第317話:好きなひとへの手料理に
ゴーティアスさんの家を出て家に帰る途中の城門で、久々に顔を合わせた人物がいた。
「……無事、式を挙げたらしいな。おめでとう」
その男に、リトリィも、続いてマイセルも、スカートの裾をつまんで正式な礼を捧げる。
門衛騎士のフロインドだった。彼の助言のおかげで、俺はリトリィ奪還作戦に加わり、自分の手で、彼女を助け出せたんだ。
できれば彼にも披露宴に来て欲しかったんだが、あれからついに彼に会えずじまいだったから、披露宴の日取りも伝えられなかったんだ。
「なんだか、随分と久しぶりに感じるよ。どこにいたんだ?」
俺の問いに、フロインドは一瞬言葉に詰まり、そしてリトリィとマイセルの方を見たが、首を振って笑みを浮かべた。
「……口にするのも恥ずかしいことだが、ひとつ、聞いてもらおう。
街に潜伏していた奴隷商人の残党――鉄血党の連中を掃討しているときだ。以前ならそんなものを食らう俺ではなかったはずだが、膝に毒矢を受けてしまってな……」
……毒矢!
俺が食らった毒の短剣と、同じようなものだったんだろうか!?
「あのときは、自分も死を覚悟したものだ。だが、ホプラウス様と同じような毒だったのが幸いした。あの毒は今、ある程度は効く解毒薬があってな。それで助かった」
……ある程度は効く?
運が悪いと死んでしまうということか?
「そうだな。だが、俺も運のいい三割の中に割り込むことができた。まだ膝は痛むが、それでも命があるだけでも十分だ。これでまた街に貢献できる」
ってちょっと待って!?
運よく三割の中にって、解毒薬を使っても三割しか助からないってことか!?
俺が食らった毒、そんなに危険なものだったのか!?
目を剥く俺に、フロインドは一瞬驚き、そして愉快そうに笑った。
「なんだ、貴様もそうだったのか。お互い、命を拾えたことを喜ばないとな。今度、飲みにでも行くか?」
帰り道の市場で夕食用の買い物をしていると、マイセルが恐る恐るといった様子で聞いてきた。
「お姉さま、そんなにもクノーブを買って、どうされるんですか?」
「もちろん、今夜もムラタさんに頑張っていただくためですよ? わたしたち二人分、たっぷり精をつけていただかなければならないですから」
市場で、人通りの多い往来で、あっさりと正直に答えるリトリィ。
待って、リトリィ。それ、「これからたくさんエッチします」って答えたようなものじゃないか! せめてもう少しオブラートに包むような言い方はできないのか。
「ああ、兄ちゃんか。いつも金色ねーちゃんを可愛がってやってんのは。新婚は大変だなあ!」
がっはっはと笑う屋台の店主。リトリィも一緒に笑う。
「ふふ、いつもお安くして頂いて、ありがとうございます」
「おうとも、今夜も旦那からたっぷり搾り取ってやれよ!」
オッサン、それセクハラだからな?
まごうことなきセクハラだからな?
「……あ、あの、ムラタさん?」
「……なにかな?」
「リトリィお姉さまって、いつもあんなにクノーブをお料理に入れるんですか?」
「……とりあえず、最近は毎食一個、ごろんと食べさせられてる」
何故かひいてるマイセル。
いや、言いたいことは分かるよ?
あの精力野菜を毎日たっぷり食ってるってことは、
「……今朝、君が見た通りだよ」
今朝という単語に、しばらくの間うろんな顔をしていたマイセルは、何かに気が付いた途端に耳まで真っ赤になった。
「い、いつも、あんなことを、あんなところで、してるんですか……!?」
おののくマイセルに、リトリィが笑顔で追い討ちをかける。
「ふふ、だいじなことですよ? はやく仔をさずかりたいですから。マイセルちゃんもいっしょに、今夜もいっぱい、抱いてもらいましょうね?」
右の人差し指でそっとマイセルの唇をなぞるようにし、ふわふわに膨らんだしっぽを揺らしながらいたずらっぽく言うリトリィに、マイセルが悲鳴を上げる。
「い、いえ! お姉さま、私はその……今日はいいですので! 今だって少しズキズキしてるのに、あ、あんなのをまた入れられたら、今度こそ裂けちゃう……!」
……そっか、昨夜はやっぱり、痛かったんだね。ごめんね?
でもね、だからといって、往来でそういうことを叫ぶのは勘弁してください。みんなこっちを一斉に見たの、気づいてくれると嬉しいな?
「あら、マイセル。あなたもお夕飯のお買い物?」
さっさと立ち去りたいと思ったところに声をかけてきた女性は、昨日、青い
マイセルは、昨日も祝福に駆けつけてくれた友人に出会ったためか、一気に破顔し、手を振った。
「コルン、昨日はありがとう! あなたひとり? エイホル君は?」
――が、それを聞くや否や、コルンと呼ばれた女性が一気に駆け寄って来る。
「……ちょっと! 外ではそれ、言わないでってば!」
「どうして? コルン君のこと好きなんじゃないの?」
「コルンと私じゃ、年が離れてて親が文句を言うから! 分かってるくせに!」
狼狽するコルンに、マイセルが笑う。
「私、旦那様との歳の差、十もあるよ?」
「男のひとが年上なのはいいの! 女が年上っていうのが問題になるんだってば!」
「……女性が年上だと、何か問題があるのか?」
会話に割り込んでみると、毛を逆立てるようにコルンが飛びのいた。
――やらかした。突然、知り合いでもない年上の男に話しかけられたら、こういう反応が本来の姿だよな。リトリィやマイセルが例外すぎるだけで。
「あはは、コルンったら、相変わらず男のひとに対して警戒心が強いんだから。そんなことやってるから、エイホル君とも進まないんだよ?」
マイセルが笑うと、コルンはむっとした顔をした。
「そ、そんなことないもの! だって私、昨日も――」
言いかけて、俺たちの存在を改めて意識したんだろう。急に真っ赤になると、「なんでもないっ」とそっぽを向いた。
昨日も――「も」をつけるってことは、もう何回か経験してるよ、ということだろうか。エイホルは経験がなさそうに見えたけど、違っていたのか。
ぬう、エイホルの奴。女の扱いより金槌の扱いを覚えろよ!
