第353話:マイセルの交渉術

 マレットさんとの夕食は楽しく、また有意義だった。夜遅くなり、結局マレットさんの家で泊まることになった俺は、マレットさんと外でチビチビ酒を飲んでいた。

 マイセルは果実酒をコップ半分ほど飲んだあと、やっぱりすぐに寝てしまった。今はリトリィと一緒に寝室にいるはずだ。


「……なあ、ムラタさんよ」


 月を見上げながら、マレットさんが口を開いた。


「なんですか?」

「娘は、よく働けてるかい?」


 唐突なその問いかけに、俺は思いっきりむせる。

 今の今まで、新しい穴あきレンガの有用性について話をしているところだったのに。


「なんだ、親が娘のことを気にするのがそんなに不思議なことか?」

「い、いえ、そういうわけじゃないんですが、急だったもので」


 俺は咳き込みながら口の周りを拭く。

 そうだ、結婚前からマレットさんは何かとマイセルのことを気にかけていた。長男のハマーの奴はそこそこ大雑把な扱いだから、やっぱり男親にとって、娘というのは特別な存在らしい。


 ――俺も、娘ができたらそうなるんだろうか。


 リトリィとの間に生まれるであろう、子供の顔を思い浮かべる。

 といっても、浮かぶのは、リトリィをそのまま小さくしただけの犬娘だ。自分の面影が入っているなど、微塵も思い浮かばない。きっと、いつもしっぽをぱたぱたさせる、愛らしい少女として育つだろう。


 いつもにこにこしていて、よくお手伝いをしてくれて、たまにいたずらをしてはリトリィに叱られて、泣いてこっちに駆け寄ってくるのだ。

 そんなとき、自分は叱れるかといったら、多分無理だ。きっとリトリィに、「甘やかさないでくださいな」と、一緒に叱られるんだろう。


 マイセルとの娘だって同じだ。栗色のおかっぱ頭をかしげてにっこり笑う姿が、容易に目に浮かぶ。誰が叱ることなどできるものか、マレットさんを笑えない。


「マイセルちゃんは、よく頑張ってくれていますよ。今日だって、俺と一緒に来てくれましたから」

「そ、そうか。――あんたの右腕とまでは言わないが、役に立ってくれているか?」

「ええ。今日だって、事前に役割分担は決めていましたが、上手く話を進めてくれました。やっぱり、親の背中をしっかりと見て育ってきたことが分かりますよ」


 俺の言葉に、マレットさんはバリバリと頭をかく。


「俺はなんにもしてやれなかったんだがなあ……」

「何を言ってるんですか。マイセルから聞いていますよ? 彼女が幼いころは、色々な大工道具の使い方を教えていたって」

「遊び道具にさせてただけだ」

「街の様々な建物の建築様式にも、大変造形が深いですから。マレットさんが幼いころから、彼女に大工なりの愛情をふんだんに注ぎ込んできたおかげだと思いますよ」


 別にお世辞でも何でもない。

 例の施主の爺さんとの交渉も、彼女と連携しておこなったのだから。




「……べらんだ・・・・、じゃと?」

「はい。ほら、議会庁舎の正面二階にある、よく演説台としてつかわれる、あの張り出し部分ですよ」


 俺は、目いっぱいの営業スマイルを浮かべて説明をする。


「この再建案は、道路に面する南側の二階にベランダを設けることで、資産価値を高めることができるという案です」

「資産、価値……?」


 首をひねる爺さんに、マイセルがにこにこしながら続けた。


「施主様。おさんぽはされますか?」

「散歩? そりゃまあ、当然――」

「私、お日様の光を浴びるのって、とっても気持ちよくて大好きです! 施主様はどうですか?」

「あ……あ、ああ、まあそりゃあ……」


 突然世間話を振られて、しかしそれがいかにも天真爛漫なマイセルの笑顔付き。爺さんは毒気を抜かれたようにうなずく。


「よかった! 施主様もお日様がお好きで! おんなじですね! 私、ひなたぼっこも好きで、いい天気の日に、日当たりのいい通りのベンチに腰掛けてぽ~っとしているの、好きなんですよ! 施主様は、ひなたぼっこはお好きですか?」

