第622話:すべてを投じる

「親方さまにはごめいわくばかりおかけしてしまって、もうしわけございません」


 リトリィが深々と頭を下げる。頭を下げている相手は、『幸せのしょうとう』の最高責任者たるクオーク親方だ。


「オンナがしゃしゃりでてくるんじゃねえ。このヒョロガリが無駄に知恵が回るのが悪いだけだ」


 そして親方の足元で頭を抱えてうめいているのが、俺。

 またしても親方のげんこつを脳天に食らったのだ。

 それにしても「知恵が回るから悪い」って、どやされる原因としてはなかなか聞けない台詞だと思う。


「うるせえ。まったく、ガキのくせにあちこち首を突っ込んでちっとも現場に集中しやがらねえ。大工は大工仕事だけしてりゃいいんだ」


 そう言って、またしてもげんこつを振り下ろす。

 痛いっ!


「仕事ってのは、そこに自身のありったけ──全部を投げ込むような勢いでやるもんだ。てめえみてえな半端モンが現場の掛け持ちなんか考えるんじゃねえ」

「す、すみま──」

「そんなに嫁の機嫌が気になるなら、そっちを先に済ませてきやがれ。それができねえってんなら、それまでこっちは出入り禁止だ、このハナッ垂れが」


 そしてだめ押しのげんこつ!

 ──けれど。


「……嫁に恨まれるとよ、四十年経っても五十年経っても、言われ続けるんだよ。嫁のためにやれることがあるなら、やれるときにやっとけ」

「親方……」

「そうそう、お前んちが上手くいったならな、ウチもやってくれ」

「……え?」

「時間をくれてやるんだ、それくらい、当然だろう?」


 そう言って、クオーク親方はまたしても俺を放り出してくれたのだった。




「ところでリトリィ、はんの給食はいいのか?」

「はい。ミネッタさんのところのじょちゅうさんが、一緒に参加してくださることになったので」

「ミネッタは赤ん坊の世話が大変じゃないのか?」


 ミネッタは数カ月前に、彼女が仕える貴族の子を出産したばかり。こういうケースの場合、小銭を渡され追い出されるような扱いを受けるらしいんだけど、ミネッタの場合は子を産むことで、幸運にも主人たるフェクトール公の愛妾となることができた。

 今はフェクトールの屋敷で子育ての真っ最中のはずだ。

 

「はい。ですから、ミネッタさんと合わせてじょちゅうさんがてつだってくださいます」

「……そうか、だったら心配はないのかもな」

「はい。わたしもがんばりますから、だんなさまも、おうちのほうをおねがいいたしますね」

「ああ、任せてくれ。なんたってマレットさんが協力してくれることになっているからな」

「ふふ……たよりにしています、だんなさま」


 リトリィはそっと俺の頬にキスをすると、工房のほうに向かった。長いふかふかのしっぽを大きく揺らして。

 俺も、今後の話をするためにマレットさんの家に向かった。




 それからは順調だった。

 リトリィは何本か鋼管こうかんを作るうちに慣れたようで、日を追って製作スピードと精度が上がっている。


 パイプの製造自体は、がたを使った鋳鉄ちゅうてつかんのほうが製造方法自体は単純だし、耐久性も高いものができる。


 だが、いかんせん鋳鉄ちゅうてつかんは大きく、ぶ厚く、重く、そして 大雑把すぎた。それはまさに鉄塊てっかいだった。要は、リトリィが薄く作る鋼管こうかんと違って、同じ量の湯を作ろうとした場合、大きく、重くなりすぎるのだ。


 錆に強い鋳鉄ちゅうてつだが、コンパクトに作ろうと思うと、大きく分厚くなる鋳鉄ちゅうてつかんでは厳しい。

 逆に鋼鉄こうてつは、リトリィの技術をもってすれば丈夫でかつ薄く作れるのだが錆びやすい。けれどリトリィの防錆加工技術は、ジルンディール親方おやじ直伝のもの。信頼できる。