「まあいいさ。それでさっきの質問だけど、その通りだ。俺たちは夕食の食材を買いに来てる」
俺は、自分の買い物袋の中からオーネを取り出す。以前、不審者を撃退するのに活躍した、カブと大根の合いの子みたいな野菜だ。
それを見て少し落ち着いたのか、コルンは少しためらいながら、聞いてきた。
「……あの、男の人って、どんなお料理がお好きなんですか?」
どんな料理が好き、か。
うーん、日本人だと、食べたい手料理っていうとハンバーグとか肉じゃがとかカレーとか……唐揚げとかオムライスとかもありそうだよな。
と、頭の中で並べて、気が付いた。これは日本人の嗜好であって、この世界の男の好みとは違うに決まっている。
ただ、料理はともかく、食材については同じなんじゃなかろうか。
「そうだな……やっぱり肉料理かな? その、新鮮な肉を焼いたのとか、揚げたのとか」
とりあえず控えめに言ってみるが、なぜかがっかりした様子だった。
「……ムラタさん、新鮮なお肉って簡単には手に入らないから、難しいですよ?」
マイセルの言葉に、リトリィも頷く。
そうか……そりゃそうだよな。だいたい、冷蔵庫のないこの世界で「新鮮な肉」を手に入れようと思ったら、まずは動物を
結婚式の料理のために肉屋に行ってみたときに店で見たのは、塩漬け肉か燻製肉、あるいは腸詰肉。
保存用に干し肉も扱っていたが、ビーフジャーキーなどとはだいぶ違っていた。少し切れ端をもらって食べてみたら、本当にガチガチに乾燥した塩辛いもので、そのままではまともに食えたものじゃなかった。
そのまま口に入れるなんて、と、肉屋のおっさんにも、笑われた。
「でも、ないわけじゃないだろう? 家畜を肉にする日――ってのがあるのかどうかは知らないけど、そのときは安く買えないのか?」
「ムラタさん、新鮮なお肉なんてめったに手に入らないんですから、当然、とっても高いんですよ?」
マイセルが、ため息をつきながら教えてくれた。
……そ、そういうものなのか? 潰したばかりのほうが、加工の手間とか調味料を使ってないからとかで、安いのかと思ったんだけど……。
「確かにそうかもしれませんし、味付けも何もないですから調味料を自前で準備しなきゃいけないお肉は、本当なら安くできるのかもしれないですけど、でも、すぐに痛んじゃいますし、めったにないものだからこそ、欲しいと思う人は多いんです」
マイセルの話によると、
……なるほど、需要と供給のバランス、というやつか。供給量は決まっている、そこに群がる人が増えれば、当然高くても買う奴はいる、というわけだ。
「……あれ? じゃあ、狩りで獲物を手に入れた場合はどうするんだ?」
「お貴族様のように、屋敷に専用のお部屋があれば別ですけど、基本的にはその場で解体するか、お金を払って屠場を借ります」
外で狩りをしてその場で解体するならともかく、街の中で、個人的に肉を手に入れたい場合には、畜肉ギルドに使用料を払って屠場を使う必要があるのだそうだ。役所に届けてある専用の処理施設がない場合は、屠場を使うことが義務付けられているのだという。
さらに、解体には大量の水を使うため、その水の使用料も払わねばならない。
なるほど、ギルドは互助会として身内には便宜を図ってくれるかもしれないが、そうでない人間の権利を制限することで、身内の権益を守ろうとする組織でもあるわけか。
「冬支度のころには、屠場が安く解放されるので、みんなその時に利用しますね。自分では家畜を持っていない人も、お手伝いをすることで分けてもらうとか」
逆に言えば、そういう時を利用しないと、安くは手に入らないんだな。残念だ。
「……やっぱり男の人って、お肉がお好きなんですね」
「そりゃ、肉は自分の血肉になるって感じで力がつくし、タンパク質は体づくりにもなる。なにより美味い」
「……力もつくし、体づくりにもなる――強くて、大きくなれるってことですか?」
なにやら急に目をキラキラさせ始めたコルンに、やや気圧されるようにして頷くと、コルンは両手を胸元で組んで、嬉しそうに叫んだ。
「わかりました! ありがとうございます!」
コルンは、スカートの裾をつまんで礼をして正式な礼をして見せると、そのまま、スカートをなびかせ市場の奥に駆けてゆく。
「あ、いや、これはあくまで俺の考えで――」
言いかけたが、もう彼女には届かなかったようだ。コルンの姿は、雑踏の向こうに消えてしまった。
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