった。それに気付くと同時にそれは宣風の胸を貫通して端末に突き刺さった。
全身の力が抜け、端末が壊れて爆破スイッチを入れられなくなってしまう。椅子の背もたれ越しに振り向けば、司令室に飛び込んできた忍者が。宣風の胸に突き刺さった物は高周波忍者ブレードだった。高周波忍者ブレードが宣風の身体を貫くと同時に振動を停止し宣風は串刺し状態のまま、どんどん自分の命が身体から抜けて行く感覚に囚われていた。
「…あんな、掟さえ無かったら、あんたは…郷から、出て行かなかったのに。なんて、ね…」
その言葉を最後に宣風は動かなくなった。
もはや弾には味方など残っていないも同然だった。しかしまだ弾はその事を知る由もない。
「くっ…こんな、こんな馬鹿な事が––––!」
「有り得ないってのは無いよ。これが現実。な、紅?」
「アンタね…アンタねぇ!!」
怒りとか呆れとか、色んな感情がごちゃ混ぜになって螺厭の元まで駆け寄りその胸板をポカポカ殴りつける。忍者装束のパワーアシストのせいで一発ごとに螺厭の口からゴホッ、とかオゴッ、とか聞いた事ない音が漏れるけど、紅にしてみれば知った事じゃない。
「何時よ!!何時盗った!?答えなさいよーっ!!」
「そ、それは…君がガジェットの確認をしてた後に…」
「それが!!何時だって!!聞いてんのよーっ!!」
背中に回って足を引っ掛けつつ、螺厭の手を強く鳥の翼の形に捻り上げながら引っ張っていく。ギチギチと螺厭の肩が悲鳴を上げ、ギブアップしようにも両腕を極められているせいで出来ない螺厭は悲鳴を上げる。
しかしそれでも答えない螺厭に、紅の微かに冷静さを取り戻した脳がこれまでの紅の行動、そして螺厭の言動をおさらいしていく。
最後に紅が忍者ガジェットの確認をしたのは何時?それは螺厭の病室で、目を覚ました螺厭の目の前でやってた。多分その時に狙われたはず。
螺厭に分身投影装置を盗むチャンスがあったのは何時?螺厭と身体を密着させたタイミングは…あった。
「アンタねぇ!!」
あの時病室で倒れ込んだフリをして、紅の胸を揉んでしまった時。螺厭はそれに動揺する紅の懐から分身投影装置をスっていた。
「わ、悪かった!!い、一応、弁解させてくれるかな!?あれはあくまで偶然で、チャンスがあったからついやっちゃった訳でさ!!君の、その巨胸に触ったのはワザとじゃ無い!!信じてくれ!!」
「信じられるモンですか…!!」
「あぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…!!」
グイッと腕を押し込み、螺厭が森中に響き渡る程の悲痛な叫び声を上げた。
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