 色も真っ黒だから、熱を得るためにわざわざ黒く塗装する必要もない。


 けれど、パイプとパイプをつなぎ、管全てに水が均等に循環するようにするためには、九十度、もしくは百八十度折り返すつぎが必要だ。こればっかりは、鉄を叩いてなんとかできるようなものじゃない。


 だから、メインのパイプはリトリィの手による鋼管こうかん、パイプをつなぐ部品のつぎ鋳鉄ちゅうてつ製のもので補うことにした。


 毎日汗びっしょりになって帰ってくるリトリィに、改めてこの初夏の気温のなか、鉄を打つことの過酷さを思い知らされる。

 まして彼女は獣人族ベスティリングの中でも、特に長毛種ファーリィと呼ばれるふかふかの体毛を持つ種族だ。その過酷さは推して知るべしだろう。


 けれど彼女自身は、いつも実に爽やかな笑顔で帰ってくる。


「だって、鉄を打つってたのしいですもの。それに、そのたのしいことが、大好きなだんなさまのためになるんですよ? こんなにしあわせなことはありません」


 日々、ところどころ焦がして帰ってくる彼女の体に染みついた、鉄臭いにおい。ベッドで生まれたままの姿になると、それが一層感じられる。


 だけどそれは、俺の──俺たちのために懸命に働いた印なのだ。俺のため、過酷な仕事に彼女の全てを投じてくれている、なによりの証明。


「……だんなさま、わたしの手、あれていてきれいじゃないですから……。それにその、わたし、汗くさいでしょう? そんな、においをかがないで……」

「恥ずかしくなんかないですよ、いいにおいです、お姉さま」

「ま、マイセルちゃんもやめて……!」


 高温の鉄を打つせいですっかり荒れてしまった手を撫でさすりながら、恥じらう彼女を抱きしめ、ふかふかの毛なみに顔を埋めてその匂いを思いっきり吸い込む。


 一応、家に帰ると彼女はすぐ井戸で水浴びをするのだが、汗そのものは流せても、石鹸代わりのムクロジの実では、大して汚れは落ちない。


「だ、だんなさま……。お願い、やめて、におうから……恥ずかしいの……!」

「無理っス。私らのご主人、どーしようもない変態さんっスから。諦めてください姉さま」

「ふぇ、フェルミちゃん……も、やめ……!」

「ご主人が変態さんなんスよ? そんなの・・・・に仕える私らも、そりゃあそうなっちゃうってもんでスよ」

「いや、はうぅっ……!」


 あーそうだよフェルミの言う通りだよ、と開き直った俺は、彼女の匂いを、胸いっぱいに堪能する。恥じらって身悶えする彼女の抵抗を無視して。


 俺は君のにおいが大好きなんだ。俺のために頑張ってくれている君のにおいだから。

 ……恥じらってもだえる彼女がどうしようもなく可愛いっていうのも、大きな理由の一つだけどな。言えないけど。


「い、いや……だんなさま、なんだか、いやらしいの……!」


 いやらしくなんかないぞ? 愛し合っている夫婦のあいだに、恥ずかしいことなんてないんだし。これは愛している女性への、最大限の敬意だと思ってくれよ。


「だ、だって、二人が、見てるのに……!」


 マイセルもフェルミも、最近はほとんど求めてこない。たまにフェルミが欲しがるだけで。

 出産まであとひと月もない。だから二人とも控えているのだ。

 だからこそ、遠慮なくリトリィの胎内に、俺の全精力を投じることができるわけで。


 彼女の奥からこんこんとあふれてくる秘蜜をたっぷり舐め取ると、俺はすでに息も絶え絶えな彼女の膝をつかみ押し開くようにして、体をゆっくりと重ねていく。


 冬に比べて夜はずいぶん短くなったとはいえ、まだまだこれからだ。彼女の貢献をねぎらう意味でも、たっぷりと愛し合おう。



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