第314話:夜が明ける

 身だしなみを整えて、一階に下りる。

 ドレスのしわは、可能な限り伸ばした。

 愛し合った痕跡も、とりあえず何とかした。


「後味がへんに苦いし、それになんだか、口の中に膜が張ってるような感じがするの……」


 リトリィの中から舐め取ったモノの感想を、素直に述べるマイセル。

 なるほど、後味についても、膜が張っているような感触も、まあ、わかる。

 しゃぶってくれたあとのリトリィとキスして、自分のものの味を味わうことがたまにあるからだ。


「でも、お姉さまって大胆なんですね。キッチンで愛し合ったんでしょ?」


 ドキッとした俺に対して、リトリィは艶然とした笑みを浮かべた。


「ふふ、あなたもムラタさんの好みに染められたら、それが楽しみになるかもしれませんよ?」

「わ、私は……遠慮、したいかなあ、なんて……」


 あはは、と乾いた笑いを浮かべるマイセルに、リトリィが表情を崩し、いたずらっぽく返す。


「だったらこれからは、ベッドに入るまでにわたしがお情けをいっぱいもらって、マイセルちゃんの分がなくなってしまうかもしれませんよ?」

「……え?」

「ふふ、ムラタさんは、キッチンとエプロンがお好きですから。――ね? だんなさま?」


 ちょっと! 風評被害ですそれは! さっきのはたまたまで――あ、いや、待って、それなら二度とエプロンだけの格好ではしませんよって、そんな ひどい……




 三人で会場に戻ったら、何を言われるか。

 少し不安ではあったが、マレットさんは、新婚夫婦が披露宴の途中で抜けてもだということでイジらないというお約束みたいなものだというようなことを言っていた。

 それを信じるしかない。


 で、こうなった。


「よう、うちの娘の具合はどうだった?」


 ギャース! ちょっとマレットさん!

 開口一番何言ってくれてるんですか!

 そっとしておくんじゃないんですか!


「あ? 何言ってやがる。ひとの娘をさんざん鳴かせといて。あんだけでかい声で鳴かされ続けたら、ネタにでもするしかねえだろうが」


 ちょっとホラそんなことを言うから!

 マイセルがご友人方から質問攻めに!

 大きかったかとか、痛かったかとか!

 マイセルも恥じらいつつ答えるなよ!

 さも嬉しそうにサイズを教えないで!


「……まあ、新婚夫婦の寝室事情を話のタネにするのは、披露宴の定番の娯楽だ。あきらめなさい」


 そう言って、瀧井さんが笑いながら麦酒が入ったカップを渡してくる。


「しかしお前さん、マイセルの嬢ちゃんとは、『ちぎり固め』を済ませていなかったのか?」

「『ちぎり固め』……って、ええと……?」

「もちろん、『くし流し』、『妹背いもせみ』、『三夜の臥所ふしど』のことだが」

「もちろんしましたよ!」


 正式な手続きを経て結婚することは、妻になる女性に対しての誠意を表すことになるはずだからな。

 そう答えると、マレットさんが俺の肩をがしっとつかんだ。


「ほう? じゃあ、どうしてウチの娘は、今夜まで生娘きむすめで放っとかれたんだ?」


 笑顔だが、ものすごく太い青筋が浮かんでいるように見えるのは、気のせい……じゃないな。


「昨夜、うちのせがれの馬鹿野郎がそれを突っ込んでな。泣くマイセルをなだめるのが大変だったんだぞ?」


 ……そ、それは……その。


「三夜とも相手にしてもらえなかったウチの娘がどういう思いでいたか、婿殿、じっくりきかせてやるから、顔を貸してくれねえか?」


 ……ハイ、ウガガイマス。


 首を縦にふりたくっていたら、派手な音が響いて、マレットさんが後頭部を押さえながらしゃがみこんだ。


「お父さん! 余計なこと言わないで! ちゃんと今夜、ムラタさんをお迎えできたんだから、もういいの!」


 どこからもってきたか、マイセルが右手にフライパンを握っている。

 あの威勢のいい音はそれが原因か。まわりはゲラゲラ笑っている。


「マレット、もう嬢ちゃんはあんたの娘じゃねぇ。そこのヒョロい若造のもんだ。夫婦のことに首を突っ込むんじゃねえよ」


 ツェーダ爺さんが、串焼きから肉をむしりながら笑った。マイセルも腰に手を当てて、そうだそうだと言わんばかりに何度もうなずく。


「ツェーダさんのおっしゃる通りですよ。マイセルももう、ひと様のお嫁さんなんですから」


 頭をさすりながら立ち上がったマレットさんに寄り添ったのは、クラムさんだ。マレットさんの第一夫人にて、マイセルの実母。

 もうだいぶ夜も更けたけど、今日は体調がいいんだろうか?


「あの子が納得していれば、それで十分でしょう? 野暮なこと、言わないで見守ってあげるのが私たちのこれからのお仕事――昨夜もそう言ったの、お忘れですか?」

「だけどよ、せめてうちの娘の気持ちくらい――」

「だから! お父さんは黙ってて! 今日はちゃんと、お姉さまと一緒に大人になったんだから!」


 ――さすがに、周りが一斉に俺を向く。


 い、いや! マイセル、誤解を招くようなことを言うなって!

 二人を同時に抱いたのか、みたいな顔されてるよ、違うって!

 三人一緒にベッドに入ってたのは間違いないけど、リトリィはあくまでも介添役というだけであって、決して三人で同時に、というわけじゃ!


 てかペリシャさん、ものすごい顔してますけど違いますから!

