第6話 あの日
あの日、あの時。
私達は広場で井戸を囲んでお喋りをしていた。
今日は週に一度の休息日。村の数少ない商店は全部休みの日。男性方も畑や猟を休んで自宅から持ち込んだ酒や食べ物で宴を催していた。
ここは囚人の村。別に私達が囚人という訳ではない。
かつて王国に叛乱を起こし敗れた者の中で、比較的罪の軽いとされた兵が追放された辺境の地だ。
でもこの地は温暖な気候と、いつまでも枯れる事の無い綺麗な水源、豊富な森の恵み。
辺境ゆえ王国が管理しない、つまり納税や徴兵の無い楽園だった。
外から来る人といえば、自ら道を切り拓いた商魂逞しい商人が、月に1度やってくるだけ。川から取れる砂鉄を使って鋳造される金属製品の質の良さと、美味しい酒と果物、山裾から湧き出すお湯に浸かる事を楽しみにやってくるだけだ。
そんな長閑な村のいつもの午後の空にその人は現れた。光り輝く金髪と1度見たら目を背ける事が出来ない美しいかんばせ。彼女は私達にこう言った。
鬼が近づいています。と
自然の中に住む人にとって鬼は死を意味した。どんなに鋭い剣もどんなに鋭い槍もどんなに鋭い矢もその厚い皮膚を貫く事は出来ない。
その咆哮を聞けば身体は麻痺して動けなくなり、生きたまま鬼の餌となる。
そうやって滅びた村の話は幾つも聞く。
ただ鬼が人を食べる事はそう多くはない。理由は不明。でも十数年に一度。鬼はどこかに必ずやって来て人を食べ尽くす。
王国が私達に税を課さないのは、鬼の始末に責任が生じるからだ。
空に浮かぶ綺麗な人は川に逃げろとおっしゃった。
鬼を知る私達はなんの疑問も抱かず逃げた。何も持たず、子供達の手を引いて、男達は自主的に村人の点呼を取りながら、とにかくみんなで川に走った。
ようやく川に着きホッとする暇もなく鬼の咆哮が響き渡り、私達はそのまま固まる。
指一つ動かない。動けない。
たまたま村の方を見て固まった人が絶望の声を上げる。
俺達の村から煙が上がっている。村が燃えている。と
そのままどのくらい固まっていただろう。
鍛冶屋のお兄さんが気がついた。
動ける。動けるぞ。と
確かに私も動けるようになっている。
慌てて村の方を見ると、村の上空にだけ雨が降っている。
ここからでもわかる。とんでもない豪雨が村にだけ降っている。
ただ呆然と見つめていると、猟師のお兄さんが偵察に出て行った。
私達に動くなよと命じて。言うまでも無い。
動けるようになったとはいえ、その圧倒的な鬼の存在感を知った私の腰に力が入らない。
立っていられる事に自分を褒めてあげたい。
何故なら、隣家の仲の良い小さな女の子が私の腰に泣きながらしがみついているからだ。
やがて、女の子のお母さんが来て女の子を抱きしめてくれるまで、私は女の子を慰める事も出来ず立ちすくんでいた。
しばらくして猟師のお兄さんが帰って来た。
奇跡が起きた。鬼が死んでる。村は半分燃えていたけど火事は収まっている。
村に戻った。村の建物の半分は火事で倒壊していた。
そして村の入口には左足首を切り取られた鬼の巨大な死体が転がっていた。
何があったのかはわからない。あの綺麗な人が私達を救ってくれた。それだけはわかった。でもこの感謝の気持ちはどうしたら良いだろう。
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