「あ、ああ、そう、だな……まあ、嫌いでは……」

「本当ですか! 施主様、私とおんなじですね、嬉しい! 私、お日様って大好きです! ひなたぼっこもすきですし、お日様をいっぱい浴びたお洗濯物の匂いも、お日様に当てたお布団の香りも大好きで――」


 立ち上がって喜ぶマイセルを、俺がたしなめて座らせる。


「でも、施主様もお日様がお好きなんですよ? おそろいですよ? 嬉しくないですか?」

「うれしいのは分かったけれど、そうやってお客様の前ではしゃいでみせるのは失礼だよ?」

「……はい」


 しゅんとしてみせるマイセルを見て、爺さんが俺に「まあまあ、嬢ちゃんも別に悪気があったわけでもなし」と声をかけてきた。


「いえ、申し訳ありません。おっしゃる通りですが、お客様の手前、わきまえは必要かと思いまして」

「で、でもムラタさん、やっぱりお日様をいっぱい浴びるのって、幸せじゃないですか? その喜びを分かってもらえるのって、嬉しくないですか?」

「だから、お客様の前だって」

「でも、お日様があたるお部屋って幸せって思いますし、お日様をいっぱい浴びたおふとんって、とってもふかふかだし、いい匂いがするし――」


 マイセルがなおも続けようとしたときだった。


「ああ、分かった分かった。嬢ちゃん、お前さんには負けたよ」


 爺さんが、苦笑いしながら口をはさんだ。


「わしに言いたかったんだな、明るい部屋は、誰もが喜ぶと。あんたの亭主の案を採用してほしいと」


 マイセルが、とたんに頬を染める。


「あ――え、えっと……」


 ……見抜かれていた。まあ、人生経験豊富な爺さんを前に、十代の少女が考えたお芝居など、お見通しということなのだろう。


「ええと、ムラタさん、だったか。こういうやり口は感心せんなあ」

「……お気を害しましたら、申し訳ありません」


 発案者はマイセル自身だが、そのアイデアを面白いと考え、実際に仕掛けたのは俺だ。素直に頭を下げると、爺さんはからからと笑った。


「いやいや、この歳になると、こう、孫みたいな娘っ子のこういう姿にはどうも弱くてな。ついこの間、嫁に行った孫のことを思い出してしまう」


 そう言って、壁にかけられた絵姿を見やる爺さん。壁には、美しく着飾った女性の絵が飾られている。


「孫も、きっと今も一児の母親として、おむつを部屋中に干しておることだろう。たしかに日の光は、すこしでもあった方が嬉しいだろうなあ」

「ひ孫さんがいらっしゃるんですか! それは、お会いするときが楽しみですね!」

「おうともさ。週に一度は顔を見せに来る。楽しいとも」


 爺さんが、嬉しそうに答えたマイセルに目を細める。


「ムラタさんや、よく分かった。日の光がよく入る手段を取り入れることで隣近所と違いを出して、それによって今後の家賃収入が期待できるようになる、というあんたの意図が」

「では――!」


 思わず腰が持ち上がった俺に、爺さんはニヤリと笑った。


「ただ、わしの懐も無限じゃない。そのあたりの落としどころは、マレットと詰めようじゃないか」




 俺の話を聞いて、マレットさんは納得がいったように笑った。


「なるほど、だからその足でうちに来たのか。人足にんそくの相場を聞きに」

「はい」

「いいだろう。その辺、いろいろ詰めていこうじゃねえか」

「助かります」


 笑った俺に、マレットさんは右手を挙げてみせた。


「なに、あんたを娘の旦那と決めたときから俺たちは共同経営者同士よ。あんたが請け負う仕事は俺の仕事だ」

「ええ、施工にあたっては頼りにしていますとも」


 マレットさんの手のひらに、俺は自分の手のひらを重ねる。


「ああ、まかせとけ」


 瞬時に、マレットさんが俺の手を握りつぶす!


「いっ――!? ちょっ、ま、マレットさん……!」

「それはそれとしてだ」

「か、かお、顔がちかいですよ!」

「孫はいつだ? さっさとこしらえろ」

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