 リトリィはちゃんと以前から抱いてますって! 実は彼女も生娘でそれじゃあ今まで一体ナニやってたのかしらとかそういう話じゃありませんから!




 月がだいぶ傾き、あとわずかで夜明けだという頃となった。

 本当に、誰もが夜通し騒ぎ続けるとは思わなかったぞ!


 マイセルは、お友達の女性たちと一緒に、リビングのソファで眠っている。女の子たちも家に帰ればいいものを、どうやら初夜明けのダンスをみんなで踊るのだとか。もうすぐ起こしてやらねばならないだろう。


 ペリシャさんと瀧井さんは、また夜明けのダンスに参加する、と言って、家に帰った。そろそろ、戻ってくるかもしれない。


 大工のヒヨッコたちは貴重な飲み食いの機会だからか、相変わらず飲んで食って騒いでいる。アルコールに強いな、この世界の人たちは!


「で、どうよ。街で暮らしてみて」


 フラフィーが、干し肉を肴に、麦酒を飲みながら聞いてきた。


「どう、とはどういうことだ?」

「決まってるだろ? リトリィの様子だよ。やっぱりあれか、アイネが気にしている通り色々とあったりするのか?」


 アイネは、リトリィが街で差別を受けるだろう、と予想していた。だから、彼女が街に出ることに反対していた。


「……ない、と言ったら嘘になるな」

「やっぱりか。色々とアイネが心配してた通りだったってことか」

「ただ、今回のケーキでも分かったと思うんだが、バックに付いてる人が桁違いの人だからな。あまり権力を利用するっていうのは好きじゃないんだが、これも処世術かもしれない」


 しかし、首をかしげるフラフィー。


「ケーキ? いや確かにうまかったけれどな、そんなにすげぇことなのか?」

「あのケーキの上に乗っていた白い粉――あの粉がなんだか、わかったか?」

「砂糖ってやつだろ? さっきアイネがめちゃくちゃ怒ってたから、それくらいは分かるぜ」


 ああ、そういえばさっき、アイネとフラフィーが喧嘩をしていたな。フラフィーが、アイネのケーキを食っちまったからだったか。


「あの砂糖ってやつだけですごいカネがかかってるんだけど、いくらぐらいか、フラフィーには想像がつくか?」


 俺の問いに、フラフィーは顔をしかめる。


「なんだと? たったあれっぽっちの粉ですげぇカネ? ……銀貨一枚とか、するのか?」

「俺も砂糖の相場なんて詳しくは知らないんだが、多分、銀貨一枚どころじゃ済まないと思うんだ」

「ほう、そいつぁ随分と贅沢なケーキだったんだな」


 フラフィーの言葉は、そのまま、重要な意味を持つ。

 それほどまでに贅沢なケーキを、庶民、それも獣人族ベスティリングを妻に迎えるような男が準備できた、そのカラクリは?


「それを実現させてくれたのが、ナリクァンさんだったというわけさ」

「へぇ。まあそりゃ、金持ちだからな、あの人は」

「その金持ちがリトリィの背後にいるって事だよ」


 そこまで聞いて、フラフィーにも俺の言いたいことが分かったらしい。にやりとして言った。


「そりゃ、リトリィに何かしようとは思えなくなるだろうな」


 もちろん、城内街の人間には知ったことではないだろう。これからも、リトリィは、好奇の目差別の目にさらされることは間違いない。

 けれど彼女の背後に誰がいるのか、それが知れ渡ることで、少しでも差別が緩和されたらと思う。


 もちろん、本当は俺が守ってやらなきゃならないんだ。そしてナリクァンさんも、間違いなくそれを望んでいる。

 だが、今の俺にはそんな力はない。そしてナリクァンさんは、俺を徒弟に組み込むなりして、その後ろ盾になろうとしてくれた。


 多少ずるいかもしれないが、リトリィが少しでも幸せに暮らせるようにできるなら、使えるものは何だって使ってやる。


「それにしても、山にいるときは頭はいいがおどおどしたヤツだと思ってたのに。しばらく見ねぇうちに、面構えが変わりやがって」

「もしそう見えるなら、そうならなきゃやってられないって分かったからだろうな」

「何言ってやがる、相変わらずヒョロい体してやがるくせに」


 バシバシと背中を叩く。そんなところも相変わらずなフラフィーだが、悪い気はしない。


「……まったく、リトリィといい、おめぇといい……。思い切りが良すぎるんだよ、二人とも。目の前には、それしかねぇみてぇに飛びつきやがる」

「俺はそれでよかったと思っている。故郷にいては絶対に巡り合えなかった、俺の運命を変える最良の縁を引き当てたと」

「当たり前よ、俺たちの妹だぜ?」


 フラフィーは満足そうに笑うと、もう一度、俺の背中をぶっ叩いた。


「もう、踏ん切りはついたみてえだな?」

「……ああ。俺はリトリィと、この世界で生きる。彼女との出会いが、俺の人生の、夜明けみたいなものだったんだ。――これから始まる、と言ってもいいくらいに」

「言うことがいちいち大げさなんだよ、おめぇはよ」


 からからと笑うと、フラフィーは、なぜかハマーと意気投合して飲んでいるように見えるアイネのほうに歩いて行った。


 自分でもクサいことを言ってしまったと思う。

 でも、それは確かなのだ。


 女性との付き合い方も分からず、ゆえに一人で生きていくのだと思い込み、それが自信のなさにつながっていた、あの頃の俺。

 リトリィとの出会いは、俺を変えたのだ。


 この、夜の底がしらしらと明け始めた、この朝のように。

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